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母子家庭なんてクソ食らえ
両親は僕が2歳半、妹が1歳の時に離婚しました。
僕と妹は母に引き取られ、母子家庭で育ちました。
中卒で専業主婦だった母…
しかも既に祖母(母の実母)は亡くなっており、父からは一円の養育費もないという、最悪な環境。
昼夜働いてもパート給与なんてしれていて、保育園にぶちこまれ、保育園で賄いきれない分は叔母(母の姉)の家に預けられ、常に母と引き離された生活でした。
子供ながらに感じたのは、他人の子供を可愛がってくれる大人なんていないという事。
何処に行っても邪魔者扱いで、みじめでした。
いくら妹の子供とはいえ、叔母も自分の子供がいる訳で、決して余裕がある訳じゃない。
夫との悩みを抱え、自分の子供の世話に奔走している中、僕と妹は邪魔な存在でしかない…
食事の量を差別されたり、子供同士の喧嘩で、どんなにいとこ(叔母の子供)が悪くても、僕を叱りつけ不条理な扱いを受ける。
叔母の背中越しから、いとこが僕を見てニヤニヤ笑ってる。
ホームグラウンドであるいとこには敵わない。
トイレで声を殺して泣いていました。
(お母さん、早く迎えに来て…帰りたい)
両親が離婚しなければ僕はこんな屈辱を味わわなくて済みました。
パートじゃどうやっても生計を立てるのが難しくて、母はホステスを始めました。
今までとは一変して、今度は夜に母がいなくなる生活になりました。
母は夕方17時半過ぎに家を出て、そこからは兄妹きりで夜を過ごします。
僕は小学校一年、妹は5歳…
その当時は必死だったから意識してなかったけど、精神状態はおかしかったと思います。
気づかぬうちに情緒不安定になっていたし、心の中で悲鳴をあげていたような感じ…
常に不安で苦しくて胸がいっぱいで夜が怖かった
母が離婚をしなければこんな思いをする事はありませんでした。
離婚を切り出したのは母で、父は離婚を回避しようとしていました。
2歳半の時に離婚しているので僕に父の記憶はありません。
だからいくら母から「お前の父親はろくでもない男だった」と聞かされても僕はピンと来ません。
そんな事より、母が離婚を選択してくれたおかげで僕は苦しみを味わうはめになったので、僕の意思を無視して父を奪った母に納得してない気持ちの方が強いです。
せめて僕が中学生くらいになるまで辛抱して、僕が自分の目で父の姿を確かめて、「この父親なら離婚しても仕方がない」と納得出来るまでがんばっていてくれたらと思います。
そしたら辛く苦しかった母子家庭生活も納得出来たのに…
なぜ自分がこんな家庭環境で育たなければならなかったのか…それを納得させる材料が自分にないので、母を恨んでいる自分がいます。
いとこ達を見ていて、父親がいる家庭だと、子供はこんなに安心して暮らせ、一番母親を必要とする時に離ればなれにならず済み、他所に預けられ大人の冷たさや醜さを見ずに済むんだなと感じていました。
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母はヒステリックで感情的でいつも怒鳴り散らしてばかりで、僕の両足首を掴み、逆さまにしてユサユサ振り回して壁に頭を叩きつけられ放り投げられたり、真冬の夜、外に一時間以上放り出されたり、バドミントンラケットや掃除機が折れるほど体を殴られたり、火の着いた線香を手に着けられ脅されたりしました。
いずれも何をやって怒られたのか全く覚えておらず、ただただヒステリックに暴言暴力を振るわれた事だけが脳裏に焼き付いています。
母にはいつも「お前はアイツにそっくりだ!ゾッとする。何で一緒に住んでないのに似るのよ。お前は結婚したら絶対に妻を泣かせ離婚する」と言われました。
僕には意味が分かりませんでした。
小学校三年生まで、父は死んだと聞かされていました。
四年生になった時、いきなり母から「本当は生きてる、離婚したんだ」と聞かされましたが、僕はあまり驚きませんでした。
亡くなったのなら仏壇に父の写真があっていいはずだし、それにお盆になっても婆ちゃんの墓参りには行くけど、父の墓参りはした事がなかったので、子供心に違和感があったからです。
でも、物心つく前に離婚して父の記憶がないし、離婚後、母は父の写真を全て破り棄てて隠滅していた為、僕の中に父親の存在は皆無でした。
だから考える事もなく、全く父という存在が欠落していたのです。
母は、「生活が苦しくて、夕飯のおかずの焼き魚がアイツの分しか用意出来なくて、なのにアイツは仕事から帰宅して、私に分けてくれるでもなく一人むしゃむしゃ食べて、私はおかずなしでご飯を食べたんだ」と愚痴りました。
母は専業主婦だったので、僕は母の愚痴を聞いて(当たり前だろ、そんなもん…。親父は仕事をして帰宅してるんだし、妻は専業主婦で、当然自分の為に用意されてると男なら思うよ。それにそんなに金がなかったなら旦那に相談するとか自分もパートするとかしたらいいじゃん。何も行動しないでただ黙って一人で不満を抱えて、それでおかずを分けてくれず一人で食べた親父を恨んでるなんてバカかっつーの)と内心で思いました。
そんな下らない事で離婚かよ(もちろん他にも色々あったんでしょうが)と思い、こんなガキみたいな母の個人的感情で、自分があんなみじめな思いをしたのかと思うと、ますます母の離婚選択に腹が立ちました。
父は正社員で働いていたようです。
別に浪費癖があった訳ではなく、財布も母に預けて、ごく一般的な夫婦家計だった…
ただ、小さな会社で、父もまだ若く、給料は安かったらしいです。
でも、きちんと働いて、財布は母に渡していた訳だから、父は男としてやるべき事はやっていたと思います。
父の事に関して、母からは悪口しか聞かされた事がありませんが、最近、初めて悪口ではない話を聞きました。
なんて事はない話なんですが、電球が切れたら付け替えてくれたり、引き戸の滑りが悪くなったら油をさしてくれたり、家のメンテナンス的な事をしてくれた話や、まだ僕が生まれる前、結婚したてで専業主婦で暇だった時、父は当時地方に出向いて仕事をしてたようで、母が「一日暇で時間をもて余す…」みたいな事を言ったら、「じゃあ一緒に来るかい?」と父の運転する助手席に乗っかって一緒にくっついて行った事などを教えてくれました。
今まで全て悪口しか聞かされておらず、良い話・普通の話は一度も聞いた事がなかったので、なんて事ない日常の話でしたが、ものすごく嬉しくて、父と母が普通の夫婦としての日常を送っていた事が嬉しくて幸せな気持ちで、心の中が温かくなるのを感じました。
悪魔のごとく父を悪く聞かされていたから、父がそんな人ではなかったと少しだけでも知る事が出来て、ちょっとだけ自分を肯定する事が出来ました。
母が父を悪く言う事は、=自分を卑下される事に直結していたので、僕は母から父の悪口を聞きたいんじゃなく、普通の夫婦の話を聞きたかったんだと思いました。
母親が、親父を否定するのではなく肯定してくれる事が、こんなにも自分を満たしてくれる事なんだと初めて感じました。
両親が揃っている家庭と片親家庭ではどれだけ子供が育つ環境に差が出るか、僕は身を持って体験しました。
同じ離婚でも、物心つく前に両親が離婚してしまった場合と、ある程度大きくなって自分で物事の判断が出来るようになってから両親が離婚した場合ではかなりの差がありますし、また、祖母(母親の実母)が生きていて、母親が働いている間、孫の面倒を見てもらえる環境にある人と、僕のように既に祖母が亡くなっていてそれが敵わない場合でも雲泥の差があります。
本当に他人の子供の面倒を見てくれる人(自分の生活を犠牲にしてまで)などいませんから、夫と離婚した母親に取っては一番頼りになって安心出来るのは実母しかいないので、この拠り所があるかないかは大違いです。
それから、母親が正規雇用職を持っているとか、夫がそれなりに経済力があって養育費がある程度きちんと貰える環境にある人、又は親が資産家であるなど、離婚後の母親の経済事情も大きく左右します。
そのどれを取っても、僕の母親の場合は最悪な母子家庭環境でしたので、僕が「母子家庭なんてクソ食らえ」と思っている要因と繋がっています。
妹から、「だいぶ前にね、叔母さんから聞かされたんだけど、お兄ちゃんが小学校に入学する時、父親がランドセルを贈って来たんだって。でも、お母さんがこんなもの要らない!って突き返したんだって」と聞かされた事がありました。
僕は初耳でしたが、叔母の話が事実なのか定かではありませんが、もし事実だとしたら、父への嬉しさと、母の幼稚さにガッカリなのと、複雑な気持ちでした。
母にも色々な思いはあるのかも知れませんが、僕からすれば、子供がいる親の立場にあっても、女として男を恨む感情論が優先される母を虚しく思いました。
どれだけ元夫を恨んでるのか知りませんか、僕に取っては世界に一人しかいない実父ですので、母が親父を憎んで拒絶するほど、僕は自分を否定され拒絶されてしまう。
今までも散々、息子である僕に父の悪口を聞かせ、僕を憎き元夫に重ね合わせ否定してきた人ですから、もう諦めていますが、僕は元夫の分身、妹は自分(母)の分身というくらい差別をする母がどうしても納得出来ないし許せないです。
母が離婚をしなければ、僕はあんな苛酷な環境で育たなくて済みました。
なぜ、母親の夫怨みに付き合わされなければならなかったのか、なぜ母親の個人感情の為にあんなとばっちりを食わなければならなかったのか、離婚を選択した母が憎いです。
父は離婚を望んでいなかった…
僕と妹は自分の意思を述べられる年ではなかった…
母一人の我が儘、堪え性の無さで父を奪われました。
母の事情や気持ちなど僕には関係ありません。
いかなる理由があろうとも、まだ自分の意思で物事を判断出来ない子供から父親を奪う権利など母親にはない…
母は、【息子の父親】ではなく、【憎き夫】として、自分の感情を優先させました。
我慢出来ない女だったんです。
下らない夫婦喧嘩…
安易に離婚を口にする女
未熟で幼稚な男と女のバカさ加減で、子供はとんでもない目に遭います。
父の悪口を僕にペラペラ喋り続けた母が理解出来ません。
僕を父の姿に重ね合わせ、軽はずみな言葉で僕の心をズタズタに切り裂いた母が理解出来ません。
「思った事は胸の内に留めないで、何でも吐き出した方がいいんだ。溜めるからストレスがたまって病気になる」と母は言います。
(息子に別れた夫の悪口を吐いたり、息子を夫に見立てて八つ当たりするのは?)
母の離婚選択が僕の人生を狂わせました。
僕に対して叔母達は、母がいる前では優しくにこやかで、母が仕事に行きいなくなると、急に素っ気なくなって「あぁ、ちょっとアンタ邪魔」「はぁ?そんなもの知らないよ」と態度を変えました。
そして、仕事を終えて母が迎えに来るとまた急に態度が変わり、「またおいでね〜(^-^)」などと、さも歓迎していたかのように満面の笑みで言うのです。
子供心に叔母が僕たち兄妹を邪魔だったのはよく分かっていましたから、母の前では態度を変える叔母の姿に傷付いていました。
いくら叔母とはいえ、やはり他所の家庭…
夜になって叔父が仕事から帰宅すると、いとこ達は「パパ〜♪」と飛び付きます。
じゃれあう父子…それを微笑ましく見ている叔母…
僕と妹は入っていけない領域で、居場所がありませんでした。
仕事で苦労しているであろう母を思いながら、早く母に会いたい、早く家に帰りたいといつも思っていました。
両親が離婚をしなければ、僕はこんな思いをせずに済みました。
叔母といとこが家に遊びに来ていた時の事です。
母が仕事に出る時間となり、叔母達はまだいましたが、「じゃあアタシ仕事だから、先に出るわね」と、母は出勤して行きました。
母が不在となり、僕と妹、そして叔母といとこだけになりました。
食べ物が良くなかったのか、消化不良を起こしたのか、僕は胸が気持ち悪くなり、急に吐き気を催しました。
トイレまで我慢できず、とっさにすぐ側だった台所のシンクに吐いてしまいました。
僕が苦しんでいる中、いてもたってもいられなかったのか、心配さうな泣きそうな顔で、妹が一生懸命、僕の背中を叩きました。
本来は叩くのではなく、さするものですが、当時、妹は5歳、僕は7歳で、幼さが故に知識がなく、おそらく妹は、僕が少しでも楽になるようにと、本能でとっさに背中を叩いたのだと思います。
その様子を見た叔母が、「あぁ、○○(妹の名)、そういう時は叩くんじゃなくて、さするんだよー、アハハ」と笑いながら言いました。
叔母はそう言うだけで、座ったまま動きません。
子供ながらに僕は違和感を覚えていました。
自分の子供ならすっ飛んで来て背中をさすったり口元を拭いてあげたりして介護するだろうに…
母が夜の勤めをするようになってから、叔母の家に泊まりで預かってもらった事もありました。
叔母家で、夜、僕はいとこと二人で一枚の布団に寝ていました。
いとこは布団に入るとすぐに眠りに就いていましたが、僕は寝つきが悪く、目を閉じうとうとしながらも、まだ眠りに落ちてはいませんでした。
その時、寝室に叔母が入って来ました。
僕は寝た振りをしていたのですが、叔母はいとこにだけ首もとが冷えないように布団をしっかり掛けました(音と感覚で察知しました)
もちろん僕にはしません。
一枚の布団に並んで寝ていた訳ですから、露骨に分かりました。
イヤな気分でした。
「ご飯だよー」と叔母に呼ばれ、いとこ(兄弟)と僕の三人が食卓に行くと、テーブルに焼きそばが三皿並んでいました。
それぞれ適当に何の気なしに席に着いたのですが、明らかに一皿だけ量が少ない事に気付きました。
たまたまそれがいとこ(弟)に当り、僕といとこ(兄)は並々と盛られた皿の前に座っていました。
それに気付いた叔母が、「あ、アンタのそれじゃない、アンタのはこっち」と言って、いとこ(弟)のと僕の皿を摩り替えました。
摩り替えられた僕の焼きそばは、本当に少しだけペソッと盛られてる感じで、叔母の僕への差別行為は胸が締め付けられるくらい惨めで屈辱的でした。
他人の子供を可愛がって面倒を見てくれる人間などいないという事を、子供ながらに無意識の内に叩き込まれました。
母としては実姉である叔母に僕と妹を預け、安心して仕事に出れたのかも知れませんが、実際は僕たち兄妹はたくさんのイヤな思いをしていました。
でも、母にはそういう目に遭った事は一切言いませんでした。
下らない個人感情論で安易に離婚を考える母親…
歯医者は痛い思いをする場所だと分かっているから、実際に治療を受けて痛い思いをしても、「あぁ、やっぱり痛かった」と冷静に受けとらえられる。
歯医者が痛い思いをする場所だと知らず、良い思いを出来る場所だと勘違いして突入した者は、実際に治療を受けて痛い思いをすると「何じゃこりゃ!?とんでもない目に遭った」と嘆き騒ぐ。
味わった痛みは同じだけれど、歯医者に対する心構えが全く違うから、前者は「あぁ、やっぱり痛かった。でもまぁ歯医者だから仕方ないわな」となり、後者は「あぁ、酷い目に遭った!騙された!」となる。
結婚も似たようなもんじゃないかなと思う。
結婚なんて、一般的に人間が欲しがるような短絡的な幸せを得られるものじゃないのに、それを勘違いして自分都合の幸せが手に入るものだと思い込んでいる人が安易に結婚をしたがるのかな。
結婚前、結婚に積極的なのは女性に多く、男性は消極的なケースが多いように思います。
「彼と結婚したいけど、彼からは結婚のけの字も出て来ません」
「彼に結婚の話をしたんですが、あまりその気がないみたいで悩んでます」
といった女性の相談はよく耳にしますが、男性のそれはあまり耳にしません。
男性の場合はよほど年齢が(30代後半から40代)行かないと、結婚に焦るという感覚はなさそうです。
結婚前は男性に比べ女性が積極的なのに対して、実際に結婚をするとすぐに離婚を口にするのは女性に多く、かつて結婚に消極的だった男性の方が離婚を避けようと逆転するのが面白い所です。
人間、自ら辛く苦しい場所に飛び込みたい人なんていないでしょうから、やはり結婚したい結婚したいと安易に言う人は、結婚に自分のメリットしか見てなくて、ろくな腹決めも覚悟も持ってないんだろうと思います。
安易に離婚を考える人は結婚すべきではないですね。
結婚してもいいけど、子供は作るべきじゃない。
こんな言葉がありました。
【昔は、結婚というものは初めから辛いものだと覚悟していた。今みたいに夢なんか抱いていなかった。花嫁は泣きながら嫁に行ったんです。だから僅かな幸せを喜べた。つまりマイナスから始まっていたのでちょっとしたプラスがすべて幸せになり、結婚も上手く行っていたんです】
【悪い夫を手に入れる女性は、たいがい結婚を急ぎ過ぎた人です。よい夫を得られるなら、いくら結婚が遅れても、遅すぎることはありません】
なるほどなと思いました。
>> 11
辛かったですね。
私も、いま、離婚しようとしています。
一番上は、今度、中学生になります。
両親の離婚は、たとえ、父親に失望し…
夫婦の離婚は片方だけが悪いのではなくて、双方に落ち度や至らなさがあっての事だと思うので、11さんは自分一人を責める必要はないと思います。
離婚って一口に言っても様々なケースがあるので、僕の場合は物心付く前に両親が離婚している為に、父親の姿を見ぬまま、ひたすら母親から父の悪口を聞かされるという片寄った境遇で育ってしまいましたから、11さん家のように、子供が小学校・中学校ならば実際に自分の目で父の姿や夫婦関係を見ているでしょうから、その上で母親が離婚を選択した事は、お子さんたちは僕なんかよりはずっと納得出来るものがあるんじゃないかと思います。
恨んだり責めたりしてもどうしようもないですよね。
最初から離婚したくて結婚する人なんかいないだろうし、でもやっぱり人間は未熟な生き物で、なかなか難しいと思います。
過去の記憶が消去出来ればいいんですが、もうあんま誰かを憎んだり、過去を恨んだりするのは疲れる…
>> 21
主さん
私もつい子どもに父親である夫を悪く言ってしまいます。
気を付けなくてはいけないですね。
養育費を払いたくないと…
僕の母親は異常なくらい僕を父と重ねて見ていました。
たとえば妹と喧嘩をしたりすると、きちがいみたいに激情して僕を貶して怒るんですよね。
きょうだい喧嘩なんて誰でもすると思うし、どっちが悪いもないような些細な喧嘩なんですが、僕と妹が喧嘩してる姿は、かつての自分(母)と夫が喧嘩してる姿に重なるんじゃないかと感じます。
僕が夫で、妹が自分自身(母)に見えるんでしょうね。
だから異常なくらい妹をかばい、僕を貶す…
とにかくヒステリックで感情を押さえられない支離滅裂な人です。
僕がまともに育つ訳もないですね。
>> 24
お父さんに会って話してみたら?
市役所に行って戸籍を辿るか、母親に聞くとか親戚に聞いてみるとか。
もしかしたら心が癒されるかもしれないし…
ありがとうございます
父がどんな人なのか、顔も見てみたいし、会ってみたい気持ちはあるんですが、でも実際に会う事は考えられないというか、怖いというか、上手く言えないんですが…
母親から悪い事しか聞いてないからなのか、もし会う事を拒否されたら…という気持ちもあります
一番怖いのは父に会う事を拒否される事だと思います
母からさんざん父の悪口を聞かされて来ましたが、どこかで「父には父の言い分があって、夫婦は上手く行かなかったけど、息子である僕には多少なりとも想いはあるんじゃないか」という希望的観測があって、それが唯一自分の支えだったので、もしそれが崩壊したら…という思いが踏み出せない要因のような気もします。
>> 41
主さんの焼きそばの話、泣けました。さぞ悲しかった事でしょうね。
良くできると思う様な罪な事をしますよね。私も断じて許せません!!
勿…
ありがとうございます
焼きそばの話ですが、いとこ(兄)は量に差があった事に気付いたのか、僕と目が合い、バツ悪そうな顔をしていました
直感で、(あ、いとこ(兄)は分かってるな)と思いました
その時はお互い何も言いませんでしたが、だいぶ後になって、昨年なんですが、久しぶりにそのいとこ(兄)と会う機会があり、向こうから当時の事を話して来ました
「昔さ、うちの母さんが○○(主)の分だけ量を少なくした事があったね」と
やっぱり気付いていたんだ…と分かって、いとこ(兄)も複雑な気持ちだったんだろうなと思いました
やっぱり自分の母親だし、辛いところですよね
ちなみにいとこ(弟)は全く気付いていませんでした
今でもはっきり覚えてますが、いとこ(弟)はテレビアニメに夢中になりながら焼きそばパクパク食べてましたから(笑)
>> 86
主さんは、知識が豊で言葉を沢山知ってますね
相当な学歴がある方なのかなと察しました
お母さんを憎まれてるみたいだけど、お母さ…
ありがとうございます
母親に愛されたいというのは人間の本能というか、万国共通の子供の望みだと思います
これが得られず、親に自分の存在を否定・拒否されて育った人って、基本的に自己肯定する事は出来なくなると思いますね
離婚について、しない方がいいとか、した方がいいの問題じゃなくて、一番の問題は夫婦が仲良く出来ない事ですよね、結局は…
子供が親に一番望む事は、父親と母親が仲良くある事なんですけどね
ただそれだけ…
きょうだい喧嘩をすると母親って怒りますよね
自分が夫婦仲良く出来なかった事を棚に上げて
子供はそれを見抜いてるから、説得力が全くないんです
自分が出来てない事を子供に押し付ける
だから子供が思春期になった時、反抗期という形で報復される…
反抗期ってのは成長の証しなんかじゃなくて、親の不条理に対する報復なんだけど、それを分かってない親は本当に多いですね
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