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2002年10月15日、一時帰国という名目で北朝鮮から日本に帰国した拉致被害者は…

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匿名さん
17/04/15 12:24(更新日時)

2002年10月15日、一時帰国という名目で北朝鮮から日本に帰国した拉致被害者は、赤坂プリンスホテルに泊まる事となった。

蓮池氏は当時の事をこう語っている。
「都心で、しかも部屋は最上階の方だったので、さぞかし綺麗な夜景が広がっているであろうと期待していた。ところが窓はぶ厚いカーテンで閉ざされ、決して開けないようにと指示された」と…

周囲のビル群に潜んだマスコミのカメラが拉致被害者狙っているというのだ。
実はその夜、蓮池氏は東京散策を希望していたらしいのだが、これも控えるように指示されたらしい。しかしながら、24年振りの帰国、そのまま大人しく寝るわけには行かなかったと蓮池氏は言う。
「私と家内は街が寝静まった深夜、部屋の電気を消し、そっとカーテンを開けました。目に入ったのは夢のような明るさで、ほんの24時間前までは、暗い平壌の夜を見ていたのに、目の前に光溢れる東京の夜に感動を覚えた」と…

日本国内にいる者でも、地方から出て来て東京都心の高層ホテルに宿泊すれば、大都会の夜景がどんなものか見たいと思うものなのに、ましてや電力不足で夜は常に暗闇の中にある北朝鮮に四半世紀も拉致されていた被害者達からすれば、尚更、東京の夜景が見たいと思うのは当然の事だろう。

しかし、この明暗は思い出すのも忌々しい、24年前の事件を蓮池氏に蘇らせた。
「捕縛されボートで運ばれながら、殴られて腫れ上がったまぶたの隙間から見た最後の日本の姿は、柏崎のほんわかとした優しい夜景で、その2日後、北朝鮮に着いて目にしたのは冷たく暗いチョンジンの夜景でした」

殴られて腫れ上がったまぶたという言葉から、連れ去られた時の凄惨さ、恐怖がどれほどのものだったかが分かる。
気絶するまで殴る蹴るの暴行を受け、口にさるぐつわを嵌められ、両手両足を縛られた挙げ句、袋詰めにされたのだから。


そして日本に帰国して5年、初めて韓国を旅する事となった時、飛行機の窓から見える黒みがかった森と、赤みがかった茶色の田野…。朝鮮半島が目に入った瞬間、背筋にヒヤリとしたものが走ったと蓮池氏は言う。

「私の体に刻み込まれていたおぞましい24年間の歳月が、その地を目の当たりにした瞬間、蘇ったのです」

訪ねたくてたまらなかった韓国…その地を見たら、おそらく嬉しさと、楽しい思いに包まれるはずだった。トラウマとはこんな事を言うのだろうか?
気持ちは沈み、外の風景から目が離せなくなった…。
30年前、拉致されて、初めてこれと同じ山野を見た時の事が脳裏に浮かんだ。それは恐怖と絶望の色だった。悪夢のようだった…と蓮池氏は言う。

「一時帰国という名目で平壌を発ち、日本に向かう途中、特別機からこの景色を見下ろしました。その時も期待より不安の方が大きかった。自分の運命がどうなるのか?子供達の将来はどうなるのか?まるで予想がつきませんでした。夢を見ているようで、窓の外を見る私の目はうつろだったと思います。そして今、取材で韓国に向かいながら見る朝鮮半島は、初めての海外旅行だというのに、はしゃぐ気分にさせてくれない色がある…この地の陸続きに、まだ帰国を果たせない多くの拉致被害者がいるのですから…」
蓮池氏の複雑な心境が伝わってくる。

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No.2458827 17/04/15 12:24(悩み投稿日時)

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No.1 17/04/15 12:24
お礼

韓国では占いが盛んで、ソウルやプサンなど大都市の繁華街には、様々な占い屋が看板を掲げて営業している。

「そもそも私は占いというものを信じていません。というか信じたくないのです。占った運勢が良くても悪くても、それに縛られるのが嫌いだからです。これは昔からの事で、決して北朝鮮で長い間暮らしたからではありません。強いて言えば野球のせいだったかも知れない。中学生の時、所属していた野球部が試合をするたびに、私は心で手を合わせ、勝たせてくれ!と神頼みをしました。しかしながら神様に見放されていたのか、いつも負けていました。ところが三年生になったら神頼みみしないのにほとんど負け知らず。汗だらけ、泥だらけで必死に練習をしたからなんですよね。つまり、自分たちは練習のおかげで勝てるのであって、運がいいとか、神に祈ったからではないと思うようになった。北に拉致されて最初の頃も日本に戻れるよう、神様でもなく、仏様でもなく、森羅万象に毎日祈っていた…しかし全く無駄でした。祈っても誰も助けてくれない…。結局、この経験が私を占いなど信じない人間として完成させたようです」
そう蓮池氏は語る。

韓国の占い人気ぶりに、蓮池氏も見てもらう事に…

「今後の運勢がどうなのかを知りたいというより、果たして韓国の有名な占い師が、他の人とは大きく異なる私の過去をどれほど正確に当てられるのかを試してみようという、ちょっと意地悪な好奇心からだったんです」

その占い師はソウル市江南区にある雑居ビルに店を構えていた。そして衝撃の言葉が…

「あなたの21歳から40歳までの人生はとても尋常ではなく辛いものだったでしょう。それは他人にはなかなか経験できない大変な苦労だった。なぜなら、あなたの当時の機運には、木はあってもそれを養う土も水もなかった。火があるだけ。火は木を燃やす。これでは木が苦労するしかない」と占い師は言った。

これを聞いた蓮池氏は驚いたと言う。多少、年齢や内容に違いはあるにしろ、私が北朝鮮に拉致されていた事を知っているかのような口ぶりだったからだ。
占い師は蓮池氏が北に連れ去られた拉致被害者である事を知らない。

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