• No: 22悩める人12(37♀匿名)更新時刻17/04/21 19:12

    現実を逃避したい気持ちは私もあります。死の恐怖とこの現状から逃げたい気持ちが同居してます。だから衝動的に死ぬ行動も取りましたが、どこかでブレーキがかかり、助かりました。ただ、現実逃避の手段としてよく自分が抜ける事があります。自分が抜けて俯瞰して眺めるような感じになるのですね。

    こういう話は確かに誰にも出来ません。話が通じませんね。一度心療内科のカウンセラーの方にそれとなく話しましたが、彼等は今の世間の価値観の中での解決法とアドバイスしかしないので、話にならないと実感しました。死への疑問は俗的なものとは関係ありませんからね。

    話が長くなり申し訳ごさいません。ただ最後に、主さんの殺したい衝動というのは、主さん自身も含まれてると思いますが、生きてる事への実感が著しく乏しいのじゃないかと思いました。それは長い間自分が周りとずれてると思い、自分を殺して周りに無理矢理合わせてきたのが原因なのだと思いますが、自分への価値みたいなものを見出だす材料に乏しかったのじゃないでしょうか。

    私はずっとそうです。自分は居ても居なくてもいいなぁと。そもそも生きてく土台みたいなものが私たちにはないですよね。自分が存在する確固たる意味や理由がしっかりあるなら、それが土台となり生きていけますが、そんなものはありませんからね。じゃあどうやって土台を築くかと言えば、他人からの承認です。自分の存在を肯定してくれる何者かが必要です。その一番の他人は親ですね。親が自分の存在をまるごと認めてくれる事で、自分への価値も実感出来、それが土台となりますが、そこが上手くいかなかったり、他人から強く疎外された経験を持つと、自分への価値が見出だせず、生きてる実感も乏しくなるんだと思います。

    私は未だに自分の悩みなど解決はしてませんが、ただ悩みの正体を必死に探って知る事で、悩みの捉え方が変わり、何とかごまかしごまかし生きてるという感じです。みんなそれぞれ悩みも解決方法も違いますから、主さんへは何のアドバイスも出来ませんが、その悩みや願望はもはや雲散霧消する事はないと思います。だとしたら、上手く付き合うしかないですよね。とにかく生きてもらいたいです。何か望みがあるとするなら、それは生きる選択をした中にしかありませんから。