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自分が何に興味があるのかも考えたくありません。人と関わらなくてはならなくなるから…

回答7 + お礼9 HIT数 709 あ+ あ-

鶴美( 25 ♀ 0s3QCd )
17/12/13 14:58(更新日時)

自分が何に興味があるのかも考えたくありません。人と関わらなくてはならなくなるからです。

わたしに興味を持ってくれる人はわたしが心底貶している人ばかりです。自分が笑顔で写っている写真が大嫌いです。嫌悪感を感じます。いつも心ここに在らずというか、これは自分じゃないと言い聞かせて凌いでいますが無理があります。下心に敏感で好意があると見返りを求められているというプレッシャーから相手を罵りたくなってしまいます。男性とお付き合いどころか、人との向き合い方がわかりません。
両親との会話も語彙力がなく、気持ちの共有や意思の伝達が難しく、言葉に対する先入観が強い両親には言葉を使ったコミュニケーションが苦痛です。


No.2570911 17/12/04 08:27(悩み投稿日時)

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No.1 17/12/04 09:01
経験者さん1 ( 40代 ♀ )

ネットを使える環境にあるなら、ある程度は独学で興味のあることを探せます。
文章を読むこと、動画や図版を見ることも人と関わっていると主さんが思うならダメですけどね。

こうされたら嫌だということばかり考えていたら、そういう人しか寄ってきません。
できるだけ考えないようにして、どんな人なら寄ってきてほしいか考える。
類は友を呼ぶので、まず主さん自身が寄って来て欲しい人の条件を満たせるようになりましょう。

自分のことを考えて色々変えていけるのは、自分しかいません。
人に話すと否定されるなら、不言実行で変えていく。

この国はとかく自己犠牲をしいて、自分のことを後回しにする人を褒め称える傾向がある。
それは搾取のための方便です。

自分を大切にできない人は、人のことも大切にできない。
疲れて余裕がなくなって、頭が回らなくなって、小さな気配りが抜け落ちると、どんどん環境が悪くなって、味方が敵に変わっていくから。

コミュニケーションが取れないほど痛んでいるなら、自分自身の再構築を優先しましょう。

No.2 17/12/05 00:54
お礼

>> 1 回答いただき有難うございます。
他人を知ること、理解することは自分を知ることでもあるので自分から目をそらすために閉じこもって不快感を周囲に与えていたと思います。人の言動の1つ1つが自分に向けられたアピールというか、メッセージ性のあるものに感じて苦痛でしかありませんでした。母親が自覚のない愛着障害持ちでわたしはいつも無自覚に自分を犠牲にしていたように思います。だから、他人に対して過剰な見返りを求めたり、人の行動に対して理解に苦しんだりしたのだと思いました。わたしは「見捨てられる予感」がする人に過剰に反応、執着し、自分を大切にできませんでした。「見捨てられる」という扱いの落差から構ってもらえたことの喜びを感じるからです。わたしの苦痛=喜びを、世間は苦痛でしかない無意味なことのように捉えます。わたしは逸脱したまま生きることで家族や社会に不快感を与えるのならわたしは自分の嗜好を変える覚悟です。わたしは社会から逸脱していることに気づいたのでいっその事、社交辞令だらけになったら楽だと思いました。本音は常に言っていないといけないという事もありませんしね。ただ、本音でないことを母親は理解できません。もう、母親とは会話ができないかもしれません。母親を傷つけないように言った嘘を母親はわたしの心をズタズタにしてお返ししてくるからです。
わたしはわたしらしく、あとは知りません。

No.3 17/12/05 09:56
経験者さん1 ( 40代 ♀ )

仮面と社交辞令で本音を分離した生き方は、私の常套手段でした。

この手法は一長一短です。
鎧に隠した本音を発散できる場がないと窒息します。
続けられるからと無理をすると、いずれ仮面は崩壊して被りたくてもかぶれなくなります。

鎧と仮面で武装して、ある程度楽になってからで構いません。
自分を癒して周りを見る余裕を手に入れてください。

攻撃ではなく、最悪の事態にならないように、自分を犠牲にせずに周囲の人をフォローをする道はあります。
悪意のある人に攻撃する隙を与えないよう、事前に予測して災いの芽を摘むにはそれしかありません。
フォローが通じない人は、心の内側から締め出して2度と入れなければ大丈夫。

自分に帰れる場所や趣味を持つ、どんな時もコンスタントに継続できるものを仕事をする。

誰かが悪く言ったらガタガタになるのではなく、誰に何を言われても歩き続けられるように。

正しいと思ったことを誰かに見捨てられる不安から投げ捨て、一人で泣きながら意に染まないことをするのは愚の骨頂。
決断するなら、今まで正しいと思っていたことの問題点を見極めて、自分の意思で違う価値観を取り入れることを受け入れる。
そうしないと貫けないのでグラグラして迷走します。

No.4 17/12/05 17:59
お礼

>> 3 男性を恋愛対象としてしか見ることができないので苦しいのだと思いました。相手の意図する目的を汲むことができず、また、好意を持たれると恥ずかしい、自分とは対等だと思われたくない相手から誘いを受けたときはどうすれば良いの でしょう?人の笑顔にわたしに拒む権利のない見返りを求められているような気がして怖くなり、拒めなくなる不安からすべての人間関係をシャットダウンしてしまい、自分が関わりたい人を自主的に選んでこられませんでした。妥協するのが屈辱的になって婚期を逃さないようにするために今、自分に何ができるのかわかりません。でも、自分の潜在的な願望が見透かされているような気がしてしまいます。自分の意思で自分と違う価値観を受け入れることは続けていきたいと思います。回答者様のように見返りを求めないアドバイスがわたしにとって最も必要です。
母親と共依存関係にあったので思考回路に偏りがありますが徐々に改善していきたいです。他者評価に振り回されることなく生きている人は強いですね、自己評価を都合よくつけず、いつも世間に晒されている緊張感を持っていきたいものですが、なかなか難しいですね。本音でないといけないことはない、社交辞令でも大丈夫だとリラックスできそうです。適度が肝心ですね。
自分を見失ったり心ここに在らずが続いて迷惑をかけないようにしたいです。ありがとうございました。

No.5 17/12/06 13:06
匿名さん5 

私は男性です。あなたの思いをどこまで理解しているか自信がありませんが、
思うところを正直に書きます。

男性は女性を求めます。精神的にも肉体的にも。これは古今東西を問わず、
一般的にみられる行動で、これ自体は批難できないと思います。
男性には意中の女性に自分に好感を持ってもらえるように接遇する自由があり、
こうした行為自体を「下心がある」「見返りを求めている」等々と批難し、
禁止を求めることはできないと思います。

勿論、あなたには意に添わない求めを拒む自由があります。
私の見立てでは、問題の核心はあなたがこの「拒む自由」を自由に行使できるか
その自信がないところにあるような気がします。

「嫌なら断ればいいじゃないか!」といわれますが、実社会においては
嫌でも断れない場面が沢山あります。
嫌な上司や同僚に囲まれていても、生活のため仕事を辞めるわけにはいかない。
不誠実な夫に愛想を尽かしたが、子供のことを考えて離婚に踏み切れない。

「母親と共依存関係」「見捨てられる予感」等から察するに、
あなたは母親から見捨てられないように自分を殺して生きてきたという思いから、
男性をはじめとする他者からの求めに対して「拒む自由」を行使できないのでは
ないかと不安になっているのではと思います。
だから「自分に向けられたアピールというか、メッセージ性のあるものに感じて
苦痛」なのであり、「見返りを求めないアドバイスがわたしにとって最も必要」
というか「安心」なのではないかと思います。

その人の意に反してその人に一定の行動を取らせる能力を「権力」といいます。
自由と権力の問題について、多くの哲学者・社会学者たちが悩んできました。
その悩みの延長線上にあなたの悩みがあるような気がします。

どんなに自由で民主的な社会であっても、それが社会である以上、権力から
逃れることはできません。
例えば「本音を言わず社交辞令で済ます」についても、処世術として
嫌々そうするのであれば、そこには何らかの権力が働いています。

私はかつて権力に嫌悪感を抱いていましたが、最近は権力は必要なもので、
問題はその適正な運用にあると思っています。一方的でなく、双方向的な
権力関係こそ、理想の人間関係なのではと。

いずれにしても今一度問題を整理されることをお勧めします。

No.6 17/12/06 20:39
お礼

>> 5 基本的に対人関係が苦手で適度な信頼関係を保つのが難しいです。極端に信用したり疑ったりという感じで継続した交友関係がありません。同じ目的を持ってチームワークなどを強制的に求められることにどうしても抵抗があって孤立しがちです。場面緘黙や自閉傾向の自覚があるので伝えられない不安や自分だけ除け者にされているという被害妄想から上手く溶け込むことができない子どもでした。監視されていて1つ1つの言動を笑われるのではないかととにかく汚れたもの、汚れてないものに敏感で執着しがちです。
回答者様とまだ話してみたいです。わたしが心を許している家族から受けるアドバイスは見返りを求めたり、誘導的なものでしかありません。誘導したり指示しないと糸が切れた風船みたいにわたしが手の届かない、理解できないところへ行ってしまうのではないかと母も不安なのでしょうね。母も心を閉ざしている大人なので子どものわたしは今までは責めたりしましたが、もう許してあげることのほうがわたし自身のためでもあると思います。
理解できないものに対して嫌悪感を抱くのでしょうか?権力と一括りにいっても、そこには権力を行使せざるをえない環境があり、自分も関わっていた、当事者であったと知ることで見方が変わったのですか?
文章で分かりやすく説明されるととても安心します。理解できないものに対して過度に抵抗があります。こういうものだ、こういう理屈でやっている、こう思われるからこうしているのではない、演技ではなく、本心だとか人の行動に対する解説や説明がほしいです。気持ちと行動は必ず一致するものでないと教えてほしい、理解できないことが多すぎます。
誰にでも人懐こく距離を詰めてくる女性好きな男性によく目をつけられてどう反応していいのか、分かりません。興味本意でも持ってくれて嬉しいと思う自分が情けないです。それ以上は距離も縮まないし、理解も深まりません。早く相手が興味を失って嵐が過ぎ去ってくれるのを待ちたいです。そういう男性にわたしの本心を暴かれるのがとても怖いです。

同性の友人ができないのは心を閉ざした母の影響が大きいです。子どもは親を選べませんが、子どもが親を評価できて、失敗さえも許しあえることができればいいのに、わたしの母は両親を許すことを拒まれた閉ざされた限界のある人です。愛の形はそれぞれと理解し合える人と早く出会いたいです。

No.7 17/12/07 14:16
匿名さん5 

私は人の言葉を額面通りには受け取りません。
人の言葉からわかるのは、話し手が聞き手にどういう印象を与えようとして
いるかであって、それをそのまま本音とは考えません。
本音はその人のおかれた環境や言動と自分の知識や経験を照らし合わせて
「推し量る」ものです。「聴き出す」ものではありません。

「本音を語らない」という意味で、人は皆「心を閉ざしている」といえます。
これができる人、本音を語り合わなくても社会生活ができる人を私は「大人」と呼びます。
厳しい言い方になりますが、そういう意味であなたはまだ「大人」になりきれていない
と思います。


私は権力と自由を単純な対立関係でとらえていたので、自由を重んじる故に権力に
嫌悪感を持っていました。しかし、各自が自分の欲求のみで生きていたら社会は
成り立ちません。国家であれ企業であれ家庭であれ、組織が組織的に活動するためには
その構成員は自分の欲求を一定我慢して自分の意思を組織の目的に合わせる必要があり
ます。しかし、だからといって滅私奉公的に構成員が組織の中枢に盲従すればいいとは
思いません。中枢は折々に構成員全体の審判を仰ぐべきであり、意に反する中枢は罷免
されるべきです。これが権力の双方向性です。中枢は組織目標の設定や組織命令の発動
によって構成員に権力を行使し、構成員は審判・任免により中枢に権力を行使します。
権力の源泉は相手の必要性です。中枢は構成員を必要とし、構成員は中枢を必要とします。
構成員が中枢を必要としなくなると組織は崩壊することになり、
中枢が構成員を必要としなくなると組織は独裁へと陥ります。

また厳しい言い方をしてしまいますが、
「あなた=構成員」「お母さん=中枢」とかなり乱暴に類比すると、
あなたはお母さんを必要としていたかと思いますが、
お母さんはあなたを必要としていましたか? 多分そうではないでしょう。
しかし、このような非双方向性=親の子に対する独裁は、あなたの家庭に限ったことでは
ありません。私もそうでした。思春期とはまさにこの独裁への革命行動なのです。
あなたはこの革命行動を経験しましたか?


「対人関係が苦手」「男性関係」「同性の友人ができない」等も
「本音は推し量るもの。」「権力の双方向」をキーワードに
再考されてみてはいかがでしょうか?

  • << 9 わたしは母がわたしを必要としていると思い込んで疑いませんでした。必要としていたのはわたしの方です。母には母の考えがあると個人を尊重できず、敬意が足りなかったのはわたしの方かもしれません。本人にとって漏らすことはリスクになる本音を無理に直接的な言葉によって聞こうと欲を抑えられず、社会一般的な本音を推し量ることができていなかったのはわたしです。エリートでいようと見栄を張ったため、革命行動は気付かれたくなかったのです。本音を暴かれないようにすることがわたしの最も守りたいことでした。プライドが高いからです。成長を自ら邪魔してしまいました。 拗らせた人というレッテルを貼られることのないように歯車を回し続けなければならなくなりました。アイデンティティが常に不安定なので前に進むしかありません。とにかく、簡単に自分のことを知って欲しくない、自己開示なんてしたくないというのが本音です。だから、少数派であるけれども個性として発揮できなかったわたしには、本音ってあんまり大差ないよね、という暗黙の了解が蔓延る慣習は苦手です。苦手でないものもあり、苦手な部分だけが目につくだけかもしれませんが、選択の余地がなく強制的に池に飛び込まなければならない感覚の状況が人よりも多く、耐えられないのです。 母と会話が成り立つことは社会で会話が成立しないこと、社会と会話が成り立つことは母と会話が成立しないことでした。どちらかを拾ってどちらかを捨てるという選択を余儀なく迫られていたことが常にストレスだったのかもしれません。母からはいつもわたしと社会、どちらが正しいと思うのかを言葉に出さなくても行動を監視されて求められていたような気がします。お互いが求めていました。これを束縛、共依存というのでしょうか? わたしは言葉を額面通り受け止めること以外の使い道を知らなかったのですね。

No.8 17/12/07 20:54
お礼

>> 7 わたしの愚問とも思える奇行に付き合わせてしまって申し訳なく思います。自分から学ぶ勇気がなく自分が乞食のように感じます。知識をつけることをとても恐れている自分がいます。知識をつけたからといって偉くなるわけではありません。社会的ステータスを身につけたからといって自分の価値が変動するわけでもありません。それは周知の事実なのに、世の中全ての人がそうできないのは頭の隅では全員が同じ知識を持っていると社会は成り立たないことを知っているからでしょうか。自分から搾取されるのは嫌だけど、搾取される人がいないと世の中は成り立たないと気付かざるを得ないのが行き着く現実です。気付いた人だけが自分の足で歩いていると思います。わたしは知識の有無に過剰に執着心がありました。その壁を超えてはならないような、知識があることを恥じなければならないような、あまり理解できないおかしな感覚です。
「本音は推し量るもの」「権力の双方向性」のどちらもいまのわたしには何故か理解が及ばないものだと感じます。厳しい言い方だとと仰いますがわたしにも理解できるように噛み砕いて下さっていませんか?本来わたしが標準に合わせなければならないのに我儘だと思いました。わたしは弱さを自覚してからというもの、本音を言うことがリスクであると感じるようになりました。そればかりではありませんが、母の知っている社会とわたしの関わる社会に溝ができることを恐れないようにしたいです。
自分より目上が目下か、その基準しか持ち合わせられないという自縛がとても自分を苦しめていることは分かります。
本当にわたしはまだまだ社会を知らず、頭でっかちで偉そうに知ったようなことばかりで恥ずかしいです。視野を広げてたくさんの人と関わり、材料を集めた上で再考してみます。

No.9 17/12/07 23:59
お礼

>> 7 私は人の言葉を額面通りには受け取りません。 人の言葉からわかるのは、話し手が聞き手にどういう印象を与えようとして いるかであって、それを… わたしは母がわたしを必要としていると思い込んで疑いませんでした。必要としていたのはわたしの方です。母には母の考えがあると個人を尊重できず、敬意が足りなかったのはわたしの方かもしれません。本人にとって漏らすことはリスクになる本音を無理に直接的な言葉によって聞こうと欲を抑えられず、社会一般的な本音を推し量ることができていなかったのはわたしです。エリートでいようと見栄を張ったため、革命行動は気付かれたくなかったのです。本音を暴かれないようにすることがわたしの最も守りたいことでした。プライドが高いからです。成長を自ら邪魔してしまいました。
拗らせた人というレッテルを貼られることのないように歯車を回し続けなければならなくなりました。アイデンティティが常に不安定なので前に進むしかありません。とにかく、簡単に自分のことを知って欲しくない、自己開示なんてしたくないというのが本音です。だから、少数派であるけれども個性として発揮できなかったわたしには、本音ってあんまり大差ないよね、という暗黙の了解が蔓延る慣習は苦手です。苦手でないものもあり、苦手な部分だけが目につくだけかもしれませんが、選択の余地がなく強制的に池に飛び込まなければならない感覚の状況が人よりも多く、耐えられないのです。
母と会話が成り立つことは社会で会話が成立しないこと、社会と会話が成り立つことは母と会話が成立しないことでした。どちらかを拾ってどちらかを捨てるという選択を余儀なく迫られていたことが常にストレスだったのかもしれません。母からはいつもわたしと社会、どちらが正しいと思うのかを言葉に出さなくても行動を監視されて求められていたような気がします。お互いが求めていました。これを束縛、共依存というのでしょうか?
わたしは言葉を額面通り受け止めること以外の使い道を知らなかったのですね。

No.10 17/12/08 08:45
匿名さん5 

親や教師等の大人は子供に建前を教えます。本音は言いません。
子供は成長するに従い「どうも違うぞ」と気付きます。
友人の話や新聞雑誌、小説、そして何よりも自分自身から沸き上がる欲望によって。
そして革命行動が始まります。「きれい事ばかり言いやがって」と。
しかしその後気付きます。社会で生きていくためには建前を知る必要があったのだと。
そして大人は立場上、子供に本音は語れないものだということを。
こうして人は「大人」になります。

組織は構成員が自分の時間や労力やお金等を供出しないと成立しません。
中枢はこれらを組織活動を通して構成員のために使うことを期待されます。
もし中枢のためだけに使ったら、この「供出」という行為が搾取と認識されます。
搾取か否かは、まさに権力の双方向性が確保されていないかいるかによります。

身も蓋もなく聞こえるかもしれませんが、親にとって個々の子供は絶対的存在ではあり
ません。ある子が死んだらまた産めばいいのです。多産多死社会ではそれが日常です。
これは現代日本のような少産少死社会でも同じです。だから親は常に子の独裁者です。

子供は自分を必要としない親から必要とする異性に逃避します。これが思春期です。
異性愛の本質は、相手が自分を必要としていることです。
だから原則二股は許されず、「不倫」と断罪されます。

しかしこうした思春期の論理が最近薄れてきたと思います。原因は医療の発達です。
子供が死ななくなり、また老後の介護等を期待することになり、子の必要性は高まり
ました。生殖能力を失った親にとっては、もはや子供は絶対的な存在です。
親子間の権力関係は双方向性を超え、遂に逆転します。
こうなると革命行動の必要性がなくなる。思春期がなくなる。子供は家庭から出る
必要がなくなる。これがあなたが言う「束縛、共依存」の正体では?
私は少子化の根本原因はこれだと思っています。

母と社会(最も身近な社会とは、愛する男性との関係です。)の選択で悩んでいる
こと自体、私のような古い人間には不思議に思えます。

  • << 12 わたしの精神が誰の目にも届くことのない水面下で縛られているのを助けて、助けて、と助けを求めていましたが、もう私は自分で出ていけるのでした。なんて愚かでしょう、時間も無駄です。わたしは十分魅力的であることをわたし自身が知らなかったのです。母の態度や助言、言葉や相槌はいつも私を不安にしかさせませんでした。感情がなく、オウム返しで、自己流による思い込み、わたしの社会的地位や人としての価値を貶めようと足を引っ張るところ、わたしの向上心を否定し、低俗で妥協して生きている人たちに愛想を振りまいて菌の繁殖を自ら手伝い、カビの温床を作っているようです。わたしは努力しない人は容赦なく切り捨てますなにも、自分を犠牲にする必要はないと思います。母は何故かわたしが断れないのを知っていてそういう人たちと関わることを強要しますが何か後ろめたいことでもあるのでしょうか?

No.11 17/12/08 23:37
お礼

>> 10 わたしとは異なる視点から見た価値観を共有することができてとても嬉しく感じます。少子化については責任を感じていますし、誰もが当事者であることをもっと知るべきだと思います。もしかすると、わたしが少子化の問題について知らないだけかもしれませんが、わたしも社会の新陳代謝が正常に働くようにある程度身の丈にあった知識と経験を積んだら適齢期で出会って子どもを立派に育てて社会に送り出したいです。親がそうしてくれたように。そして、子どもを産めない人は自分のためだけに生きるのではなく、人のために、生きて欲しいです。
自分のことばかり考えていて、わたしにとっては拒絶対象でしかないのに許してくれ許してくれという精神的圧力を受けてしまい、自分の関わりたい人と関わることができません。自分の価値を貶めようとする人をいつも気遣う理由が自分でも良くわかりません。文句を言いながら仕事をする、そういうことを聞かなければならない環境が耐えられません。文句を言う人はどうして同調してもらおうと断れない精神的圧力を周囲に撒き散らすのですか?これこそわたしにとって精神的なハラスメントです。
わたしは男性から潜在的な欲求を見透かされているのではないかという不安感から男性と話すことができません。女性らしさを意識しないと出せないのは致命的な欠陥です。意識してでる女性らしさは作られた偽りのもので見破られます。母はわたしに嫉妬してわたしが男性から女性としてみてもらえない、寵愛されないように意図的に育てたと思います。娘を自分の引き立て役としか思わない人ですから私はやはり早く革命を起こし、異性と共に成長するべきでした。母は無知ゆえ思い込みや被害妄想があり、自己流に解釈して自分の都合のいいようにわたしを洗脳しようとしたりするので残念ながら信用されなくなっても仕方ないのです。わたしも自然体でいることが女性らしい女性です。そう育ててくれる、思わせてくれる母であってほしかったです。

No.12 17/12/08 23:56
お礼

>> 10 親や教師等の大人は子供に建前を教えます。本音は言いません。 子供は成長するに従い「どうも違うぞ」と気付きます。 友人の話や新聞雑誌、小説… わたしの精神が誰の目にも届くことのない水面下で縛られているのを助けて、助けて、と助けを求めていましたが、もう私は自分で出ていけるのでした。なんて愚かでしょう、時間も無駄です。わたしは十分魅力的であることをわたし自身が知らなかったのです。母の態度や助言、言葉や相槌はいつも私を不安にしかさせませんでした。感情がなく、オウム返しで、自己流による思い込み、わたしの社会的地位や人としての価値を貶めようと足を引っ張るところ、わたしの向上心を否定し、低俗で妥協して生きている人たちに愛想を振りまいて菌の繁殖を自ら手伝い、カビの温床を作っているようです。わたしは努力しない人は容赦なく切り捨てますなにも、自分を犠牲にする必要はないと思います。母は何故かわたしが断れないのを知っていてそういう人たちと関わることを強要しますが何か後ろめたいことでもあるのでしょうか?

No.13 17/12/09 14:48
匿名さん5 

子が死ななくなり、子はかけがえのない存在になりました。
親も死ななくなり、老後を子に期待するようになりました。
親子の権力関係が逆転し、子にとって家庭は「安住の地」になってしまいました。
私は学齢期を超えた子にとって、家庭は「安住の地」であってはならないと思います。
子から独立心を奪うからです。独立心の中には異性愛も含まれます。

「共依存」という概念はアルコール依存症の夫の妻の行動観察から生まれました。
妻は不平を言いつつも夫を甲斐甲斐しく世話し、そこに「生き甲斐」を見いだしています。
よって夫の回復を素直に喜べず、場合によっては妨害することもあります。
自分の「生き甲斐」を失うことへの不快感によるものです。
だからアルコール医療は、患者とその補助者を同時に治療しないといけないといわれます。

あなたとあなたのお母さんの関係を「共依存」と表現したのは正鵠を射ていると思います。
あなたのお母さんはあなたを手放したくないので、知らず知らずのうちに、あなたに
愛する男性が出来ないように育てたのかもしれません。
あなたのような女性は世間に沢山いるような気がします。私の身近にも一人います。

 しかし、「人が死ななくなると人は子を産まなくなる」という現象は、
 考えてみるとよくできた仕組みです。
 巷間言われる「少子化対策」に私は懐疑的です。なぜなら人口爆発が起こっている国は、
 必ずしも「子育て環境」が整っているわけではないからです。「子育て環境」の改善の
 目的は、困っている人への援助であって、「少子化対策」であってはならないと思います。
 今ある社会制度を守るために「少子化対策」をするより、
 少子高齢化に合わせて社会制度の方を変えていくべきです。

あなたが男性に不安を感じるのは当然です。
人間関係は手探りの連続ですし、相手が異性ならなおのことです。
とても怖いんですよぉ。私の男性の友人には、女性関係から心を病んだり、
仕事を辞めたりした人が沢山います。

人の心を見透かすことなんて誰もできません。「推し量って」いるだけです。
でも女性を口説くときはよく使われる台詞です。「君は本当は…」みたいに。

しかし、1000字の字数制限ってつらい。これまでもかなりはしょりました。
今回もここまでにします。

  • << 15 会社は対価としてわたしに楽しいと言ってもらおうとします。わたしは働くことに対して必要以上に楽しさを求められても困ってしまい、プライベートと仕事は分けたいと思います。とても愛想が悪く、職場の人とはぎこちない空気が漂よってしまい、逃げ出したくなりますが、人と打ち解け合うのがとても怖いです。強要の連続だからです。他人のセンスの悪い趣味を受け入れたくない、潔癖だからだと思います。わたしはご存知の通り排他的で人に対する理解が浅いです。 おじさんにたぶらかされて嬉しいならわたしは変態でしょうね。おじさんはなんとも思ってないのにわたしだけ相手にされただけで嬉しくなってバカみたい。人並みの恋愛をすればいいのに。

No.14 17/12/11 22:10
お礼

>> 13 わたしは人にたくさん伝えたいことがあるはずなのに伝え方が上手くないのでつい、知識のある人を頼って意図を汲んでもらおうとしてしまいます。他力本願を続けても祖母のように生きていけることを知ってしまった人生の理不尽さから自分は断ち切る努力をしたいのです。
虐待という言葉がわたしにはよくわかりません。わたしは長時間正座を強いられたり、食事中ピリピリした空気に耐えることが居心地がよく、世間からは理解されませんが母の愛と感じます。母から受けた心の傷を母が傷のまま子どもに強要することは虐待かもしれませんが、母親が受けた傷をどのように解釈し、受け入れたかということが子どもにとって知りたい情報だと感じます。まさにわたしは当事者で、母親から強要されたことは母のなかでどのように解釈され、わたしに引き継がれたのか探り続けています。愛であってほしいと思いながら。母の本音を他人が代弁することはできません。母は心を開くことはないので本音は迷宮入りです。仮死状態です。
わたしは「本音は推し量る」ものと理解してから世界が違って見えます。わたしは本音を聞きたいばっかりにせっかちに迫ることがあったかもしれません。母との関係の中でそうなってしまったのは残念です。母は人の気持ちを理解しません。理解することは損でしかない環境で育ったからです。わたしに同情を求め、過剰な見返りを求められていると思います。でも、非難する気は全くないのです。ただ、共倒れすることは私たちだけの問題ではなくなってしまうのです。
母の幸せを願い、子の幸せを願い、社会全体を愛せるようになれるでしょうか?

No.15 17/12/11 22:38
お礼

>> 13 子が死ななくなり、子はかけがえのない存在になりました。 親も死ななくなり、老後を子に期待するようになりました。 親子の権力関係が逆転し、… 会社は対価としてわたしに楽しいと言ってもらおうとします。わたしは働くことに対して必要以上に楽しさを求められても困ってしまい、プライベートと仕事は分けたいと思います。とても愛想が悪く、職場の人とはぎこちない空気が漂よってしまい、逃げ出したくなりますが、人と打ち解け合うのがとても怖いです。強要の連続だからです。他人のセンスの悪い趣味を受け入れたくない、潔癖だからだと思います。わたしはご存知の通り排他的で人に対する理解が浅いです。
おじさんにたぶらかされて嬉しいならわたしは変態でしょうね。おじさんはなんとも思ってないのにわたしだけ相手にされただけで嬉しくなってバカみたい。人並みの恋愛をすればいいのに。

No.16 17/12/13 14:58
匿名さん5 

躾と虐待の区別は一般に考えられているほど明確ではありません。
例えば、通常子供の躾に子供の「合意」は必要ありません。
だから「合意があれば躾、なければ虐待。」とは区別できません。
また行為と効果を対比させ「効果があれば躾、なければ虐待。」ともいえません。
躾に限らず、教育は行為と効果が1対1に対応するものではないからです。

最後は親の子に対する思いの問題になりますが、これもはっきりとはしません。
例えば、あなたのお母さんは、自分の親からされたことを
愛情表現と思って、あなたへの愛ゆえに、同じことをしているのか、
虐待と思って、あなたに同じことをして、憂さを晴らしているのか、
一概には何ともいえません。

もっと言うと、愛情と憎悪は対立概念でありながら複雑に絡み合っています。
可愛さ余って憎さ百倍。激しい憎悪感情の根底には深い愛情や尊敬があるものです。
同じ行為でも行為者に対する感情で正反対の意味をもつもので、
愛ゆえの行為を憎悪の表現と誤解することもあります。その逆もあります。
そもそも一つの行為自体に愛憎が交錯することもあります。それが人間です。

だから、もし可能なら、無理に白黒はっきりさせず、
複雑なものを複雑なまま認識することをお勧めします。
私を含め、この「お悩み掲示板」の回答者たちが苦手なことですが…。

実はもう少し書きたいことがあります。
それは「本音は推し量るもの」の次、「相手の立場に立つ」ことについてです。
残念ながらまた字数制限に阻まれました。それはまたの機会に。

追伸 私は51歳の男性です。

あなたより長く生きてますし、失敗の多い人生だったので、
分野によってはあなたより知識があるかもしれません。

私はあなたとの対話を人生における大切な出来事として心に刻んでいます。
「なんとも思ってない」なんてこと、ありませんよ。

ただ、私との対話によってあなたが自己不信に陥るようなら、
私はどうお詫びをしたらいいのか、言葉が見つかりません。

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