- 注目の話題
- アプリで知り合った人がいます。一応会う話になりましたが、何をするかやんわり決めてまだ日にちや日程を決めていない時に、顔交換しましょうよと言われました。このタイミ
- 自治会で同じ班の人が、会長に自治会抜けると言ってきたそうです。 我が家は今自治会の班長で、会費を集めに行ったのですが、その時の対応があまりにも酷いから辞めたい
- 今って障害のある子どもが生まれる確立って高いんでしょうか…? 私が子供の頃は学校全体で2.3人ぐらいでした。 SNSが普及して、目につくようになった、 そ
幸せになるために長年奮闘しています。数多の自己啓発本を読んでは、実践し、違和感を…
幸せになるために長年奮闘しています。数多の自己啓発本を読んでは、実践し、違和感を感じ、なにより幸せになれていない。
定職があり、三食食べれて、友達がいて不幸ではないと思うのですが、幸せとも決して思いません。
世の中には、楽に幸せになっている人、それでいて道徳心が欠落している人が多いと感じています。
自分の人生を幸せにしたいです。
考え方を変えたり、努力したって辛いだけ。
楽に幸せになってきた方々に、聞きます。どうして楽に幸せになれたんですか?
新しい回答の受付は終了しました
自己啓発本を読まれたとのことですが
七つの習慣、道は開ける、嫌われる勇気、などでしょうか。
自己啓発本だけでなくて、聖書、論語などは読まれましたか。
信仰を持たない人でも聖書の<自分にしてほしいことを他人にも行う>という
黄金律と呼ばれるものと、福音書の山上の垂訓は知っている方もいますね。
西郷さんの敬天愛人が、聖書なのか儒教からかは説はありますが、
部分的に共通するところはあるでしょう。
幸いな人とは。。であると、聖書には八福の教えがあります。
(ネットでも読めますが。マタイ福音書5章1〜12節です)
そこには必ずしも、楽している人や悩みがない人が幸せとは
ありません。
幸いなのは、公正さを望み誠実で、柔和で憐れみ深い人(自分や人の弱さを
赦すことができる人)でもあると書かれています。
自分に足りない恵みを(報いを)悲しむののは、不満を生むので
幸せや満足が逃げていきます。
自分の未熟さを悲しむ。。自分の成長を望む気持ちがあれば、
ある程度、衣食住や良い人間関係があれば、幸せであると感じます。
自分が恵まれているかどうか、報いを受けてるかどうかなど、
見返りを重視するのでなく、<自分がどのように生きるか、
どうあるか>信念や尊厳を持って生きた方が、幸せであるということだとおもいます。
第一テサロニケ 5章16〜18
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。
感謝するというのも、よく自己啓発書などで言われますよね。
自分の幸せだけでなくて、人の幸せを願うこと、祈ることも大切なことだと
おもいますよ。
多くの自己啓発書は、聖書などから
ヒントを<部分的>に得たものも多いですが、
抜け落ちている部分もあるので、オリジナルを読まれるのもいいでしょう。
聖書やその他信仰の書と自己啓発書の違いは、
神様など人間よりも上の権威者への敬愛です。
自尊心は持ちつつも、人間中心や自己中心ではなくて、神中心、
原則中心や、公儀、多くの人の幸せを大切にするという考えを持てれば、
自分に注目しすぎないですみますし、今自分にある幸せに感謝できるとおもいますよ。
自己啓発本を読んでも、実践しても変わらない、満たされないという人は、
人生は自己中心(人間中心)という考えや<認識>が根本にあるから
かもしれません。
>> 1
自己啓発本を読まれたとのことですが
七つの習慣、道は開ける、嫌われる勇気、などでしょうか。
自己啓発本だけでなくて、聖書、論語などは…
回答ありがとうございます。7つの習慣、道は開ける、人を動かす全て読みました。
私が好きなジェームズアレン先生の原因と結果の法則1から4も読みました。キリスト教の影響がかいまみえる印象で。
私は無心論者で、極力スピリチュアル的な要素は排して考えていきたいです。(それでも関心はありますが)
貴方の御指摘通り、私は考えが自分、または自分の大切な人中心です。
何故なら、まず幸せは自分ありき、自分を犠牲にして、人を幸せにする行為に違和感を感じるからです。
自分が幸せでないのに、人を幸せにできるはずがないので。
だからこそ、私は一度きりの人生をいかに幸せに生きるかを、学んできたつもりです。
主さんの幸せってそんなにハードル高いんですか?
今日は見たいテレビがある、週刊誌の発売日だ、あれ?見たこと無い酒がある、その程度の小さい幸せがあり
たまに飲み屋で面白い客と飲めた‼とかウマイラーメン屋に当たったとかで全然幸せなんですが。
俺が思うに、幸せとか充実した人生って赤の他人に優しい人のほうがなりやすいと思うんですが
ボランティアや集会、イベントが多いですから充実しやすいかと
自己啓発書の多くは、キリスト教が広まっている社会で育った人に
よって書かれていますから、聖書の教えや価値観の影響は受けていますね。
幸せは自分ありき。もちろん自分が幸せであることは大切です。
しかし幸せを感じられないのですね。
単調で刺激が足りないと感じるのでしょうか。
神中心というのは、何も修道士のような生活をして
自分や家族や友人の幸せや楽しみを否定することでもありません。
神様抜きの人生を改めて、神を受け入れた生き方をする。。
信仰(信頼)とは、結婚とも比喩されます。
愛、信頼、従順(奉仕し合う)責任もそれなりに生じます。
自分を犠牲にして幸せにするというのは、おそらく
マザーテレサなど、人生のほとんどを貧しい人や病気の人に
無償で尽くしたことを想定して言われているのでしょうか。
マザーの生き方は<貧しい人への自己犠牲>に思うかもしれませんが、
彼女は神様への愛と感謝や隣人への愛を示すために
選んだのが、<貧しい人への奉仕>という生き方だったと思います。
牧師や宣教師になって、信徒や未信徒たちを教え支える人もいます。
医療、福祉関係や教育関係の仕事をされて収入を得られている方もいます。
その他私のように普通の信徒たちは、家族や友人、仕事場や地域、
プラス教会の奉仕など、身近でできる範囲で、できることをしつつ
特に一般的な人と変わらない生活を送っています。
医者にも行きますが、違うのは、聖書を読んだり祈ったり、
知恵や平安を主にも委ねることができるところです。
そして、今の命が全てとは考えてなくて、死後には
天国への道があると信じています。
今の80〜100年くらいの人生が全てではないと考えているのが
他の人との違いだと思います。
死後に対する考え(死生観)によって、生き方や価値観
困難に対する捉え方は違ってくると思います。
家族や地域の人、仕事場でに責任を果たしたり、
親切にしたり協力ができるにしても、
相手を<幸せ>にできるかはまた別ですよね。
それでも、できる範囲で愛情(関心)を示すことはできますね。
でも相手がどう感じるかは、コントロールできません。
自分と身近なところで精一杯とのことですが、
ボランティアも色々なものがあります。
自分の持つ資格を活かしたものもあるでしょうし、
地域のボランティアなどもありますよね。
人の欲望は尽きないですね。上を見ればキリがない。下を見てもキリがない。指や足が動かせる幸せもあれば、好きな人がいる幸せもある。お金が沢山ある幸せもあれば、人が助けてくれる幸せもある。
きっと主さんが何もかも手に入れたとしたら、その時、主さんは幸せだとは思わないでしょう。今度は何を欲するのでしょうね?
クリスチャンや聖書の考えに対して、滅私奉公?
自己犠牲を払って、人を幸せにするというイメージ
(期待、誤解)を持つ人はいますね。
しかし誤解なので、少し認識を見直していただけたらと思います。
聖書の知識がない方も多いので、クリスチャンへ
良くも悪くも誤解や期待、時に偏見や敵意を持つ方も
います。
私も母に、それでも(その程度で)クリスチャンなのかと
最初は言われたこともあります。
クリスチャンはマザーテレサか聖人と呼ばれる人のように
、無欲で間違いを犯さない自己犠牲的な人間であるべき
あるはずというイメージや、過度の期待があったのだと思います。
真面目と言いますか、思考が硬い部分があるのかもしれませんね。
本を読んでも、実践しても 腑に落ちないのは
自分の主観(認識)が変わってないからかもしれません。
人と比較して、もっと〜べきと思ってしまうのかもしれません。
この世は不平等ですし、理不尽なことは多々起こります。
この世は天国ではありませんから、公正には行きません。
自己犠牲と捉えるか、人として当然の義務(〜すべき)と考えるか、
愛と責任感ゆえに自主的に労力を払うと考えるか。。
同じ経験をしても、状況にあっても
その人がどう認識するかによって、辛いと思うか、
ストレスやプレッシャーで苦しむか、
大変だけれども、できるだけやろうと思うか、差が出ます。
他の方もおっしゃるように、大変であるのは
事実でも、いわば、5の困難は5と受け止めるのでしょう。
自分は誠実に生きてるのに、なんで。。とか、もっと〜べきとか、
マイナスの感情や期待や、変えられない事について、とらわれるのでなく、
苦しい事実をありのまま(プラマイ0)で受け止める事も
できると思います。
小さな幸せも、自分はこの程度の幸せでなくてもっと
幸せであるべき。。と思わないので、小さな幸せとして喜べる、
感じられると思いますよ。
ニーバーの祈りも聞いたことはあるでしょうか。
(渡辺和子氏もその著書で引用されてましたが
嫌われる勇気でも、引用されてました)
神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。
自分が変えられる、コントロールできる範囲というのは
限られています。
クリスチャンも基本的には家族や身近な人を大切にするのが重要です。
他人に対しては、例えば、震災の時に現地に行けなくても
少額の寄付をするとか、物資を寄付する。
全く自分も余裕がなければ、祈る、気にかけるでもいいと思います。
この世の中で多くの人が、責任や労苦があるように、家庭、仕事、
自分や家族の病気や介護などで労力を払ってはいると思いますが、
さらに労苦を買って出る人は、クリスチャンでも稀だと思います。
地域や学校で、保護者や地域の人がボランティアをする感じで、
無理のない範囲で奉仕をするという感じだと思いますよ。
神様は万人を愛していますが、相手(人間側)がどう受け取るか
という問題があります。
人には、愛を受けるか拒否するか選択する自由が与えられています。
主が人を幸せにしたい、罪とその結果である死と裁き
から救いたいと考えて、福音(十字架の救い、天国の道)を用意されても、
人間側が<自分のやり方や望む形>で幸せになる!
神様も天国も信じない、罪などない救われる必要がないと拒めば
救いは受け取れません。
これは人間関係でもありますね。
ある人が相手の幸せや解決を考えてA案があると言っても
相手が、B案じゃないと嫌だと言ったら
(B案で解決できればいいですが、現実的に不可能であれば)
解決ができなくてもそれは、仕方ないですし
A案を教えてくれた人には責任はないですよね。
不道徳な人も幸せでいるように見える。
不道徳でも身勝手でも、人生がうまく行って見える人もいますね。
しかし幸せとあなたが思っても、当人が幸せかどうかはわかりません。
傍目ではわからないこともあります。
聖書の旧約の伝道の書、8章などでも、悪を行うひとに裁きがすぐに
くだらないので、多くの人が悪を行うとありますが。。
悪を行う人は、<幸せにはならない>ともあります。
聖書のいう、自分の蒔いた種は刈り取るとは、いまの世だけでなくて、
死後刈り取るということも含まれています。
この世の裁きは免れても、死後の神の裁きは逃れられません。
何を信じるかはもちろん自由ですが。^^
<この世の人生が全て>だと考えるならば、
人生は不公平、理不尽だと思うでしょう。
しかし、この世の人生が全てでなければ
考え方、捉え方も違ってくるかもしれません。
自分では楽にとは思ってないですが 穏やかで幸せな生活を送ってます。
この数年の間に父親と主人を亡くし 認知症の母親を見てます。
普通に生活できて孫の成長を見ていると幸せを感じます。
主さんもいつか本当の幸せを感じることができるといいね。
喜びが感じられないのですね。
そのため、幸せと感じにくいのかも
しれませんね。
小さなことを喜べると、小さな幸せを感じます。
人を理解するというのは、100%は無理ですよね。
リアルの家族や親友でも、
ある部分では、70〜90%理解や共感できることもあっても
ある部分では50%以下になることもあります。
ネット上だと、プライバシーの問題があるので
リアルほどは詳しくは話せないので、
理解はさらに難しいですね。
友達がいらっしゃるようですが
一緒に過ごしたり、出かけたりする時に
喜びを感じると言いますか、楽しいと感じることは
ないですか。
家族や友達と楽しいことや、悲しいこと、
そういうものを分かち合えると
幸せも感じやすいと思いますよ。
生きてるだけで、仕事があって、友達もいて、五体満足で幸せと思えないのなら、あなた自身の考え方に問題があるのです。
自己啓発本を読むのも結構ですが、まずは世の中をもっともっと知りましょう! 海外も含めた世の中の現実を知りましょう。どれだけ不孝な人がいることか…。
苦労もしないで、不幸を語ってほしくないです。
こういう人は幸せにはならないよ、幸せは小さい粒をちょっとずつ見つけていける人がなれるの。
何番さんが話している、うまいお酒などの話があったけれどそんな人に幸せは舞い降りるけど、欲望が強い主みたいなのにはない、ないというか気付かず素通りする。
幸せは主を嫌うよ、もっと穏やかに生きなきゃね
一時的には楽しくても、仕事などつらいことや
大変なことがあると嫌な気分になる。
睡眠などが、あまり取れないのでしょうか。。
人生を季節に例えることがありますよね。
人生という長いスパンで例えることもあれば、
短い期間(1〜5年)で、春夏秋冬があることもあります。
ただ、冬の時代があっても春が来るという<希望>で
乗り切ったり、耐え忍ぶことができることもあります。
冬の時期にいても、幸せを感じるのは、
自分への愛(自尊心)、自分や周りの人への信頼、
また希望があるからとも言えます。
(これも、自己啓発書などでも書いてあるかと思いますが、
聖書には、いつまでも続くのは信仰(信頼)、希望、愛とあります。)
お金や健康というのは、その人の努力だけでは
どうにもならないこともあります。
解雇、転職を余儀なくされることもあるでしょう。
病気や介護、子育てでお金がかかることもあります。
健康も気をつけていても病気や、怪我をすることはあります。
しかし、信頼、希望、愛というのは、
その人が手放さない限り、失うことはありません。
精神科医で、強制収容所を生き残った
ヴィクトール フランクルも有名ですが。
生き延びた人というのは、運、体力もありますが、
ユーモアや希望を持ち続けた人とも言えます。
フランクルの著に
それでも人生にイエスという。という本もありますが、
(生きる意味を求めて、もいいですが、これもオススメです。)
楽しくない時期があっても、それでも人生を愛する、
絶望的な状況に見えても、それでも自分や自分と周りの人の信頼の可能性や成長を信じる。
それでも、希望を持つ。。それでも、喜びや楽しみを見出す。
〜だから、〜すれば幸せと、幸せの理由やヒントなどは
言われることがありますね。
衣食住に困らない、健康が満たされている、友達がいる。
だから恵まれている。<それなりに幸せ>と思うかもしれません。
でも、だから幸せと決定づけるわけではないですよね。
〜がなくても、健康面で多少問題があっても、それでも幸せを感じる。
そう言うこともあります。
それは、<それでも>という何かがあるからだと思いますよ。
その何かが、自分や自分の人生、家族への愛(大切にする気持ち)
や信頼、今後良くなる、良いことがあるだろうという希望であったり
するかもしれません。
要するに快楽を感じたいわけですね。
それなら、断食して、交友関係も遮断してください。
辛い毎日を過ごしてください。
そして一か月後、友達と高級寿司食べてください。高級焼肉でも良いです。
あー幸せ
となりますよ。
私が思う幸せって、
人間大差無いと思います。
幸せそう に見えるだけで、自分と同じだと思ってください。
簡単に言うと気楽に考える事ですかね。
男女関係なく私は自己啓発本とか人生本みたいなのを愛読している人とはあまり付き合いたくないなと思ってしまいます。
だってそういう人って何をするにもその本に書かれている事あり気なんですもん。
自分自身の意思と個性が見えてこない。ようはつまらない人だなと言う事。
貴方はどう思っているの?と聞いても絶対本の内容を出してくるんですよね。
例えば結婚相手や恋人がそういうのが好きな人なら相性良いんでしょうけど、それ意外の人は正直ちょっと引きますよ。
手っ取り早いのが自分の生活や考えとは全く違う所に行ってみる事。
海外に何ヶ月か行くと全く違う感性を見につけられるのでもう限界だって人にはお薦めします。
自己責任にはなりますが。
道徳心が欠落している人とかはもう違う世界に生きてる人くらいに思うしかないですよ。
何回同じスレ立てても、貴方の望む答えは見えてこないと思いますよ。
『楽に幸せになれた人』というキーワードはいつも遣われるのですね。
貴方のいう『大勢』とは全人口の何%くらいなんですか?
自分の心が荒んでいるから、外見やちょっとした情報だけで、周りが『楽に』幸せになったと勘違いして妬んでいるのですよ。
頭の中は本でガチガチ、現実を見ようとしない今の貴方には幸せは訪れないでしょう。
新しい回答の受付は終了しました
心の悩み掲示板の悩み一覧
注目の話題
-
自治会で同じ班の人が、会長に自治会抜けると言ってきたそうです。 我が…67レス 5783HIT 匿名さん
-
アプリで知り合った人がいます。一応会う話になりましたが、何をするかやん…19レス 751HIT 匿名さん
-
33歳の女です。私は、この歳で恥ずかしながら、まだ独身で実家暮らしです…13レス 593HIT 匿名さん
-
彼女に元妻が買ったものをすべて捨ててほしいと言われて困っています。 …37レス 1702HIT 匿名さん
-
今って障害のある子どもが生まれる確立って高いんでしょうか…? 私が子…9レス 376HIT 匿名さん
-
どうせ恋愛出来たとしても、相手の両親に学歴で結婚させてもらえないんだろ…12レス 409HIT 匿名さん
- もっと見る
お悩み解決掲示板 板一覧