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子どもへの虐待やネグレクトなどで事件が起こると、時々「その親もそのようにして育っ…

回答15 + お礼14 HIT数 831 あ+ あ-

匿名さん
20/07/14 23:23(更新日時)

子どもへの虐待やネグレクトなどで事件が起こると、時々「その親もそのようにして育った」という背景が出てきます。

私は思うのですが、普通はそれが嫌、辛かったのであれば、そうならないようにするものではないのでしょうか?
親が暴力をふるう、家に放置する、食事を与えないなど、子どもの頃にそういう環境だったとしても、大人になって社会に出たり、ドラマや小説などを見たり、友達との家庭環境の差を見たりして、「自分の家はおかしかったんだ」って思うことは一度もなかったということなのでしょうか?

私自身子どもがいる親ですが、自分が過去にあった失敗や嫌な思い出というのは、我が子には絶対させたくないという思いがあります。
私の親はとても過保護で、息苦しかった。親の言う通りにしなきゃダメという意識も強く、亭主関白で、父が不倫したりと、色々ありました。
私の夫はどちらかというと放置気味で育ち、自分の子どもにはそんな思いはさせたくない、と話していました。
普通はそうではないのでしょうか?
自分がこんなふうに育ったから子育てというのはこういうものだ、という軸があるのは分かるのですが、それが例えネグレクトや虐待だったとしても、大人になってからそれがおかしいことだったと気づくこともなく、同じことを繰り返すことが理解できません。
人は自分が嫌だったり辛かった経験があれば、そこから学んで、同じことが起こらないように学習しながら生きていく生き物ではないのですか?
自分も辛かったはずのことを、何故他人、しかも我が子に経験させようとするのか。
自分は辛かったからこそ、我が子にはそうならないよう、精一杯幸せな時間を過ごさせてあげなくては、とは思えないのでしょうか。

No.3099712 20/07/12 12:00(悩み投稿日時)

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No.1 20/07/12 12:07
匿名さん1 

私の実体験ではなく、過去の経験をエッセイにしている方のお話ですが...
もちろん、貴方のような人もいます。
でも、私がこうされてきたからお前もだ!って考えもいるようですね。
学習しない人は学習しません。


主さんのように全ての人がそう思えたなら虐待だって無くなってるのにね。と。

No.2 20/07/12 12:13
匿名さん2 

主さんのように反面教師に出来る人もいれば、自分が虐待されていた事が当たり前になり過ぎて、そういう方法でしか子どもと接する事が出来ないのか、親から虐待されていた事実を受け入れられず、虐待だと認識出来ていないのか、いずれにしても心が歪んでしまったのでしょう。
認知の歪みはそう簡単には治らないのでは無いでしょうか。

No.3 20/07/12 12:15
匿名さん3 

うーん私も解らないけど主さんの言うその普通は私も主さんの言う通り普通嫌な事されたら二度は繰り返したりはしないだろと思います。

でもその普通は皆の普通ではありません。

例えば学生の時虐められたとする
それを切っ掛けに虐めら撲滅の活動に出たりと前向きに生きる人もいれば
私は虐められただから私は心に深い傷をおってるだから人間嫌いとマイナスになってしまう人もいます。

なので主さんのように前向きタイプなら良いのですが、反対の人もいるから仕方無いんですよ。
それがそのマイナスな人たちの普通です。

No.4 20/07/12 12:18
匿名さん4 

虐待やネグレクトをされて育った人は何気ない優しさが分からないんだよね。そんな恰好だと風邪引いちゃうよとか、そんだけだとお腹すいちゃうよとかそういう声掛けが出来ない。ちょっと上手くいかない事があるだけでもパニックになる。元々自信がないだけに大丈夫。大丈夫。ここはうるさく言わなくても問題ないみたいな判断が出来ない。

だから、理屈だけじゃないだよね。子育ての本能的な部分を学習していない部分が虐待やネグレクトを受けてきた人にはどうしても出ちゃう。それに関しては分かってあげなきゃいけない事だよね。

No.5 20/07/12 12:24
匿名さん5 

主さんが経験された嫌なことは嫌だったレベルの話ですよね。
主さんのご両親は完璧ではありませんが
ご両親なりに愛情を持って主さんを育て
られたから
精神的にも成長でき、見かけだけでなく心も成長された。
だからそういう判断ができる。

親からの虐待って子どもにとっては自分の命の危険があるくらいの生死に関わるレベルの話なんです。
そんな恐怖を与える存在が親であり唯一の命綱。そんな親でも子どもは親が大好きなんですよね。
脳は傷付き萎縮し精神的にも沢山の傷を負い、放置され身体が成長しないのと同様に心も成長はしないです。

虐待のニュースを見るたびに
虐待した親を責め終わりではなく
根本的な虐待防止の制度の改革を強く望みます。



No.6 20/07/12 12:42
匿名さん6 

主さんの説でいくと、たとえ毒親に育てられても、子どもは必ず親を超える人格者に育つんですね。

まー、そんなことはないですよ。いろいろです。主さんだってたまたま素敵な伴侶に恵まれて、たまたま自分と相性のいい子が生まれただけです。何かが違えば今とは違った生活だったと思います。今の幸せに感謝しましょう。

虐待した親だって最初は素敵な生活を夢見ていたんだと思います。それが実現するかどうかは、本人の努力もあるんだけど、運による部分も大きいです。

No.7 20/07/12 13:06
お礼

>> 1 私の実体験ではなく、過去の経験をエッセイにしている方のお話ですが... もちろん、貴方のような人もいます。 でも、私がこうされてきたから… そうなんですか…。子どもにだって、「あなたがされて嫌なことは、人にはしちゃいけないよ」と教えるのだから、自分がされて嫌だったことはしない、というのは普通だと思っていました。
自分が辛かったから、お前も辛い目にあえ!って…そりゃ相手のことが嫌いなら、そう思うこともありますよね。昔私をいじめていた子がいじめらる立場になったとき、加担さえしなかったけれど心のどこかでは「ざまぁみろ」と思う気持ちがありました。
でも、それは相手が嫌いで、その人も自業自得で、尚且つ自分に嫌な思いをさせてきた人だからそう思うだけで、我が子にそう思えるのって最早どこかおかしいのではないかと…
もちろん我が子だからと死ぬほど愛おしいと思える人ばかりではないと思います。大なり小なり、みなさん育児では悩みをかかえ、思い描いていた家庭とは違う現実でもがいていることもあるでしょう。でも、我が子に辛い思いをさせて、最悪死ぬようなことをしても平気、という人がいるのは理解できないな…

No.8 20/07/12 13:10
お礼

>> 2 主さんのように反面教師に出来る人もいれば、自分が虐待されていた事が当たり前になり過ぎて、そういう方法でしか子どもと接する事が出来ないのか、親… 虐待が当たり前って、そんなことあるのでしょうか?自分はそれで辛かったのではなく、それが当たり前すぎて痛みも感じず、我が子もそうである、と考えているということでしょうか?
もちろん子どもだったら、家庭は自分の世界の大部分ですから、最早洗脳に近い形で「これが普通」と感じてしまうこともあるかと思いますが、ある程度大人になって親から解放されても尚、それは変わらないのでしょうか。
それなら何故子どもをもつという選択肢を選んだのだろう…

No.9 20/07/12 13:15
お礼

>> 3 うーん私も解らないけど主さんの言うその普通は私も主さんの言う通り普通嫌な事されたら二度は繰り返したりはしないだろと思います。 でもその… いじめに関しては、確かにその通りですね。やられっぱなしでもう諦める人もいれば、逃げ出す人、撲滅活動に精を出す人、やり返す人、様々ですよね。
でも、それはあくまでも「自分をいじててきた相手」や、「自分と同じ立場の人」に寄り添った話です。

自分がいじめられたから、自分よりもさらに弱い無関係な人にやってやる、となることだけは理解できません。
自分が辛かったはずなのに、嫌だったはずなのに、そう仕向けてきた人には敵わないから更に弱い人をいじめる…なんでそうなっちゃうの?と思います。
それも自分の子どもなんて、10か月も辛い思いをしながら出産し、明らかに弱くて一人では生きていけないとわかっているような存在を…

No.10 20/07/12 13:19
お礼

>> 4 虐待やネグレクトをされて育った人は何気ない優しさが分からないんだよね。そんな恰好だと風邪引いちゃうよとか、そんだけだとお腹すいちゃうよとかそ… なるほど。子どもへの優しさは理解できない部分があるというわけですね。確かに、お布団をかけてもらう、子守唄を歌ったり、絵本を読んでもらったり、一緒におやつを作ったり…といった行為は、してもらえないと分からないかもしれません。
でも、食事を与えない、暴力をふるうということが「だめと分からない」のは分かりません。
それは子どもだけでなく大人になったって辛いこと、痛いこと、命に関わることだと誰だってわかっているはずだからです。
親に教えられてないから子どもへの接し方がわからない、というのはまだ理解出来ますが、命をおびやかすような行為が「自分は家庭環境が複雑で親にされてないから分からなかった」なんてのはただの責任転嫁で、まるで子どもの言い訳に過ぎないのではないでしょうか。

No.11 20/07/12 13:31
お礼

>> 5 主さんが経験された嫌なことは嫌だったレベルの話ですよね。 主さんのご両親は完璧ではありませんが ご両親なりに愛情を持って主さんを育て … 虐待されても子どもは親が好き…ですか。悲しい言葉ですね…。

私も虐待のニュースをみる度に、あまりの凄惨さに泣いてしまいます。
この前の静岡?の事件も、しばらくは気分が落ち込み、ニュースをみながら涙が出てしまいました。
3歳なんて、普通はアイスで口周りをぐちゃぐちゃにして怒られたり、七五三で可愛い着物を着せてもらったり、お喋りが上手になって言い訳したりして生意気さが出てきたり、一番可愛いくて愛おしさが爆発してる時期だったな…と思い出して、何故この子はそうならなかったのか、親も虐待された過去があったからといってこの子がこんな死に方をする必要がどこにあったのかと、胸の内がとても苦しくなるのです。
それに、この親は自分のしたことを隠すため、死んだ我が子のおむつや体を律儀に綺麗にしてから通報しています。
自分のしたことが犯罪だと分かっていた上で尚、子どもへの思いより保身が先走った証拠ですよね。
ゆあちゃん?の事件も、父親は虐待のほとんどを認めず、本当に子どもへの申し訳なかったという思いがあるのだったら、初めから洗いざらい本当のことを話すものだと思いませんか?
結局は、自分が一番可愛いのですよね。

その上で実は自分も虐待されていた、なんて言われても、情状酌量を狙った悲劇のヒロインぶるための言い訳にしか感じないのです。

No.12 20/07/12 13:40
お礼

>> 6 主さんの説でいくと、たとえ毒親に育てられても、子どもは必ず親を超える人格者に育つんですね。 まー、そんなことはないですよ。いろいろです… 親を超える人格…とまでは言いません。が、少なくとも子どもに対し食事も与えず、暴力をふるい、交際相手に会うために家に閉じ込めて放置する、といった命に直結するような危険を「自分も虐待されて愛されてなかったから」なんて理由で分からなかった、なんてのは言い訳にすぎない、と思っています。
凄惨な殺し方をした罪に対し、親に愛された記憶がないから、なんてことが言い訳になりますか?
人間なら誰しも、食事がなく、暴力をふるわれたら死ぬとわかっているはずです。お腹空いた、痛いくらいの感情なら赤ちゃんでもわかっている。
たとえ自分が虐待されていたからといってそれが分からないはずがないんです。

私は確かに今幸せです。子どもも可愛いです。家族みんなが健康で、金銭的余裕はないですけど、楽しく過ごせていることに感謝しています。
だからこそ、こういうニュースがある度に、悲しくて胸が張り裂けそうになります。

No.13 20/07/12 13:43
匿名さん3 

3の者ですが

理解するのは不可能ですよ。
十人十色とはこういう事です。
良くも悪くも難しい問題です。

でもここで他の人に聞いても解決することはないと思います。

実際にそういう人の事が解る所に聞きにいけたら良いのですが、こういう場合はどこに聞きに行けば良いんでしょうね?
児童養護施設とかですかね?それかそういった撲滅活動をするとか

主さんの質問は本当に深い質問でもし本当にその人達の感情とか知りたかったら実際に動くしかないですね。

本当主さんの考えた世界が現実ならよかったのに

No.14 20/07/12 13:44
匿名さん4 

>10

それを1から100までこれはこうで、これはこうだから違ってて説明するのは難しいですね。

虐待を受けてなくても子供の育て方が分からず手を焼く人もいれば、優秀でない人の気持ちが分からず、感情的に接してしまう人もいれば、ギャルの経験が長すぎて社会常識に欠けてしまう人もいる。それらの事一つ一つを事を取り上げて考えたら分かりますよね?と言っても分からない人には分からないという言い方しか出来ない。

なぜ「だめだと分からないのか?」

これは色んなケースがあるから何とも言えない。言うところまで言えばなぜ人類は戦争の愚かさが分からないのかというレベルにまで話が言ってしまう。それでも一つだけ言える事があるとすれば、そういう事が起きてしまう事もあるって事だよね。それを黙認する事も許す事も出来ないケースも勿論あるから、色んなケースを照らし合わせて言うのは難しいけれども、一つだけ言える事があるとすれば他人事だと思わないって事だよね。決してそれを理解出来るという言い方をしてはいけない場合も確かにあるけど、理解出来なくても、そのメカニズムを理解する知性は持っておいた方がいいという事。

どんな出来事も出来るだけ他人事ではなく、自分事のように考え、我が身を振り返って考えるって事なんだと思うよ。

No.15 20/07/12 14:14
匿名さん15 

人それぞれ

愛情なき子がグレて
子を持ち愛し方もしらない
繰り返すもある

愛されたけど、
溺愛されすぎて
我が子に溺愛しすぎて
うまくいかなとイライラして
虐待を愛だと勘違いするやからもいる

No.16 20/07/12 15:42
お礼

>> 13 3の者ですが 理解するのは不可能ですよ。 十人十色とはこういう事です。 良くも悪くも難しい問題です。 でもここで他の人に聞い… 確かに、そもそもこんなことをしてしまえる親のことは、私には全く分かりません。
だけど理由として、「子どもが可愛くなかった」、「子育てに悩んでいて逃げ出したかった」とか、そういうことの積み重ねでこうなってしまった、ならまだ理解はできるんです。
一度も悩まず、後悔せず、子育てが楽しくて仕方ない!なんて四六時中思える人の方が少ないだろうし、私だってそうだったから。

でも、「親に愛されなかったから」、「自分も虐待されてたから」、とは一体何を言い訳しているのでしょう?それが子どもをあんな目にあわせて殺してしまうことになんの関係があるの?と感じるのです。
逆を言えばその人は、虐待されて愛されなかったのかもしれないけど、少なくとも死なずに大人になれたわけですよね。
親にされたようにしかできない、というのなら、親にされてないことをしてしまったわけなので、何の理由にも言い訳にもならないのではないでしょうか?

もちろん十人十色、個人の考え方や悩み、育った環境は違うでしょう。ここで明確な答えもないのでしょう。それでも、こういう事件のときに「実はその親も虐待されていた」とは何のために出す情報なのか?と思うのです。

それで「そうか、親に虐待されたら子どもをこんな目にあわせても仕方ないね」と思わせたいのか、はたまた「虐待された人は虐待を繰り返すのか」と全ての人に当てはまるわけでもない先入観を植え付けたいのか。

私は虐待やネグレクトに関して書かれた本を何冊も読みました。
でも、どれだけその親が苦しい子ども時代を歩んでいたと知った上でも、親に同情する気にはなれないんです。
なぜなら子どもを産むというのは自分で決めることができることであり、そうしない道もあるから。
それでもそれを選んだのであれば、負の記憶とも闘わなくてはならないはず。
児相にもっと強制的な権利があれば…と悔やまれて仕方ないんです。

No.17 20/07/12 17:02
匿名さん17 

主の考えと同じです

俺は幼少期から親からの虐待と学校での虐めにあいながら育ちました
心の限界で無意識で包丁を親に向けたこともあります
地獄を見てきました

だからこそ自分の子供には同じ思いをさせたくないと思いました
なぜなら誰よりも辛さを理解できるからです
百聞は一見に如かずと言いますが、見て実体験した人間は
本当の意味で理解できます

その経験をした親が虐待し子供を殺した…
その親も過去に虐待を受けていたからなに?
俺はそんな親の方が罪は重いと感じます

あの苦しみを忘れたの?
あの苦しみをなぜ子供に出来るのか?
苦しみを忘れていないのであれば…とても出来ないと思います

それと世間の人は、過去に虐待や辛い思いをしてきた人間は
犯罪を犯すような精神状態になってしまっているとでも思ているのでしょうか?

だから犯罪を犯しても、過去に〇〇だったと聞くと擁護するような人が出てくるのでしょか?
偽善なのかなんなのかわかりませんが理解に苦しみます

まぁこれはあくまで俺個人の印象、考えです

No.18 20/07/12 18:38
お礼

>> 14 >10 それを1から100までこれはこうで、これはこうだから違ってて説明するのは難しいですね。 虐待を受けてなくても子供の育て方… 確かに、おっしゃる通りです。世の中いろんな人がいるのだから、いろんな子育てがあり、それに正解ってないと思います。
でも…他の方への返信と重複になりますが、やっぱり人を殺してしまうような、食事を抜く、暴力をふるう、部屋に綴じ込めて放置、それらの行為だけは「親がこんな人間だから」では済まされない行為だと思います。人間は食べないと死ぬし、暴力をふるわれたら痛い、そんなことは誰だって教えられなくても知っているからです。
虐待された過去がある方は、確かに子どもへの愛や教育について理解できない方もいるでしょう。
絵本を読んであげるとか、抱きしめてあげるとか、毎日綺麗なお洋服をきせるとか、遊園地に連れて行ってあげるとか…自分にはそんな経験がないから我が子にはしていない、必要なことと理解出来ないと、そういうことはあるのかもしれません。
でも、食事を抜く、暴力だけは、死んでしまう危険性をきちんと把握できたはず。
それだけは、親が教えてくれなくたって、例えば子どもだって、ちゃんとわかるはずなんですよ。


それら全てを「親が虐待されていた」では片付けてはいけないと思うし、何の言い訳にもならない、と感じます。
まるでそれが免罪符になっているようで不快感が拭えないし、それを知ることで虐待が減るというのも分かりません。

No.19 20/07/12 18:47
お礼

>> 15 人それぞれ 愛情なき子がグレて 子を持ち愛し方もしらない 繰り返すもある 愛されたけど、 溺愛されすぎて 我が子に溺愛し… 確かに、虐待の発端や理由は色々だと感じます。おっしゃる通り、親から虐待を受けていたせいで子どもの愛し方を知らない、溺愛から虐待にすり替わってしまう、そんなこともあるでしょうね。

誰しも親ならば、しつけには手を焼くと思います。なぜなら正解が人によって違うから。
いい学校に入って成績優秀でさえいればいい、お友達が多くていつもにぎやか元気であればいい、食べ物の好き嫌いが全くなければそれできい、見た目が整っていればいい、特定のスポーツが万能であればいい…親によって、「子どものため」が一体何を重視することなのか?は本当に違います。

でも、少なくとも食事を与えない、暴力だけは、どの親も「いけないことだ」と分かっていてもいいのではないでしょうか。そりゃ一度くらいは、子どもを引っ叩いてしまった親もいるでしょう。でも、命の危険にさらされる程繰り返したり、食事を抜く行為は決して「しつけではない」と本当は誰だって分かっているはずです。そこまでくると、最早子どものためなんて大義名分は通用しない。そしてそのボーダーを超えてしまったときに、「その親も虐待された過去がある」という事実を言い訳にしてほしくないと思うのです。

No.20 20/07/12 19:04
匿名さん4 

>18

スレ主さんの仰る事は正論であるとも思うし正義だと思います。けれども、いえ、けれどもではないのですが、鈍感になってはならないという事だと思います。こればっかり頭でどうこうではなく、感情で理解する部分と言えば部分なので、頭の中の話を幾らしてもあまり意味はないのですが、頭の中の理屈だけで言わせてもらえば色んな現実や事実があります。

その中で“陥ってしまう事”もあります。

勿論、結果的に我が子を殺してしまったのでは、その母親は責められるべきと言えば責められるべきですが、責めるにしてもただの泥棒や詐欺師のように責めてはいけませんよという事。その罪は確かに泥棒や詐欺師より重いかもしれませんが、
重すぎる過ちと愚かな罪とでは重すぎる過ちの方が重くても、我が事のように考え、我が事のように想像する。

罪がすべてを物語ると考えれば、虐待する親は馬鹿な親でしかありませんが、ひょっとすれば自分だったかもしれないもう一人の自分だと考えれば、その罪の苦しさと辛さと悲しみと起きてしまった事実の重さとその悲劇を深く感じられるのではないですかという事。

とは言え頭の中の話に過ぎないので、この考えに説得される必要はありませんが、現実は現実として確かにあっても鈍感に物事を考えない人になる事が大事だよという事です。

No.21 20/07/12 19:08
お礼

>> 17 主の考えと同じです 俺は幼少期から親からの虐待と学校での虐めにあいながら育ちました 心の限界で無意識で包丁を親に向けたこともあります… 辛い経験をされましたね。
あなたも「虐待を受けていた親」です。でも、もし仮に今後あなたが子どもを虐待したら、あなたは過去の辛い経験を言い訳に使うでしょうか?文面だけみても、あなたがそう思うようには感じません。

私が引っかかっているのはそこなんです。自分のしたことを本当に心から後悔していたのなら、自分も本当はこんなに可哀想な過去があってね…なんて情報を出すでしょうか?
結局、今までの凄惨な虐待致死事件って、親が保身にばかり回るんですよ。静岡の事件もそう、ゆあちゃんの事件もそう、他の事件もほとんどがそう。
過去にどんな経験があろうとも、それと闘って生きている方は大勢いる。
その方たちは自らの過去を言い訳にはせず、一生懸命生きている。誰しも何か一つくらいは、思い出したくもない悲しい出来事があることでしょう。
でもこういう人たちは、悪いことをしたときにだけ、都合よく「過去の辛い事実」を出してくる。私はその「子どもを殺しておいて尚残る、異常なまでの保身」が怖いのです。
もしかすれば、自分が過去受けていた虐待のせいで、自分の身は自分で守らなければならないという防衛本能からくるのかもしれませんが…誰しも我が身が可愛いのは誰だって同じではないでしょうか?

後悔している、申し訳ないと言いながら、死人に口無しというわけで、自分に都合の悪いことは隠そうとする。
虐待を受けていたからそんな人格になる?そうならない方の方が多いでしょうに。

この後に及んでまでそれをダシに使うという卑劣さと、我が子が亡くなっているのに保身に走るその残虐性が恐ろしい。
でもそれは個人の問題であって、それを「過去に虐待されていた」ことと一括りにして決めつけてしまってほしくない。

あなたも過去と闘った一人なのですね。
自分が辛い思いをした分他人を愛せるという器の大きさもあることは、本当に立派だと思います。
あなたのような人たちはきっとたくさんいるのでしょう。そんな人たちのためにも、こんな自己中心的な人間たちの行いのせいで、偏見をもたれてほしくないと強く思います。

No.22 20/07/12 20:03
匿名さん17 

先ほどは子供の事は書きませんでしたが、子供は2人いてすでに成人しています

いまだに兄弟親子の様に仲が良いですよ

子供にはこの家に生まれてきてよかったと思えるような人生にしてあげたい
そしてそれを見届け、家族に囲まれながら人生を終えたいと考えています

これが10代の頃から夢見ていた俺の人生の終わり方です
予定ではまだ先は長いですが、これからも人生勉強を頑張ります

主様も幸せな人生を送れますようにお祈りいたします

No.23 20/07/13 06:21
秘密の質問さん23 

もしかしたら嫌だと思うよりそれが普通と思っているのかもしれないよ?
あの時はこうするが当たり前になってるというか。

自分が怒るとき親の怒り方にそっくりだったりして、染みついてるんだなと思ったことがある。

あとは両親や旦那さんとかフォローや止めてくれる人がいるのと、いないのでは違うんじゃない?

No.24 20/07/13 17:34
お礼

>> 20 >18 スレ主さんの仰る事は正論であるとも思うし正義だと思います。けれども、いえ、けれどもではないのですが、鈍感になってはならないとい… ひょっとすると私だったかもしれない、というのは、わかるんです。私だって育児に思い悩み、自分の時間が欲しいと思うことがあります。
立派な母親だと自負できるか?と言われれば、ほとんどのお母さん達は「いいえ」と答えると思います。
我が子を叩いたことのないお母さんっているのかな?って思うこともありますし、私自身親に叩かれたことがありますし、我が子を叩いたこともあります。

たしかに自分はそうならないから他人もそうならないはず、という固定概念は、あなたのおっしゃる「陥る」だと思います。物事をそれで語り出せば、誰かを思いやる気持ちや、考える力が止まってしまうことも分かります。
でも、食べなかった死ぬ、暴力をふるわれたら痛い、を知らない、分からないはさすがに通用しないし、その言い訳みたいに「自分も虐待されていた」という情報がでてくることが、なんだかなぁと思ってしまうのです。
それもまた私の固定概念と言われればそうなのでしょうが…

No.25 20/07/13 17:40
お礼

>> 22 先ほどは子供の事は書きませんでしたが、子供は2人いてすでに成人しています いまだに兄弟親子の様に仲が良いですよ 子供にはこの家に… すごくよく分かります。私も、子ども達には立派な人間でなくとも、この家族が大事だと思ってくれるようになってほしいし、私もそうなるよう努力しなければならないと思っています。

あなたはもう子育てもひと段落し、望んだ家庭と人生を楽しんでおられるのですね。
私も人生については、まだまだ手探りで、子育てもまだまだなのですが…


こういった悲しい事件を見るたびに、目の前の我が子と比べてしまって泣いたり落ち込んだりしてしまいます。
誰しも我が子だからと無条件に愛してあげられるわけではないのでしょうが、だからってあんな凄惨な虐待の上で何故死ななくてはならなかったのかと考えると、苦しくて仕方ないのです。
あなたのように、強く逞しく乗り越えられる方ばかりではないのですよね。

No.26 20/07/13 17:43
お礼

>> 23 もしかしたら嫌だと思うよりそれが普通と思っているのかもしれないよ? あの時はこうするが当たり前になってるというか。 自分が怒るとき親… そういうものなのでしょうか。
私も虐待やネグレクトは、ある意味洗脳の一種だと思っていて、「家庭とはこういうもの」だという意識は誰にだってあるけれど、それが正しく修正されないまま大人になることもあるのですかね。
そのまま子どもを持とうという考えも、私にはどうしても理解できないでいます。

周りに誰も助けてくれる人がいなかった…という孤独の育児も問題ですよね。
今はシングルマザーだけでなく、核家族が主流なので、そうやって誰にも助けてもらえない方も多いと感じます。

No.27 20/07/13 17:47
匿名さん27 

サイコパスとか聞いたことあると思いますが。
たまにいるんです。

殺人や虐待などを、してしまう「才能」がある人間。

ただ、サイコパスがみんな、殺人や虐待をするわけではない。

サイコパスとして生まれても、しっかりと育ててもらえば、むしろそれを長所にした人間に育つ。

ひどい親に育てられても、子供に「才能」が無ければ、反面教師にして立派な人間に育つ。

「悪しき才能」と「悪しき育て方」が揃った時に、犯罪者が生まれるんだと思います。

No.28 20/07/13 19:37
お礼

>> 27 サイコパスは知っています。というか、私は虐待やネグレクトに限らず、犯罪者やシリアルキラーの話を読むことが趣味です。
何か犯罪があったとき、その犯罪内容の凄惨さももちろん、何故そんなことをしたのか?どんな人物がそれをしたのか?という所にも興味があり、それにまつわる本などもたくさん読みます。
最近でいえば、ケーキを切れない非行少年たちも読みました。

確かに、そういう犯罪の背景には、必ずと言っていいほど家庭環境の悪さがありますね。虐待だけでなく、親が変な宗教にはまっていた、両親の仲がとんでもなく悪い、親の交際相手がころころ変わる、親がほとんど家にいない…など。

やはり、持って生まれたものというのがあるのでしょうか。犠牲になった子どもたちも、そういう運命のもとに生まれてしまったのでしょうか。
子どもを愛せないのなら手放せばいいのに、日本ではそれが出来るのに、なぜ閉じ込めて隠してしまったのか…。
確かに普通の人だったなら、ここまでは残酷にはなれませんね。
ただ、その理由に昔虐待されていた、など親を庇うような同情を持ち出すのはいかがなものかと感じます。
虐待されていても立派に子育てしている人は「普通の親」なのに、そうじゃない親は「虐待された過去のある可哀想な親」になるのが解せない…

No.29 20/07/14 23:23
世捨て人(*_*) ( tWtTCd )

それがDNA。つまり遺伝子に
組み込まれているから、
同じ環境が起きてしまう場合が
あるんだよね…。

育った環境と大人になってからの
環境が色々作用してしまい脳内で
コントロール制御が効かなくなる。

悲しい事件の裏側にあるのは、
加害者は元被害者だったって事は
統計的には少なくはないです。

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