- 注目の話題
- アプリで知り合った人がいます。一応会う話になりましたが、何をするかやんわり決めてまだ日にちや日程を決めていない時に、顔交換しましょうよと言われました。このタイミ
- 今って障害のある子どもが生まれる確立って高いんでしょうか…? 私が子供の頃は学校全体で2.3人ぐらいでした。 SNSが普及して、目につくようになった、 そ
- 彼女に元妻が買ったものをすべて捨ててほしいと言われて困っています。 38歳の男です。5年間の結婚生活の末、3年前に離婚しました。 理由は不仲というより、
争いごとが嫌いで、人同士が争うことは根本的な間違いにあると信じて疑いません。 …
争いごとが嫌いで、人同士が争うことは根本的な間違いにあると信じて疑いません。
ただ、この世の自然界が弱肉強食的な概念によって成立していることは理解しています。
それを是として構築される人間社会の現実を理解しても、その姿勢に決して理解を示すことは出来ません。
ですから争いごとを是としたり好む人達の思考回路が、よく理解できないのです。
争わないような意見を発言しますと、頭いかれてるだとか偽善だとか無責任などと罵られ、また、その意見を押し通すこにとはマウントをとりに来ているだとか、否定意見ばかり言うだとか、ネガティブだとか、現実逃避だとか、たられば不要だとか、自己責任だとか。。
とても辛いです。
せめて奮起するための言葉に、とても飢えています。
もし適切な意見を頂戴できるならば、お聞かせください。
新しい回答の受付は終了しました
日本人は農耕民族だから、比較的争うよりも協力することで身を守ろうとする人が多いと思う。ハッキリ意見をぶつけ合うより空気を読んで周りに合わせる。それを自分らしく生きられなくて息苦しいと感じる人もいるけれど。
でも狩猟民族は戦って富を得る。自由だけど厳しい、そういう生き方もあると思う。そういう人に「周りに合わせろ、弱者のために奉仕しろ」と言っても無駄。他人の生き方を指図することはできない。
主さんは無理に争わなくていい。黙って勝ちを譲ってやればいい。でも、他人にそれを強制することはできないよ。みんな、それぞれ自分のルールで生きている。それを分かっていればいい。
>2
それは相対性理論を具体的に説明してくれと同じくらい厄介な質問ですが、強いて言うならば観念の働きだけに注目するのではなく、理念を論理的に語る術を身に付けながら、現実という言葉に騙されない形で、現実の意味を考えつつ、本当に正しい道の正しい行き先を考えてみる事ではないでしょうか?
私も争いごとは嫌いですが、自分の責任のためとか、誰かを守るためとかで嫌でも争わなくてはならないことってあると思いますよ。
それに争いごとは嫌だと言って、そのことで言い争っていては本末転倒のような気もします。
争いごとが嫌だというなら、その意見も引っ込めるしか他に方法はありません。
信念に反するこになりますからそれは仕方のないことです。
それができなければ矛盾撞着というものです。
正しさを主張するのはごく自然だと思いますよ。まあ、できないことが圧倒的に多いですが。
社会の多様性の中で自分の正しさを主張することは、少なくとも争いを含みます。
これは逃れようのない事実で、主さんも体験済みですね。
とはいっても、あくまでも正しさは言論で主張すべきで、権力や暴力は論外ですね。
それに、争いが嫌で自己の正しさを主張するというのは、あのガンジーにしかできないことかも知れませんね。
様々な屈辱には甘んじても、我慢の限界とか、やむを得ずの一線というのは必ず線引きしないとダメだと思います。守るために不戦でいることが圧倒的に多いかも知れませんが、やはり守るために戦うことも必要なのだと思います。少なくとも気分任せに好戦的に争いを吹っ掛ける輩よりは、百倍も千倍もマシな生き方だと思います。
主さんも争いが嫌いなのでしょうが、自分の正しさは主張したい。
主さんの主義・主張の中で真っ二つに割れている。
さて、どうしよう・・・? といったところですね。
たぶんここは、主さん自身果たして争いが嫌いなのかに疑問を持つことと、
自分の正しさにも疑問を持つことで、主さん自身に問いかけてみてはどうでしょうか?
>8
お互いの言語がずれてしまったので回答は難しいですが真理と原理の違いの話でしょうか?違っていたらすみません。
スレ主さんの仰る“収まる形”の意味は個人的には分かりかねますが、収まるとはそれまで通りの道筋という意味でしょうか?
だとすれば、それまで通りとは既定路線の意味で考えるのではなく、それまでもこれまでも人間が通りよい道筋で考えるのが正しいとは思います。
言葉を誤解していますでしょうか?
何にしても、正しいから正しいというよりはより現実的に正しいを考えながら、より理想的に道筋を付ける事だと思います。
>> 11
真理と原理の違いの話といわれましても、難解ですね。
原理とは、この世の仕組みのことで、真理とは、宇宙的な広義の意味で仰られますか?
この件は措いておきまして収まる形と表現したことは、その解釈(それまで通りの道筋)でお伝えできれば間違いありません。
しかし人が渡りやすい道筋となりますと既定路線ということになるのではないかと思うわけです。
それとですが同様の言語には複数の意味で解釈できる不思議にありますため、余計にお伝えするのが難しくなるものと思っています。
ここで安易に既定路線と申しましても、既定路線で何かが変わるか?とも言え、変わらないとも言えるわけですから。
という事情もありまして、まとめきれなくなり、取り敢えずここは割愛でご容赦願います。
>正しいから正しいというよりはより現実的に正しい考えをしながら、より理想的に道筋をつけること
とされたくだりの肝部分についてですが、申し訳ございません。ちょっとこちらも私にはわかりづらかったです。
正しいから正しいというよりはより現実的に正しいとは、どういうことを仰っていますでしょうか?ちなみに前者を誤った正論という意味にありましたら、私の意見ではそれは正論ではないという見解に至ってまいります。
失礼しました。
一つ一つの言葉を説明するのは簡単ではありませんが正論というよりも、古い正論に近いイメージですが、古い考えというより普遍的真理に近い考えの事ですが、すべてを説明していてはきりがないのでこの辺り済まさせて頂きますが、そうですね。古くも新しくもある考えの中で真理を見つめながら、原理を単なる原理として捉えるというよりは新しい原理に変わる前の古い原理として考えながら、原理はある。けれども、古い原理を出来るなら古い原理にするのではなく、新しい原理の中で生かされた古い原理を少しでも現実的にけれども、建設的に、古さではなく、より新しい世界の想像と建設に繋がる真の原理を見抜く目で真理を見つめながら、実際的な原則を現実的に考えようという話なのですが、支離滅裂な文章に感じさせたらすみません。
お気持ちよくわかります。
私も、対戦型スポーツすら嫌悪するくらいです。
当然、戦争は罪悪で不必要です。
ただ、仕事においては、ライバル会社と、お互いに切磋琢磨し合いながらよりよい製品を生み出していくという、競争の原理は悪いものではないと思います。
新しい回答の受付は終了しました
心の悩み掲示板の悩み一覧
注目の話題
お悩み解決掲示板 板一覧