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リアルな戦争話し。 自分が小さい頃に爺さんに聞いたこと。 爺さんは飛行機…
リアルな戦争話し。
自分が小さい頃に爺さんに聞いたこと。
爺さんは飛行機の整備士だった。
でも戦況の悪化と飛行機不足から、巡洋艦の鳥海に乗れと命令されて艦内の連絡員になった。
ソロモン海戦と言われる戦いに出た鳥海。
爺さんの初陣だった。
全長200mを超す重武装の鳥海は海軍の誇りで、足の遅い戦艦と比べてその存在は海戦の華だったそうだ。
速力は30ノットを遥かに超え、まるでモーターボートの様な速度で海上を疾走するその巨体は頼もしかった。
敵が接近すると一気に艦内は慌ただしくなり、主砲が放たれると轟音が響き渡った。
「耳栓してないと(耳が)やられるぞ!」と言われたが、連絡員の爺さんは耳栓する事が禁止されていて辛かったそうだ。
敵船と撃ち合いになった際に、敵の砲弾が真っ直ぐ飛んで来るのが見えたそうだ。
鳥海にも直撃した砲弾が多数あり、ガーンッ!と激しい音と衝撃が走ったが、装甲を貫通して爆発しなかった。
その時に爺さんが思ったのは、分厚い鉄板がまるで豆腐の様に簡単に貫通される様が、「自分は戦場に居る」と始めて実感した瞬間だったとのこと。
それまではやたらと士気高揚で歌ったり、いつもと変わらない厳しい訓練だったので、戦場に居る事が実感出来なかったそうだ。
多数の砲弾を受けた鳥海はズタボロになり、甲板には手足や内臓が散らばっていた。
連絡員として走り回る爺さんが一番困ったのは、走ってる最中にそれを避けながら進むこと。
激しく降り注ぐ海水を浴びながら、血塗れの床の上を滑りながら走り回って、下手すると自分が海に投げ出されそうだったとか。
若かった爺さんは連絡員としてアチコチ回って報告する中で、将校さん達から飴やパンをもらったりしたそうだ。
いつ死んでもおかしくない状況で、普通にしてる将校さん達の態度が印象に強く残ってると言った。
ソロモン海戦はまた起きて、次の戦いでは鳥海は至近弾(命中じゃないがすぐ近くで爆発)を受けた。
爺さんはその時艦内に居たが、ものすごい轟音と共に天井近くまで身体を跳ね上げられた。
直後に床に叩き付けられて頭を強打し、出血がひどく「自分は死ぬ」と本気で思ったらしい。
辺りを見回すと通路が歪んでいて、船全体が歪んでしまっているのが分かったそうだ。
近くに居た上官達の、「骨、行ったな…。」「ああ、だけど火ぃはまだ生きちょる」という話しが聞こえた。
「骨」とは船の骨格と言われる「竜骨」と呼ばれるもので、これが歪む事は致命打らしい。
「火」はエンジン…つまり動力源のこと。
この時、鳥海はエンジンは生きてるが、もう真っ直ぐ走る事が不可能になってたらしい。
それでも戦わなきゃならない理不尽さを強く感じたとのこと。
この戦いが終わった後、爺さんはラバウルという飛行場で降ろされて、本来の整備士の任務に戻った。
そして鳥海は次の海戦で沈没した。
何と生存者はゼロだった…とのこと。
船を降りる際に、先輩乗組員からいろんな物をもらった爺さんは、その「形見」に変わってしまった遺品を見て涙が止まらなかったとのこと。
その遺品は今は博物館に寄贈してある。
爺さんから譲り受けて自分が寄贈したものだ。
一人でも多くの人に見てもらいたい「戦争の記憶」だから。
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>> 18
4番さん
あまりに偏った見方で一方的に語られても、話しの趣旨が違うのでお答えしかねます。
誰も武勇伝の話しなどしていません。
本文に武勇伝として誇らしげに語るものは一文とて無いのです。
国家間の話しなども本文中には一切ありません。
語るのは戦争の最中、実際に祖父一個人が体験した事のみです。
被害者・加害者という隔たりを付けて物申している内容ではない事も、読めば分かると思います。
ただ実話を述べているだけの内容に関して、勝手に話しを飛躍されてご自分の見解を一方的に述べられても困ります。
本文に沿った内容ならともかく、全く関係ない話しを並べられても、それは私がするべき話しではありません。
>> 17
本当に忘れてはならない話ですよね。
今ある日本は、国のために戦士された英霊、過酷な戦争を生き抜いた国民の犠牲の上に成り立ってるもの。
感…
過去の辛い経験があるからこそ今の豊かな生活があるのですね。
豊かになったのは物だけじゃなく、一個人の権利であったり、生活環境全てにそれは言えると思います。
物も無く、権利も無く、国家に命ですら差し出さなければならない時代があった事は、決して風化させてはならないと思います。
もし戦争が忘れられた過去になれば、今の恵まれた物や権利が少しでも失われようならば、簡単に戦争を始めてしまうかもしれません。
そうならない為の抑止力として、過去の記憶というものは大切なのだと思います。
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