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全てを失ってどうすればいいか分かりません
父と兄は同じ中高一貫校を経て某国立大学に進学しました
母は兄が自分で選んだ道だと僕に説明していますが、父の意向他なりません。僕の場合も地元の公立中学校の悪評を吹き込まれていたので、事実上受験する以外の選択肢はありませんでした。
兄は幼い頃から数々のエリートを輩出する進学塾に通い、家では父がつきっきりで勉強を教えていました。普段穏やかな父が覚えの悪いところを怒鳴るので、相部屋の僕はびくびくしていたことを覚えています
また、父が席を外すと兄が八つ当たりで独り言のように僕の悪口を延々と呟くことも辛かったです。一度母親に相談しましたが、その夜に「ちくった」と散々なじられたのでそれ以来布団に包まりながら壁の方を向いて寝たふりをしていました
おかげで快活だった僕は学校でも人の内面を過剰に意識するようになり、神経を常に張り詰めてびくびくするようになりました。けれどそのことが原因でクラスで浮いてしまい、いじめっこ気質の生徒達から目をつけられる事態にもなりました。ストレスで円形脱毛症を患った時期もこの頃です。
ずっと思い詰めていたある日、家のホワイトボードに「死にたい」と一言書いてみましたが母親に物騒だと叱られた程度で何も気がついてはくれませんでした。
そして僕が四年生の時に、何も知らない母が一つの私立中学校を勧めてくれました。下は幼稚園から上は大学まであるエスカレーター式の学校でここに合格できれば安泰とのことでした。
僕はその言葉を信じ、今この辛さから開放されたいという一心で勉強に励みました。かつての兄のように夜遅くまで塾で勉強することになりましたが、それでも学校の人間関係から離れて別のことに集中することができたのは喜びでもあります。また、それなりに友達もできたので毎日が楽しかったです。
ところが、塾へ通う日にちが増えると学校の友達と放課後に遊ぶ時間がなくなり付き合いの悪い奴だと見なされてクラスからより孤立を深めることにもなりました。幼稚園の頃からの親友とも壁を感じるようになり、次第に疎遠となって卒業までには口がきける友達は誰一人残っていませんでした。
僕の志望校は兄の学校には足元にも及ばない偏差値ですがブランドがあり、地元の企業にOBが多いとのことでした。同等レベルの学校でいじめ自殺問題が取り沙汰された年ということが相まってそこの志願者が流れ込む事態となり倍率も跳ね上がったそうです。
なので無事に受かったと分かった時はこれで報われると思いました
しかしこの学校も所謂おぼっちゃま学校で、幼稚園小学校から進級してきた質の悪い金持ちの選民意識を持った生徒達が各クラスで幅を利かせている惨状でした。僕のクラスもそういった輩が牛耳っていて、結局そういう人間に因縁を付けられないよう僕は相変わらずびくびく怯えて一年を過ごしました。
兄に見下され、同世代に対してさえ格差を感じ、このまま社会に出てもずっと怯えて生きていかないとダメなのか、なんてことを考えると何もかも馬鹿らしくなって中学卒業までの二年間をひきこもりました。もちろん、同学園の高校にもましてや大学にも進学は許されません。
今は定時制高校に籍を置いていますが何をする気力もないので学校には行っていません。
全てが自業自得ですけど泣いたらダメですか?
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>> 5
自分の好きな様に生きて下さい
両親は自分から見てあなたの生き方を苦しめる存在であるなら見捨てれば良い
引きこもりだけはやめて下さ…
ありがとうございます。
これまで学歴のことばかり考えてきましたが、そこに囚われず何か生きがいを見つけようと思います。
他人の視線は未だに怖くて目を合わせることもままなりませんが、経験者さんの仰る通り根性で乗り越えていきたいです。
また、あの時察してくれなかった母を憎いと感じる心もありますが見捨てるような考えにはどうしても至れません。
いつか全てが上手くいった日にここで打ち明けたことの全てを洗いざらいみんな話して蟠りも憎しみもちゃらにできればいいな、なんて夢見ています。
>> 7
親としては、主さんが将来食うに困らないようにと必死だったんだろうとは思います。
それが、いつの間にか、主さんの健康を見失ってたのでしょう。…
ありがとうございます
まさに両親は中学受験さえ無事に合格できれば後は就職までエスカレーター式に上手く行くと思っていたようです。次男はとありあえずここに入学しておけば問題ないという安全牌でしかなく、父の意向を直々に受けた兄に対して僕は資質を過小評価された心境です。
また、中学時代にも友達はできましたが現在連絡を取り合っている友人は居ません。何度か会いたいと言われましたが、合わせる顔もなく全て無視してしまいました。
家の中で引きこもっていた時間は僕の中でまるで何もなかったかのように空っぽですが、かつての友達や同世代の学生達は青春を謳歌していたと思います。また、それは今この時も同じだと思います。
なので僕の中にない二年間を重く捉え、凄まじく後悔していたので何ら問題ないという言葉で心が軽くなることができました。
ゆっくりでもいいから、まずは社会復帰を目指したいと思います。
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