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みんないつか死んでしまう。 みんなは恐怖でパニックにならないの? 家…

回答11 + お礼4 HIT数 597 あ+ あ-

匿名さん
19/05/27 02:08(更新日時)

みんないつか死んでしまう。

みんなは恐怖でパニックにならないの?

家族や友人の死のとき考えます?

私は毎日毎日考えてしまい、怖いです

No.2851565 19/05/20 07:47(悩み投稿日時)

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No.1 19/05/20 08:15
匿名さん1 

死のことを深く考え過ぎると怖くなるかもしれません。
でも精一杯頑張ってきたので、寿命が来たらそれはそれでやれやれです。

No.2 19/05/20 08:27
匿名さん2 

回避不能なことに恐怖を感じでも意味がなーい

No.3 19/05/20 08:30
通行人3 

パニックになることが自分は怖いので

死ぬって必ずくるけれど
今日ではなさそうだ
と思えば
明日のことは明日考えればいい
というわけで
今日はできることをして
仕事なら
人が喜んでくれればいいし
休みなら体休めればいいし

今日生きてることに感謝して
一日を過ごす。
だめ?

No.4 19/05/20 08:50
通行人4 

私は寿命で死ねるなら本望かな
まー確かに死ぬ瞬間
苦しんで死ぬんじゃないか?とか考えれば
怖くないと言えば嘘になるけど
例えば病気になったとして
余命半年とか宣告される方が余程怖くです(^^;

No.5 19/05/20 08:52
匿名さん5 

その時に考えるかな

今考えてても死なないわけじゃないし

No.6 19/05/20 12:56
お礼

皆さんは今をちゃんと生きてるんですね。
死ぬ間際とか、余命宣告された時に恐怖になったり、後悔しないように、
するにはと、小さい時から考えています。
対処方はやはりないのでしょうか。

No.7 19/05/20 21:07
通行人3 

対処法っていうか
敢えて言うなら、考えないこと
じゃない?
考えたら怖くなるから。

No.8 19/05/21 03:37
匿名さん8 

いつかはなん中の形で死ぬ。覚悟をしておくこと。

No.9 19/05/22 03:53
通行人4 

そやね
対処法ね

悔いの無い様
今やらなければいけない事を精一杯やる!
確かに今は死ぬ事について考えれば怖い事かもしれない
それよりも貴方が幸せになる事が1番大事な事です
年を取って亡くなる時に
良い人生だったと思えれば
きっと怖くないです

No.10 19/05/26 02:02
経験者さん10 ( ♂ )

主はある意味、繊細だね。
まだ特に重病とか高齢でもないのに、一般人より死の恐怖に怯え悩む。
お釈迦様に似てるな。
つまりこの恐怖が契機で、禅寺に入る等して悟りを開き、死の恐怖を克服し、一般人よりずっと晴れ晴れした毎日を送れる可能性があるって事。
死に対し鈍感な一般人は何が何でも悟り開きたいなんて思わないから、ある意味、主の方がチャンスに恵まれてる。要は如何に恐怖をチャンスに変えられるか、だ!

私は主とは少し違った考え方をする。
いつか我々は死ぬ。二十歳過ぎていたら、ほぼ確実にあと百年以内に。
て事は我々皆、死刑囚と変わらん。
下手して明日、交通事故か何かで死ねば、刑務所にいる死刑囚より早く死刑執行された事になる(笑)

つまり、現世に関する限り、究極には死以外で我々を束縛するモノ、絶対に強制させるモノは無いって事。
我々は自由なんだ! ただ一つ死ぬという宿命以外。
死の問題だって仮に神を信仰しているなら、この人生で為すべき事、正しく生きる等のすべき事はあるが、これらは皆、「~すべき」であり、我々の自由意志でやるかやらないか決められる。
「~しなければならない」つまり強制はない。

こう考えると、自由意志で為す努力以外、強制されてする努力やオーバーワーク、悩み等から我々は究極的に自由って事。
どうせ百年以内にいつ死ぬか分からない死刑囚なんだからね(笑)
世の中、やりたくなければ、やらなくてもいい事だらけ。
今一上手く書けなかったが、私の考え伝わったかな?

No.11 19/05/26 02:18
お礼

>> 10 ありがとうございます。

私はどんな時も、怪我したわけじゃない、命があるからと、嫌なことも気にしない、たいした事じゃないって思うようになってます。しています。
一生治らない病気を抱える家族もいて辛い時もあります。
ただ、生きているから大丈夫と。

だけど、死の恐怖だけは怖くて仕方ない。気が狂いそうです。死を覚悟できる人受け入れて、
余命をまっとうできる、人を尊敬します。

No.12 19/05/26 02:19
お礼

>> 9 そやね 対処法ね 悔いの無い様 今やらなければいけない事を精一杯やる! 確かに今は死ぬ事について考えれば怖い事かもしれない そ… そうですね。
今を精一杯生きるしかないですね!

No.13 19/05/26 03:23
匿名さん13 

羨ましい
充実した人生おくってんだろね

死ぬのは未知のことで怖いかもしれないけど
こんな人生歩んでたって苦しくて惨めなだけだよ
早く死んで無になりたいね

苦しい時にうずくまって痛みを堪えるように、きっと死も何もしなくても通過するよ

やりたいことも叶えたいこともどうせ無理なのだから

自分は自分なりに精一杯生きたつもりだから

いつ死んでも怖くない

No.14 19/05/26 04:01
お礼

>> 13 いつ死んでも怖くないって言えるってすごいです。

ありがとうございます。

No.15 19/05/27 02:08
経験者さん10 ( ♂ )

>11
だからこそ禅などが有るのでしょ?
書くだけで体験しないとダメだけど、禅はじめ真の仏教や一部のインド哲学の目的は、自我つまり主体が存在しないと言う真実を悟って、死の恐怖を完全消滅させる事。
死ぬ者、死ぬ主体が究極的に存在しないなら、何で死を恐れる必要がありますか?
これ現代の最先端の脳科学でも、自我、自分が居るという意識は人間みたいに複雑な思考をする動物の頭が混乱しないために、脳が仮のモノとして作り出した幻覚に過ぎないと解明されてますよ。

また西洋の哲学者や心理学者には次のように死の恐怖の解決について説明する人が多い。

-死後の世界が有るか無いかは分からない。もし有るならアナタの魂なり霊は死後も存在し続けるわけだから、死んで自分が無くなってしまうのを恐れなくていい。
またもし、死後の世界が無いならば、アナタが死ねばアナタ自身、死んでる事を感じない、知らないわけだから、恐れもない。ある意味、生まれてくる前の状態と同じ。

とにかく仏教的、禅的に考えるならば、もともと無我つまりアナタと言う特定の存在は無いのだから、肉体の死後だけが死なのではなくて、今すでにアナタは死んでいる。ってか居ない、無いのだから、死んでるのと同じ事。
そしてこれは生まれる前とも同じだ。
(仏教には輪廻を説く派があるが、禅は究極的に輪廻を説かない。有名な禅の言葉に、何か悩み抱えた人に向かって「ところで君のお祖父さんが子供だった頃、君や君の悩みはどこに居たかね」と師匠が尋ねるってのがある。)

ただ禅でも仏教でも悟りとは、頭で無我の理屈を理解するのではなく、修行して無我を「体験」する事だ。そうやって初めて、真に死の恐怖から解放される、と言われる。

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