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誰かと比べられるとやはり辛い。それも自分の長所、周りの誰かが同じくらい仕事ができるとか同じようなことが得意だとかお互いは認め合っていたり仲が良かったり気持ちの良いライバル視をしているのに周りが2人のどちらかこっちの方ができるよこっちの方が可愛らしいよ偉いよ良いよ!って比べてくると勝手に劣等感や辛さを感じます。生き辛い。
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わたしも似たことで悩んでた時期ありました。
でも、
あの人はヒマワリを咲かそうとしてる、
あの人は稲を実らそうとしてる、
あの人はかすみ草を咲かそうとしてる、
自分は蓮の花を咲かそうとしてる。
みたいに考えてみてはどうでしょうか??
みんなで一斉に生まれて平等なところからスタートして同じゴールに向かって同じ路線で生きてるなら、
比較してしまう気持ちもわかります。
みんな同じスタートで同じ花を咲かせようとしてきたのに、自分だけ咲けてないと焦りますよね。
でも、そもそも誰もが最初から、種の段階から別物なんです。
ヒマワリの種の人は大きく明るく華やかで爽やかな花を咲かすけど、お日様いっぱい浴びられる環境・季節にしか咲けない。
穴の種の人は華やかさや明るさはないけど頭を垂れて謙虚に生きる姿勢を目指してる。
かすみ草は一見小さくか弱く目立たぬ花だけど、花束にしたときに添えられてるととても可愛く力を発揮する。
蓮は泥の中で、泥を栄養にしてしか咲けない。
みんな咲く方法も、季節も、条件も、ゴールも、違うわけです。
蓮の種が明るく伸び伸びとしたひまわりに憧れて泥から抜け出し太陽の下へ行ったところで咲けないし、
ヒマワリが謙虚で控えめな稲を尊敬し真似ようとしたところでヒマワリの種からは大きく堂々とした明るく爽やかなヒマワリしか咲かないし、
かすみ草が蓮のような強さに憧れて泥の中に紛れ込んだら咲けません。
他の花に憧れたところで、自分は自分の花しか咲かせられない。自分の咲ける季節にしか咲けない。自分に合う環境でしか花開かない。
だから、人と比べて一喜一憂することは大変無駄というか時間がもったいなく、
そんなことをするよりは自分が一体どんな環境でどんな風に生きれば輝けるのか、
環境を変えるのか自分の考えを変えるのかなど、
自分に興味を向けて自分の成長、しあわせに向かっての努力などした方が幸せになれると思います。
人と比較することはとても無意味だと思います。
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