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良心に正直に生きるほど生きづらくなっていくのは、なんでしょうか?

回答28 + お礼24 HIT数 1661 あ+ あ-

誰にも言えないさん
21/02/25 05:38(更新日時)

良心に正直に生きるほど生きづらくなっていくのは、なんでしょうか?

21/02/23 11:01 追記
自分の生活だけを考えて生きていくなら国なんて要りません。
周りは敵だけになる。
自分の生活だけを考えて生きていくというのは絶対的に改めねばならないことです。

21/02/23 11:02 追記
そのような人物を権力者に仕立て上げたらなりません。

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No.3241361 21/02/23 09:14(悩み投稿日時)

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グッドアンサーに選ばれた回答

No.49 21-02-24 10:47
通りすがりさん49 ( )

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孔子の言葉に

「朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり。」

と、いう論語があります。

「朝に正しい道について聞けたなら、その晩死んでもかまわない」という意味だそうです。

良心に正直に生きる、というのは、それくらい尊いので辛くなる必要はないんですよきっと。
でも、メッチャ気持ちわかります!
スイートペインだったらいいんですけどね。

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No.2 21/02/23 09:28
お礼

>> 1 ありがとうございます。苦しくて辛くて救いの言葉に飢えています。良心に従うのは要らん事なのですか?行動するとき善悪判断は働いてしまいます。善悪判断なくして生きるのが正しいですか?迷惑を顧みもせず只管に楽しいことばかり楽しむことばかり追いかけていけば、よいということでしょうか?

No.5 21/02/23 09:49
お礼

>> 3 うーん。私は逆に良心に従ったらいいことしてるみたいで、自己満だけど気分良く過ごせるからそうしてる。例えばどんなことだろう? 良心に従えば精神面は救われます。でも物質面では相対的に作用してしまうのです。
例えば買い物するときには、良心に従えば年寄り夫婦が経営する昔ながらの商店で割高な商品を買い老夫婦に協力したくなります。だけど実際に割高な商品を手にすれば自身の生活を苦しめることになります。そのような観点にあります。
就職面接でも、ありのまま熱意や姿勢を伝えて採用されたことはありません。
企業が必要とする人材像を理解して、貢献できる姿勢を売り込まなければ上手くいった試しはありませんでした。
未経験職種につくときは、余計に営業能力が求められていきます。
ですが未経験の職種ほど未来予測は不可解になりますので、良心に従う正直なほど、うまく伝えにくくなっていくこととなります。
実際には騙しの技術的な営業能力に優れる人を人材として企業は望みます。
などです。

No.6 21/02/23 09:51
お礼

>> 4 色んな場面で意味の質は違ってくると思いますが 「出る杭は打たれる」からだと思います 私は姑息な奴らからありえないほどの攻撃を受け続けてい… ありがとうございます。そんな日は、いつか終わる。
そう考えれることだけが良心が生きれる希望なのだと感じます。
確かに、そうですが・・。
いつまでも信じられる状態でいられるわけではなく、辛くて苦しいです。

No.9 21/02/23 10:00
お礼

>> 7 あー!なるほど!Mr.インクレディブルみたいですね。生きる力とか世渡り上手とかいうやつですね。私はそれがなくて仕事もやめ、世捨て人状態。 生活資金0円になっても、明るく暮らせる目標をお持ちですか?
ネロか火垂るの墓かようになるおつもりですか?
一時期考えたことあるんですよ。
最後は無銭で野垂れ死にすること。
縁者目線から見れば、他の方法と同じように身勝手かなとか思います。

No.10 21/02/23 10:01
お礼

>> 8 良心を優先させると損をすることが多いからです。 はい。ほんとに世知辛いことです。

No.12 21/02/23 10:15
お礼

>> 11 それも私の中では良心に従い消化できない課題の一つです。
要約、投資で格差の開く問題については議題になってきてるようですが。
不労所得は、やはりあるべき姿ではないと考えてしまいます。
投資も含み的には、誰かの損失と誰かの収益で成立するものです。
所得制限を設けなければ経済は流通しませんよね。

No.14 21/02/23 10:21
お礼

>> 13 なるほど。投資で食べてられるのですね。配当金で食べていくというのは、相当に資産がないとできなくないですか?

No.16 21/02/23 10:31
お礼

>> 15 現状から私が意識する良心には自己犠牲を必要とする精神面が幅をきかせてきます。
悪いことしないと生きられない、そういう環境に生きている感覚で生きています。

No.18 21/02/23 10:33
お礼

>> 17 月60万て収入ですか?

No.23 21/02/23 10:49
お礼

>> 19 良心とはなんぞや? ジョゼフ・バトラーは「反省の原理」 アダム・スミスは「観察者の感情」 J・S・ミルは「心中の主観的な感情」 … 私は即席なら良心は共助共感へ繋ぐ力であると定義できます。

No.24 21/02/23 10:51
お礼

>> 20 老夫婦のために、自分を犠牲にして、欲しくも無い高い商品を買いまくったら 老夫婦は喜ぶと思いますか? 余計なことをすんなって怒られ… それはおかしくないですか。商売していて商品を購入してもらえば感謝するに決まってます。
店ごと買い占めるという意味ではありません。

No.25 21/02/23 10:55
お礼

>> 22 Qなんででしょうか A良心と価値観と綺麗事の混同による深読みのしすぎで生きづらく感じるのでは? 無い袖は振れない いくら考えたって… ありがとうございます。良心は、生活環境で揺るがない確かな価値の筈です。
無い袖を降らせるのは、行政や政府、国でした。

No.27 21/02/23 11:37
お礼

>> 26 最終的には無欲におさまることですかね。
無欲から始まる自発性の愛であるといえば伝わりますか?
現時点の良心は慈しみの心です。

No.30 21/02/23 11:49
お礼

>> 28 >>25 良心とはこうであるはず!って価値観を手放してみてはどうですか? 気楽に生きられるようにこう考えてみたらどうかな… それで自由奔放し放題で、社会的弱者が虐待のターゲットとされてきたではないですか。
そんなもの肯定するのは、到底良心なんて呼べるものではありません。

No.31 21/02/23 11:51
お礼

>> 29 なるほど、無欲ですか、納得しました。 それを出来れば全ての人に共感して欲しいと考えているのかな? busyさん、こんにちは。唐突で申し訳ないですけど、辞令抜きにbusyさん=3さんですか?

No.33 21/02/23 11:56
お礼

>> 32 違うんですね。
なんとなく似てる印象がありました。
失礼しました。

No.35 21/02/23 11:57
お礼

>> 29 なるほど、無欲ですか、納得しました。 それを出来れば全ての人に共感して欲しいと考えているのかな? すべての人に共感できることが可能であれば、そこは天国かお浄土かみたいになるでしょうね。

No.38 21/02/23 12:11
お礼

>> 36 そうですね、全ての人には無理でしょうね。 でも、主さんが限りなくそれに近付くことを目指したいのであれば、とてつもない辛さを覚悟した上で進ま… ですから辛い苦しいと知っています。
それで相談しているのです。

No.39 21/02/23 12:13
お礼

>> 37 3は私。busyさんほどしっかりしたこと書いてないです。 そうなんですね。
失礼しました。

No.42 21/02/23 12:22
お礼

>> 40 就職面接の件は良心とは関係ないでしょう。相手の望むことを無視して自分の感傷にこだわっても誰も得しないよ。 金を稼ぐには清濁併せ飲む器量もな… 私には関係があるんです。現行経済システムにより、どれだけ底辺の人間が苦しめられ苛立ち悲しみ恐怖に慄いているか知っています。

No.44 21/02/23 12:25
お礼

>> 43 良心を捨てきったら人は狂人になります。
狂人には、ならないように工夫をするのにも限界を感じました。
俄かではないし浅く考えていません。

No.46 21/02/23 12:39
お礼

>> 45 行くのですね。わかりましたよ。

No.48 21/02/24 08:00
お礼

>> 47 ありがとうございます。
経験者の意見ほど心強いものはありません。
ご指導いただけると光栄です。
良心を傷めないためには
①「どうにもならない」⇒「関与せず、ひっそり生きる」
もしくは
②「どうにもならない」⇒「関与して、改善に努める」
に落ち着くかと思います。
②の姿勢が、正しい生き様なんだと思います。
10代で気づき良心に従った生き方を目的とした勉学に励まなければなりませんでしたね。
本当は、わたしは10代の頃やれたのかもしれない。
だけど欲もなく、ある程度、現状に満たされた生活にもいたので①を目指しました。
①は楽しく楽ってだけの理由です。
できるだけ関与せず楽しみながら生きていければ、庶民として十分幸せだと考えました。
価値の違いを認めていました。
人類が間違えているのは知っていましたが、人生を真剣に重く歩む理由を解す必要はなかったですね。
だけど、そうではなかったというのは、歩みを続けてわかったことです。
元の関わらず小さな世界で楽しい生活を送れるように折り合いをつけて、他人を基準にしながら相応の努力もしてきました。
報われないほど自信は喪失され、標準的な生活から最下層の生活まで折り合いをつけて調整してもうまくいくことはなかったですね。
良心を追及するのが楽しいのではありません。
無関心や無関係の立場なんて成立しない義務的な出来事です。
無関心や無関係を通そうとする人たちは、誰もが歩む道になるのではないでしょうか?
一人の人生は全体の幸福と平和を目的として歩まないと行けないはずです。

No.50 21/02/24 11:13
お礼

>> 49 私には難しいですが、とても善い言葉をいただき深く感謝します。
その論語を知りませんでした。
論語の意味は、わかりそうです。
正しい道を行けるなら、それに従い命を恐れる理由はありません。
それほど正しい道は尊く清々しいみちであるはずのスイートペイン状態にあります。
正しい道を知ることができないのは、なぜなのでしょうか?
どうやら私は、追いかけても追いつけない理解力を必要としています。
理想は理想でしかないのに、理想に固執しすぎている観も否めません。
理想は理想でしかないことに納得できない現実と罪悪感とに苛まされています。
正しい道を歩んでいれば、あるがままに生きれてるであり、ご縁は必要かもしれません。
なにかアドバイスありますでしょうか?
よくよく考えていきたいです。

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