ここは苦労している人が多いので、祈られる方も多くいらっしゃると思います。 私が…
ここは苦労している人が多いので、祈られる方も多くいらっしゃると思います。
私が思うに真の祈願とは捨て身の覚悟をもってしてするべきもの。
そのような認識にあります。
間違っているとはいえないでしょうけど、やはり、そうではないこと願いたいものでしょうか。
22/10/05 09:03 追記
そのようであれば、そこには命を落としかねない大変に狭き門があります。そういうことになるかと存じます。
そのようになくてすませる状態に持っていくのがベストなはずなのではありませんか。
それともそのようになくてすませようとの考えが邪道なのでしょうか。
22/10/05 09:28 追記
こういうことを言われる人は殆どいないのはありませんか。
個人的に縁なく知れないだけで言い伝えられている話なのかもしれません。
身をもって厳しい行をされる修行者がおりましても、そのようなことは言われてなかった気がしています。
間違っているのか、そんなのは間違っていると思いたい自分が居ます。
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正道は慈悲を捨て身の覚悟にして祈願する姿勢にありますが、一方で憎しみを捨て身の覚悟にして祈願する人とがいますでしょ。
天才とバカは紙一重とは言いますが同じ捨て身の覚悟なのに、なぜ、こうも食い違ってしまうのか。
感情の持ち方を、どう持っていけばいいのか。
どちらも深い悲しみを抱くには違いないのですよね?
その厳しさを考えると私の立場で安易に口に出すのも畏れ多いですが、仏教で有名な修行法に千日回峰行というのがあります。
叡智の結集が、あのような修行法を編み出したのですよね。
できることできないこと一人一人違っても、そこに同じ価値の真実があると感じています。
他人事にはならず、ただの運命だからで片づく話ではありません。
それには気づかれていますか。
それとも違いますか。
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