自分は何のために生きてるのかと思うことがあります…。 2種類の発達障がい(…
自分は何のために生きてるのかと思うことがあります…。
2種類の発達障がい(ADHD、自閉症スペクトラム)を持つ発達障がい者です。
私は今は投薬(より傾向の強いADHDを2種類)してもらえ、就労B型にお世話になりながら国から障がい年金を貰って生活しています。
未婚子なしで40才であり、いつか障がい者同士でシニア婚する可能性はあるにせよ子供は持たない人生を持つことは確定的だと思われます。
いつか就労A型に上がって収入を増やしたいと思ってはいます。欲しいものを買って買い物を楽しんだり、36~39才にかけてソロウェディングや変身フォトの写真を撮ってデータの写真を家に飾り、自己満足でコスプレを楽しんだりもしました。
シニア婚の可能性はあるにせよ、比較的外見的若さのあるキレイな状態で写真を撮って後悔しないようにしたかったのです。
私は発達障がいゆえ、(中学は世話好きなクラスメイトの親友が居て一応、孤立していませんでしたが)高校時代は一応進学校に行けた(父が教育熱心だった)けど3年間スクールカースト底辺だったのを父に当たり散らしながら形式的に卒業→ストレートに中堅大学に進学しました。
私は内心、高1の時にポスターで見て知った通信制に移るか大検(今の高卒認定)経由で大学を目指したかったのですが、父が辛くても今の高校を通いきって卒業して欲しいと思ってる&全日制の小中高を経て大学に進ませるのが我が子に与えたい全うでまともな進路だと思ってるのが伝わっていて、言えませんでした。
もし父が転校を認めてもきっと父の価値観上、他の全日制の高校に移されると思っていました。
しかしそれは現実的ではないため、実は別室登校繰り返せばほぼ確実に私の思う進路に変えられたのです。
父は納得しなくても、入学金や制服代や進学校に行くための家庭教師代もムダになったように感じても。
どうして思いきってそうしなかったのかなと思います。そう動いた方が親子で喧嘩になっても、スクールカースト底辺だったのを当たり散らしながら通いきって卒業するより結果的に親孝行になったかも。
病死した母親は私のADHDに気づいていました。私を窓際のトットちゃんみたいと思っていて、全日制中高以外の特殊な進路を用意した方が良いかもと育児日記に書いていました。
今はスクールカーストから開放され、障がい者として生きられて楽にはなれていますが…。
とりあえず私にとって良かったのは父の後妻も居なく一人っ子だったので、父の死後、家含めた父の遺産を全て独り占めして相続できたこと&親になれる器でないのに子供を産まなかったことです。
子供部屋おばさんのまま、まともな社会人経験なく生きてます。
今の状態を父と国に感謝してもいます(もし今も発達障がいの概念がないままならどうなってただろうと思うとゾッとします)が…。
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