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※自分語り 初めて死にたいと口にしたのは、小学二年生の頃だった。 当時は…

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学生さん
22/02/27 19:51(最終更新日時)

※自分語り

初めて死にたいと口にしたのは、小学二年生の頃だった。
当時は虐められていて、ただでさえ精神に負荷がかかっている時に、先生に叱られたのが原因だった。
思えば、それからずっと病んでいるのかもしれない。
虐めは小学生一年生から三年生まで続いた。先生はみんな真摯に対応してくれたが、いじめは結局三年続いた。
小学校に入る前、つまりは虐められる前は、「諦めたら終わり」が口癖の子供だった。
親は俺の口癖を気に入っていて、よく笑ってくれた。
でも、虐めで全てが変わった。
「諦めたら終わり」なんて思想は、いじめで影が落ちた俺の心からは取り除かれた。
俺の性格は真反対になり、重度のネガティブ思考になった。
それからというもの、何か悪いことが起きると自分を責め、親からは「あの頃の○○はどこ言っちゃったの?」と冗談めかしい事を言われた。
相手が飽きたのか、いじめは四年生で終わった。
だが、いじめが終わってからいくら時間が経とうと、俺の性格が元に戻ることは無かった。
結局そのまま六年生になり、病むことが多くなった。
日常の中のほんの小さな出来事や言葉でも病んでしまい、俺とは違って大雑把な性格だった母が放つ言葉とは、あまりに相性が悪かった。
教師陣はそれなりに重くとらえていてくれたのだろう。何回も個人面談の機会を設けられた。
たが、その度重なる相談を持ってしても、俺の心の傷は癒えなかった。
卒業文集にも恨み言を書き、俺は小学校を卒業した。

中学校に入学し、入る部活を決めなくてはいけなくなった。
小二から続けていたバスケと、小五からやっていた吹奏楽。どちらを選択するか悩んだ末に、入る友達が多かったバスケ部に入った。
だが、1ヶ月と少しで辞めた。
理由は、病んでしまったからだ。
バスケ部の指導のやり方は、他の部活と全く違った。
所謂、昭和風の指導方法である。
それがかなり精神に来てしまった。
このままではおかしくなってしまうと思った俺は、直ぐに退部届けを出した。
だが、部活をやめてから病み具合は酷くなる一方だった。
四年の努力を無駄にしたことと、努力出来なかった自分への自己嫌悪で、狂いそうな程病んでしまった。
だが、誰もそれに気づかなかった。
これに関しては周りがどうとかじゃなく、俺が自分を隠すのが上手かったのだろう。
昔から人の顔色を伺うのが得意だった俺は、人前でのキャラが自分の中で勝手に形成されるようになった。
一種のプラシーボ効果とも言えるそれは、病んでいる自分を別の自分で覆って隠してしまった。
だから、誰も俺が苦しんでいるとは思わなかった。
それから、病みの度合いは上がりに上がって、ある意味飽和状態のようになった。
つまりは、それが自然体になってしまったのだ。
登下校している時も「轢かれて死にたいな〜」とか、帰った後も「誰かが侵入してきて、俺を殺してくれないかな」などと日頃から考えるようになった。
そしてそれは、思わぬ弊害を生んだ。
日常から死を求めるようになった俺は、努力が出来なくなった。
どういうことかと言うと、何か目標があり、 努力をしなければ行けない状況にあるとき、「失敗して、絶望したら自殺できかな」と考えるようになってしまったのだ。
あと数日で受験だと言うのに、努力できなかった。
落ちたら、死ねるかなと考えたのだ。
あぁ、救えない、救えない。

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No.3485759 22/02/27 01:51(悩み投稿日時)  

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