宗教について
宗教 特に仏教についてききたいのですが、釈尊の本懐は法華経にあると聞きました。聞いた話ではそれ意外の釈尊の教えは方便であると聞きました。そして釈尊の予言通り今は釈尊の法華経にも功徳がなくなり日蓮聖人が釈尊の後を継ぐ上行菩薩だと聞きました。ちなみに私個人は仏教のいいとこ取りをしています。お経もやるし座禅も瞑想も活用したりはたまた神道やスピリチュアルキリスト教全部浅く広く好きなのですが先日友人に今は日蓮聖人以外の宗教は罰になると聞いてビビりました。実際はどうなんですか?
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宗派によって考え方は違います。
>> 1 そうですよね ただ仏教は全て釈尊の説いたものですよね?ならば釈尊は最終的に何を実践せよとおっしゃってるのかなと思いました。友人に言われるまでは全て役にたつことだと考えていましたが。詳しく書いてる本とかないですかね
うっ…。
さっぱりわからん。
でも、宗教に客観的な正解はないと思いますよ。
主なりの信仰を大切にすれば良いと思います。
簡単な概要から。釈迦 本名 シッタールーター
2500年前の釈迦族の王子。
南無阿弥陀仏も法華経も釈迦の死後700年後にネパールの僧侶たちによって作られた。一番釈迦に近いと言えば般若教。これは釈迦の死後一番先に作られたと言える。それでも釈迦の数十年後ではあるが…。
法華経が釈迦の考えに近いとされるゆえんは釈迦は哲学者だと思って良い。つまり死後の事には一切触れず人の生き方を説いた人なのである。よって般若教も法華経も人の道を説いた教えであるから一番近いと言えなくはない。
また、仏の道には罰はない。仏とは赦<ゆる>しの神であり争いを無くす為に説いた教えなのである。
なお釈迦は偶像崇拝はしてはならない我が身を拝む事なかれと説いている。
仏像が作られるようになったのも死後300年後ぐらいと言われている。
では罰が当たるとは、これは神道<天照大神>から来た言葉で神道は罰と恵み。罰は日照りや水害、地震などの災害を表し恵みとは豊作を表す。前進はアバハラキの神→秋葉神社
他質問あれば何でもどうぞ
- << 6 素晴らしいですね。ありがとうございます。気になったのですが、日蓮聖人はシカの格言とゆうのを言ってましたよね。念仏無限禅天間等。自分は釈尊の言われるようになるべく誠実な振る舞い等を心掛けているつもりなのですが考えてみたら弱い自分に負けてる事も多いのが現状です。日蓮聖人の教えでは基本は題目が菩薩行で題目で仏になれるけどそれ以外の宗教をやると罰がくだるとゆうのではないのですか?それが怖いのです。何故なら真面目に生きてて自分では菩薩行のつもりが結果的に罰だらけなんて最悪だからです。一方で日蓮聖人だけを信仰すれば単純だし協調性にかけるかもしれないけど仏になれてシンプルで楽だなと思います。でも偏ってるのではないかなとも思い迷ってます。今、回答してくれた内容からすると釈尊の真意は釈尊に直接聞くしかなさそうですね?教えをまとめたのが釈尊ではなく弟子達だからです。釈尊の仏像を拝むのが釈尊に逆らう事だとはきずきませんでした。確かに自分を拠り所とせよとおっしゃってましたよね。念仏も真言も根本は釈尊の教えになっているんですよね?それを空海や阿弥陀如来が後に根本として用いたのでしょうか?伝教大師が禅宗等をハシャクしたのは釈尊の真意をわかっていたからなのでしょうか?質問だらけで申し訳ないのですが明日以降でもいいので負担のない範囲でまたご教示いただければありがたいです。
- << 7 すいません、ネパールの僧侶とゆうと空海や阿弥陀如来はネパール人ではないですよね?後神道についてですかあれはいわれてましたように天照大神が根本だと思いますがだれが開祖なんでしょうが?自分はワールドメイトに入会しかけましたが日蓮宗の友人の話を聞いてやめました。ワールドメイトについてはどうゆうふうにみてますか?
まあ全ての宗教が方便じゃないですか?
宗教全ては人が創造した文化だし😃
>> 4 簡単な概要から。釈迦 本名 シッタールーター 2500年前の釈迦族の王子。 南無阿弥陀仏も法華経も釈迦の死後700年後にネパールの僧侶たちに… 素晴らしいですね。ありがとうございます。気になったのですが、日蓮聖人はシカの格言とゆうのを言ってましたよね。念仏無限禅天間等。自分は釈尊の言われるようになるべく誠実な振る舞い等を心掛けているつもりなのですが考えてみたら弱い自分に負けてる事も多いのが現状です。日蓮聖人の教えでは基本は題目が菩薩行で題目で仏になれるけどそれ以外の宗教をやると罰がくだるとゆうのではないのですか?それが怖いのです。何故なら真面目に生きてて自分では菩薩行のつもりが結果的に罰だらけなんて最悪だからです。一方で日蓮聖人だけを信仰すれば単純だし協調性にかけるかもしれないけど仏になれてシンプルで楽だなと思います。でも偏ってるのではないかなとも思い迷ってます。今、回答してくれた内容からすると釈尊の真意は釈尊に直接聞くしかなさそうですね?教えをまとめたのが釈尊ではなく弟子達だからです。釈尊の仏像を拝むのが釈尊に逆らう事だとはきずきませんでした。確かに自分を拠り所とせよとおっしゃってましたよね。念仏も真言も根本は釈尊の教えになっているんですよね?それを空海や阿弥陀如来が後に根本として用いたのでしょうか?伝教大師が禅宗等をハシャクしたのは釈尊の真意をわかっていたからなのでしょうか?質問だらけで申し訳ないのですが明日以降でもいいので負担のない範囲でまたご教示いただければありがたいです。
>> 4 簡単な概要から。釈迦 本名 シッタールーター 2500年前の釈迦族の王子。 南無阿弥陀仏も法華経も釈迦の死後700年後にネパールの僧侶たちに… すいません、ネパールの僧侶とゆうと空海や阿弥陀如来はネパール人ではないですよね?後神道についてですかあれはいわれてましたように天照大神が根本だと思いますがだれが開祖なんでしょうが?自分はワールドメイトに入会しかけましたが日蓮宗の友人の話を聞いてやめました。ワールドメイトについてはどうゆうふうにみてますか?
日蓮も神の使いの一人
なぜ他の神を信仰したら罰があたるのだろうか
おかしな話しだ
他の神を祈れば罰があたると言うこと自体インチキの証拠
インチキ宗教はたくさんあるが
お釈迦様の教えは、わかりやすくすると、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三法印に集約されています。
世の中は変わり続け変化し続ける、常なるものは一つとしてない。
そして全てのものごとには実態がない、形あるものは必ずその形を失い、命あるものは全て滅ぶ。そのように諸々の法には姿があるように見えても実態はないのである。
この諸行無常、諸法無我を真に悟り得たならば、人間的欲心や執着がなくなり、心おだやかで世の迷妄に霊昧自失することなく、本来の死生観に誤謬がなくなる。そして、いよいよ本当に苦しみのない永遠幸福至極な世界を求めなくてはならない、つまり涅槃寂静を求めなくてはならない。
これに世間一切皆苦を加えて四法印と呼ぶ。
そして、苦諦、集諦、滅諦、道諦の苦集滅道を説き、このための実践方法として八正道を説かれている。仏教の究極的目標が涅槃寂静であり、お釈迦様はそうして人々が幸せになることを願い大蔵法典を残したといえます。しかし、インドのカースト制度の時代だという背景があります。同じようにそろぞれの宗祖の時代背景というものがあり、日蓮の、これでなくてはならないと過激なやり方にも、その時代背景があると思います。つまり、全ては人々を『幸せ』にするための時代に合わせた教えなのであり、今の現代では、一つに拘泥するものではないと考えます。主の良いとこ取りは誤りではないですよ。
まあ 日蓮宗は攻撃的な宗派で有名ですからね。
他の宗派はもちろん 異なる宗教なんて全く認めないでしょう。
かの創〇学会は皆さんご存知の通り 日蓮宗の信徒団体ですが その成り立ちを含めてどうにもいかがわしいと思ってしまうのは私だけでしょうか。
最初に概要を書いたのは釈迦の生い立ちが理解してないと迷路に入り込み出られなくなるからです。シッタールーターの部族は戦闘的で周りの部族が加勢を頼みに来たほどだったのです。当時のインド宗教はバラモン教と言って今のヒンズー教の前身です。シッタールーターはなぜ争いが起きるのか?と疑問をもちバラモン教の僧侶となり、修行に入りました。
その頃からすでにカースト制度もあり、それも疑問に感じていたのです。
般若教の教えが釈迦に近いのは。かたよらない こだわらない とらわれない。この三点を守れば争いは無くなる、人はすべて平等となると考えたのです。
他に永久不変な物はない。
などもありますが、基本は、この三本柱です。
5世紀に仏教が伝来した時、仏典が何千と持ち込まれました。日本の僧侶たちは自分の価値観とあった経典を選び、それを伝え歩いたのです。
天台宗だったかな?ちょっと失念しましたが、朝、法華経 夜阿弥陀経する宗派もあります。以前創価学会の人にその話をしたら、それはおかしいと言われましたが、はたして変でしょうか?どちらも仏教の僧侶が書いた仏典ですよ。ちっとも変ではないんです。
さっきの三本柱を思い出してください。変ではないでしょう?
天照大神は卑弥呼かな?と言う説があります。卑弥呼はシャーマンだった事は知られています。中国の道教を用い予言をしていた節があります。証拠は鏡は有名ですが道教で重要な桃が大量に出土しています。
では神は?
火の神 太陽と火山 太陽は恵みと罰は解りますね?火山は富士山で例えると解ります。裾野に拡がる樹海、そこから湧き出る水、肥えた土。つまり恵み。罰は噴火ですね。火山の多くに鳥居があるのはその為です。
ちなみにキリスト教を遡っても火の神にたどり着きます。エジプト、マヤなどもです。
仏教と神道がくっついたのが山岳信仰となります。
仏教がなぜ日本に広がったか?赦しの神で罰はない、それより僧侶は医術に長けていた要素が強いですね。寺の敷地には今でも薬樹が多くあります。
8、9、10さんの言う通りですね。
日蓮さんは過激な坊さんで中央政権から遠ざけられていましたが、伊勢神宮に度々お詣りに行っています。
天照大神→天皇に敬意を持っていました。
創価学会員が鳥居をくぐらないのは日蓮さんの教えからしても変ですよね?
9さんが言われるように仏教は・いいとこどり・ の宗教なんです。
だから今の日本人の多くも正月、神社で柏手打って葬式には寺の坊さん呼んで結婚式はアーメンとクリスマス良いところは何でも受け入れる度量があるんです。
横道にそれますが、位牌は仏教には何ら関係無いものですからね。
あれは儒教 孔子の教えから先祖ならび両親を敬いなさい。
掛軸に名前を書いて敬ったのが最初と言われています。
宗教を信じるのは 自由
自分宗教以外は 嘘デタラメ と言うのは怖いですよね
そんな人達の言葉に 惑わされてはいけない
過激な団体はいっぱいあるから 草加とかだけでない 枝分かれした 団体がいっぱいあるから 皆がみんなで あっちはデタラメと いいはっているからね
自分信じるものが全て
罰なんてないです。いったいその罰は誰が与えるんですか?どんな罰なんですか?
世界中に宗教を信仰している人は半端じゃない数でいますが、皆罰あたりになるんですかね。
そもそも罰なんてあってもなくても皆苦しんでるじゃないですか。
仮に罰のような出来事が起こったとしても、そのことを学びとして捉えて行くことが出来たら自分にとってプラスでしかないはずです。なにも恐れることはないです。
罰があたると唱えている人達は、自分達の信仰する宗教宗派が一番正しいと思っていて、それを知らずに間違った宗教を信仰する人達、或いは自分達の宗教を信仰することが一番の救いの道であるのに、それを知らない人達を救わなければ!ってな思いで方便で言っているのでしょう。
もしそうでなければそれこそ怖い話です。
まあしかしそれはよいとして、殆どの宗教が自分達が正しいと主張するなかで、うちの宗教以外を信仰すれば罰があたるなんてとこが2つも3つもあったらどうしますか。どこへ行っても罰があたるでしょう。
何を言いたいかと言うと、罰を恐れて学ぼうと言うのであれば、何を学んでも何が正しいのかわからずに気持ちがフラフラしてしまうと言いたかったのです。何度も繰り返しになりますが、ある宗派、ある教団で学び、素晴らしい教えだと感心しても、他の教団でうちの教えのが素晴らしい!いやむしろうちの教えを学ばなければ罰があたる!なんて言われたら罰が恐い人は動揺します。
ですから罰なんてものに捕らわれず、純粋に素晴らしいと思う教えを学んでみたらよいと思います。
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