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当初の寿命よりも長く生きているのではないかと思ってしまいます。 コロナ渦に…

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匿名さん
20/07/05 13:45(最終更新日時)

当初の寿命よりも長く生きているのではないかと思ってしまいます。

コロナ渦にあるので普通ではない現状だとも思いますが、
一方で、国をあげて、世界中で同じウィルスを恐れているということが異例なだけで、今まででもそういう事態はおこっていましたよね。
だから、これまで光が当たってこなかったことで生きていく世の中。つまり常識が変わった世の中にあると思っています。
かつては、そんな風になって新たに必要とされる国家が作り上げられるのだ!
という思想を持っていましたが、東京での政府の奮闘や東京都知事選に、これまでのスケジュールや方式を用いて乗り越えようと奮闘なさっている方たちを応援している一方で、すぐに情報が公開され、批判や意見などが沸き起こりスムーズにことが運んでいかない実態。

嫌気がさしてしまいました。

悪態ついては生きてることが無意味に思えてきました。

国のことを考える人がいるから国があるのかなとも思う。

がんばってる人に感謝しつつ、

自分が先に死んだら

親不孝かなとか
死んで喜ぶ人がいたら嫌だな
生きてるあいだに残した恥ずかしい奮闘した形跡を誰かにみられる恥ずかしさ 羞恥心
を思って少しためらうけど、

両親や祖母や親戚が亡くなったら、
悲しいだけじゃなくて役所に死亡届出したり、
お通夜やお葬式や供養したり
それを考えただけで、死んだ想いになるし、
今の私にはそんなことできないのではないか。

コロナが流行りだした頃、
家族中でインフルエンザA型にかかってしまい、ただでさえ糖尿病、腎臓病、肝臓、大腸、大腿骨骨折と、病気とともに生きてきた母がインフルエンザにかかったうえに、椅子から転倒して身動きがとれなくなり(今は大奮闘、大健闘の結果、骨折の手術リハビリをへて退院)
この世の終わりの予感を感じた。
その時、自分の頭の回転と、現実の動きが一致しないことに気づいた。

頭では手続きの方法がわかっても、
順を追って、状況にあわせて手配していくことは心を強く持たないとできない。

病院に救急車で運んでもらう際も、
倒れてすぐに救急車を呼ばず準備が整うまで家にいたし、
すぐに救急車を
という、長年染み渡った常識が通じなかったこと
救急車に同乗したら、
運ばれる準備を整えた母はしっかり受け答えしていたが、私はすべてを予測できない状況におかれて不安が大きかったし消えたかった。

インフルエンザにかかる前から私には鬱が襲いかかっていて、
年末年始あたりはずっと死にたがっていた。


まだ生きたいと思う気持ちと
もう死にたいなと思う気持ち
まだ生きたいって言った方が明るそうだからなのであって、
どちらかというともう死んだ気持ちで生きている。

お墓参りや仏壇へのお供えなど熱心な家だったからでしょうか。
最近は、ご先祖様へのお供えを供えているような気持ちで水や食べ物を作る時間しかなくて、
お供えしてもらったものを食べているご先祖様側の気分になったりします。なぜなんでしょう。結構仏教の教えは深いので、共感して自ら始めたことや、理論をわかって行えていればいいけれど、見よう見まねでやって来ただけで心が合わなかったりするからなのでしょうか。

心が汚れてしまったのでしょうか。

No.3093835 20/07/03 22:40(悩み投稿日時)  

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