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悩みと言うよりは、独白のようなものです。 私は、他人の感情が理解出来ません。他…
悩みと言うよりは、独白のようなものです。
私は、他人の感情が理解出来ません。他人と同じもので笑えず、他人と同じもので泣けません。それを辛いと思ったことはありません。ただ自分の感性は一般からしたらおかしいものだから、周りに合わせて嘘を吐いていた方が楽だと言うことを私は学びました。
でも、どうしても独りになると、自分でも訳が分からないのに泣き出してしまい、どうしようもなく息をするのが苦しくて、一思いに楽になりたいと思うのです。
当然のように明日の話をする人が嫌い。人の楽しそうな笑顔や声が嫌い。みんなの好きなものが嫌い。
そして、そんな自分が何よりも嫌いなのです。
どれだけ他人の真似をしても、自分は他人にはなれないのに。他人の心は理解出来ないのに。
もうすぐ、私は20歳になります。嘘で固めた自分は馬鹿みたいに笑いながら、周りに合わせて遊びの予定や就職活動の、未来の話をするのです。
明日のことすら、真っ暗で何も見えていないのに。
死ぬ勇気のない私を、弱虫と言ってくれて構いません。同調して馬鹿な道を進んだ私を、愚かと蔑んでくれて構いません。
ただ、何処かに一度、気持ちを打ち明けたかっただけです。失礼致しました。
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私も他人とずれてたな~
それが悲しくは無かったけど。
ただ、無知だったから
色々騙された。お金も取られた
家も貧乏だから、自分の事は自己責任で、希望など持てる要素も何処にも無かったけど、ただ若さで
好奇心で、生きてたな。
今も少数派かな~?って思う時あるけど、案外少数派が沢山いるよ
人とは観点が違うってことですよね。それを活かせたらすごいと思いません?
絵とか小説とか何か思いつくこと趣味から始めてみたらいろいろ開けるかもしれないですよ。
ちなみに私は、油絵をキャンパス買って思いつく色でがーっと塗りつぶしてます。出来上がりがホラーだけど、かなりすっきりしますよ!!
>> 3
人とは観点が違うってことですよね。それを活かせたらすごいと思いません?
絵とか小説とか何か思いつくこと趣味から始めてみたらいろいろ開けるか…
ご回答ありがとうございます。
曾祖母が読書家でよく本を勧めてくれたので、幼い頃から本を沢山読み、中学の頃からは行き場の無い感情をぶつける思いで、「日常の中にある『異常』」をテーマに、思春期の少年少女を主人公としたネット小説を書いています。
ただ、今現在は周囲の環境の変化に流されて趣味にまともに手を付けられない状態なので、これまで辛うじて保ってきた自分の琴線が不安定になってるのかも知れません。
自己満足の独白をお読み頂いて本当にありがとうございます。嘘で固めた上に成り立っている今の環境ですが、落ち着いたら創作を再開しようと思います。
こんばんは🌃。わたしにも他人と違うことを考えているなあ、と思う点が多々あります。例えば、回りが去年のリオデジャネイロオリンピックの体操男子団体総合の金メダル🥇で盛り上がっているとき、わたしはカヌー🛶で日本人初の銅メダル🥉で盛り上がっておりました😅。でも、回りは受け入れてくれましたし、自分でも「妥協せずに」済んだ、と喜んでおります(苦笑)😧💦。でも、これでいいと思います。他人と違うのは犯罪じゃないです。怪しまれますけどね😅。主さん、自信を持って❗
「生命哲学」の本を読んでみてください。立ち読みで構いません。さわりだけ見てもらったらいいです。そしたら、なんか考え方が変わると思います。生命哲学は宗教ではありません。安心してご覧になってください。私は最近、お客さんに勧められてさわりだけ読みましたが、もうその時点で物の考え方が変わりました。短い期間でいろんなことが変わりました。無理強いは強いません。書店で見かけたら手に取ってみてください。
>> 9
こんばんは🌃。わたしにも他人と違うことを考えているなあ、と思う点が多々あります。例えば、回りが去年のリオデジャネイロオリンピックの体操男子団…
ご回答ありがとうございます。
励ましの言葉を頂いている…と判断して良いのか、自分の感性ではよく分からずすみません。
でも、貴方様は全然普通の感性の中で生きていると思いますよ。
例えば、自分の中に死にたい欲や人を殺したい欲があったとして、貴方様は他人にそのことを打ち明けられますか?死ぬ勇気が無いから殺して欲しいなんて言ったとして、それが受け入れられるとでも思いますか?
今の世の中では、死も、殺しも、悪に等しいものです。極端な話ですが、私の中にあるのはそんな感情なのです。
最早、妥協するしないの話では無いのです。犯罪でなくても、思考は十分犯罪者予備軍と自覚してますから。
自己満足の独白を見て頂き、ご回答を頂けたことには感謝しております。
しかし申し訳ありませんが、私には貴方様の思考は解りません。
死にたくなるほどに、自分を嘘で固めてしまっているという事でしょうかね。
厳密に言うと嘘ではなく、無理をしてるという事じゃないでしょうか。周りの人間との感性や価値観とのズレはあるにしろ、周りを気にせず我が道を行く勇気もなく、出来れば周りと合わせて紛れていたかった…というのも主さん自身ですからね。
ただ、無理がかかって、今それが辛くなってきてるという事ですよね。
私も周りと合わず、ある時からずっと一人です。自分はおかしいんじゃないかとずっと思って、孤独で不安でしたが、ある時ある書物の言葉を目の当たりにして、自分の抱えている問題と同じじゃないかと思い、自分と似たような人が世の中に居るんだと分かった時に救われました。あぁ自分だけのおかしい感覚じゃないんだなと。
私の事は書きませんが、自分と共感出来る人間が一人でも居れば違うと思うんですよね。昔はインターネットもなければ、気軽に知らない人と話せるツールもなかったので、周りの人間だけがすべてでしたが、今はネットを検索すれば、色んな人間が居るんだという情報が得られますし、そこで、自分の感覚に近い人たちやコミュニティを探して、色々話しも出来ます。
周りとずれてる自分が嫌いとの事ですが、もっと自分の感覚を大事にしてもらいたいです。周りに迎合する必要はありません。周りに迷惑をかけるような事でなければ、色んな価値観があっていい訳ですから。
独白されてたので、少し私も書かせて頂きますが、私は人を殺してみたいという願望がありました。ただ、それは絶対にしてはいけない事だと自分で分かっているので、代わりに虫や爬虫類(蛇やトカゲ)などを殺していました。
何故殺したかったのかと自分で考えてみると、発端は死への恐怖だったろうと思います。幼い頃に身内の死を目の当たりにしてから、死が怖くて怖くてしょうがなく、ずっと死の事についてばかり考えていました。死ぬ事や、死の意味や、自分の存在理由まで色々悩み知りたくて、命あるものを殺しながら、何故この命は今私に殺されなければならないのだろう?と問い掛けながらただひたすら殺してました。
ただ、私の場合そういう疑問というのは、人間の本質的な疑問なんだという事を、色んなキッカケで知っていくうちに段々解決していきました。そのキッカケがなければどうなっていたかわかりません。
これは私の悩みの一部ですが、そういう意味でも、自分の感覚に対して色んな事を調べたり、知る行動を取ってみたらどうかと思います。その中で、何か自分を楽にさせるものに出会ったり、考え方が変わっていくかもしれません。
>> 12
死にたくなるほどに、自分を嘘で固めてしまっているという事でしょうかね。
厳密に言うと嘘ではなく、無理をしてるという事じゃないでしょうか…
ご回答ありがとうございます。
死にたくなるほどに嘘で固めてしまっているというのは、確かに事実です。もうすぐ20歳になりますが、初めて周囲からの疎外感を覚え、感性の違いを自覚し、そして身内の死を経て「死ぬこと」を知ってから15年ほど経ちます。最初に嘘を吐いたのは、全くの無自覚でした。
小学校に入った時です。苦手だった人との対話が上手になった、あれだけ疎外感に包まれていた日常が無くなった、自分の感性はおかしくなくなったのでは、と思ったことが少しだけありました。
でも、そのうち内面と表情が乖離していくのを感じ、冷めた心で笑顔を浮かべ、思ってもいない言葉を平然と吐いて周囲と接している自分に気が付きました。
感性を大事に、や、同じ人が居ると言って頂けるのはとてもありがたいです。
でも、もう私には自分が何を考えてるのかが分かりません。嘘を吐き続ける中で次第に感情が希薄になっていって、もう本心では笑うことも怒ることも、楽しむこともまともに出来ないのです。人前では馬鹿みたいに笑うくせに、独りになった途端にみっともなく泣くことしか出来なくなるのです。
死にたい、人を殺してしまいたい、死ぬ勇気が無いから殺して欲しい。私の中にはそんな気持ちばかりが幾つも存在しています。それだけが、今の私の持つ数少ない明確な感情です。
そんな感情、周囲にとってはとても迷惑だと思います。だから私は、嘘を吐くしか手段を知らない自分のことをただ…知って欲しくて、ここに書き込んだのかも、知れません。
支離滅裂になってすみません。長文、失礼致しました。
>> 14
独白されてたので、少し私も書かせて頂きますが、私は人を殺してみたいという願望がありました。ただ、それは絶対にしてはいけない事だと自分で分かっ…
ご回答ありがとうございます。
私にも、人を殺してみたい願望はあります。死ぬ勇気が無いことと、比較対象が居なければ自分がまともに見えるのではないかと言う、恐らく恐怖を取り除きたいが故の願望です。
私も幼少期に曾祖父を亡くし、初めて人の死に触れました。でも、当時から周囲との価値観の違いを感じていた私が抱いたのは「死ねばこの場所から居なくなれるんだ」と言う逃避の思いでした。
私は、死ぬこと自体は怖くないです。だって、死は全人類に等しく平等に与えられる終焉だから。ただ、死ぬ時と場所と過程がそれぞれ異なるだけで。ただ…死後にすら石を投げられるのが怖いから、自死を選べずにいるのかも知れません。
15年ほど努力を重ねてきた中で出会えなかったものに、今更出会えるとは思っていません。
ですが、これからも死ぬ勇気無く惰性で生きていく道を選ぶなら、何かしら考えなくてはならないかも知れませんね。
>17
赤裸々に告白して頂きありがとうございます。
私も祖母を幼児期に亡くし、その時初めて人は死ぬのだなと知り、私の場合は死を恐怖するようになりました。
何が恐いかと言えば、死について何一つわからないからですね。死は他人の死はあれど、自分の死はありませんから。生きてるうちは死を体験出来ませんので。死を知る術がありません。死だけではなく、生きる理由もわからなければ、自分という存在も、他人という存在もわからない。そのわからなさにずっと不安がありました。
だから、死は全人類に平等に与えられる現象だという捉え方が出来ません。自分の主観でしか物事が見えず、他人の事はわからない。主観の自分ですら一体何者かがわかりませんからね。だから、物理的な意味ではなく、最初から孤独感があります。あと、ずっと何かに騙されてるような感覚で生きてました。
何故、祖母の他界でこんなにも死に取り憑かれたのかというと、祖母は脚が悪く寝たきりで、私はまともに話もした事がなかったのですが、そんな祖母に対して私は暴力を振るっていました。幼児期ですから悪気はなく、遊びの延長で寝たきりの祖母を蹴ったり殴ったりしてたのですが、祖母が亡くなった後に、祖父から「婆ちゃんを殺したのはお前だ」と言われたのです。
それがどこまで本気で、どういう意図で言ったのか今となってはわかりませんが、人の死のインパクトと同時に、それがすごくショックで、それから死について考えるようになってしまいました。死とは何か?殺すとは何か?その奥にある意味ですね。それを知りたくて、何かを殺して確かめようとしてたのだと思います。
私は逆に死後の事には関心がありません。死後に石を投げられようが、死んでしまえば関係ないですからね。ただ、その場合の死後への恐怖というのは、死後に石を投げられるかもしれないと思ってしまう、今の現状への恐怖なのでしょう。
あと、たとえ他人を殺しても自分は見えない筈です。自分は他人が居なければ成り立ちませんからね。自分というアイデンティティは他人が鏡となって浮き彫りになるもので、最初から独立してあるものではありませんから。それも私を楽にしてくれた、自分という疑問への回答の一つです。
現実を逃避したい気持ちは私もあります。死の恐怖とこの現状から逃げたい気持ちが同居してます。だから衝動的に死ぬ行動も取りましたが、どこかでブレーキがかかり、助かりました。ただ、現実逃避の手段としてよく自分が抜ける事があります。自分が抜けて俯瞰して眺めるような感じになるのですね。
こういう話は確かに誰にも出来ません。話が通じませんね。一度心療内科のカウンセラーの方にそれとなく話しましたが、彼等は今の世間の価値観の中での解決法とアドバイスしかしないので、話にならないと実感しました。死への疑問は俗的なものとは関係ありませんからね。
話が長くなり申し訳ごさいません。ただ最後に、主さんの殺したい衝動というのは、主さん自身も含まれてると思いますが、生きてる事への実感が著しく乏しいのじゃないかと思いました。それは長い間自分が周りとずれてると思い、自分を殺して周りに無理矢理合わせてきたのが原因なのだと思いますが、自分への価値みたいなものを見出だす材料に乏しかったのじゃないでしょうか。
私はずっとそうです。自分は居ても居なくてもいいなぁと。そもそも生きてく土台みたいなものが私たちにはないですよね。自分が存在する確固たる意味や理由がしっかりあるなら、それが土台となり生きていけますが、そんなものはありませんからね。じゃあどうやって土台を築くかと言えば、他人からの承認です。自分の存在を肯定してくれる何者かが必要です。その一番の他人は親ですね。親が自分の存在をまるごと認めてくれる事で、自分への価値も実感出来、それが土台となりますが、そこが上手くいかなかったり、他人から強く疎外された経験を持つと、自分への価値が見出だせず、生きてる実感も乏しくなるんだと思います。
私は未だに自分の悩みなど解決はしてませんが、ただ悩みの正体を必死に探って知る事で、悩みの捉え方が変わり、何とかごまかしごまかし生きてるという感じです。みんなそれぞれ悩みも解決方法も違いますから、主さんへは何のアドバイスも出来ませんが、その悩みや願望はもはや雲散霧消する事はないと思います。だとしたら、上手く付き合うしかないですよね。とにかく生きてもらいたいです。何か望みがあるとするなら、それは生きる選択をした中にしかありませんから。
- << 24 母は仕事が忙しく、私は家に居る時間の殆どを、家事を担う祖母と一緒に過ごしました。 しかし厳格な家で育ち、ヒステリックな祖母は私の居ないところでいつも愚痴を零していました。 「育てたくて育てているんじゃない」「どうして他人の子供の面倒を見なければならない」「本当に面倒なものを連れ帰って来た」と、祖母は私が布団に入った後、夜な夜な祖父に言っていました。全て聞かれているとも知らずに、何年も何年も言っているのを、私は渇いた心で聞いていました。 そして私が中学に上がる頃には、祖母も限界だったのでしょう。それを包み隠さず、私にぶつけてくるようになりました。そして言われました。「誰もお前を育てたくなかったから、年老いた曾祖父母の家に厄介払いしたんだ」と。 同じ頃、母は仕事と言いながら夜中に出歩くことが増え、家に知らない男性から連絡が入ることもありました。 そして一度、私は泥酔した母が深夜に男性を連れ込み、体を重ねている姿を見ました。私がどれだけ知らないフリを装い壁越しに声を掛けても、母は男を誘い、私は耳を塞いで吐き気を抑え、ただ声を殺して泣くことしか出来ませんでした。 そして元々諦め掛けていた家族と言う存在に、私は失望しました。 長々と語ってしまい申し訳ありませんが、貴方様が言った親と言う存在は、私にとってはこの世で自分の次に大嫌いで、信用ならない存在です。 もう私は、承認欲求を持つことが怖い。今更自分を認められたところで、ここまで隙間だらけになった心がどうにかなるとは到底思えない。今更土台を用意されたところで、そこに踏み込むだけの力は私には残っていないのだから。 生きて欲しい、と言って頂けるとはとてもありがたいです。でももう、自分では死ぬ勇気が無いだけで、手遅れなんだと思います。 通学電車を待っているホームで、自分が一歩を踏み出す想像をしただけで、普段は感じないほど異常な昂りを覚えます。信号待ちをしている時や、料理で包丁や火を使っている時。何度か自分で首を絞めた時にも感じました。目の前が次第に暗くなって、意識が遠ざかる感覚。 私にとってそれはもう、一種の快楽なんだと思います。 ただ私は…音に怯えず、手足を伸ばして眠れる場所で、幸せを感じたかっただけなのに。 長々と駄文にお付き合い頂いて、本当に申し訳ありませんでした。
>> 22
赤裸々なお話を、ありがとうございます。
私にも、もう少し話させて頂いても良いでしょうか?
他からの承認欲求は、昔は確かにあったと思います。特に幼少期はそれが顕著だったのでしょう。小学校時代の私はクラブ活動の部長に委員会の委員長、縦割り班の班長から運動会の応援団長までなんでもしました。その役割を担えるくらいの人望も、嘘で固めて作り上げていましたから。
でもいつからか、その全てが重く煩わしくなって行きました。どれだけ良い成果を出しても次を求められ、例え失敗しても無駄に良い子を演じていた影響か、周囲からの期待が無くなることはありませんでした。
貴方なら任せられる、貴方には才能がある、だから期待している、と。
それは当時学校にしか居場所が無かった私にとってこの上無い希望の言葉だったはずなのに。気付けばその期待に応えることに疲れ果て、今はもう、認めなくて良いから私に何も望まないでくれと言うことしか出来ません。
あまりに長い身の上話になりますが、もしお読み頂けるなら幸いです。
私の両親は、若くして私を授かりました。貴方様の年齢欄の数字が実際の年齢ならば、貴方様は私の母の一つ下になります。
両親は学校も中退することになり、若いうちの過ちとは言え、私は周囲から望まれずして生まれました。
しかし私が生まれてすぐに両親は離婚。私を引き取った母は自分一人では育てることが出来ず、幼少期は祖父方の曾祖父母の家で育てられました。
曾祖父母や同居していた大叔父は私に大変良くしてくれました。母や他の親族に会うことは稀でしたが、寧ろその3人に育てられた私にとって、両親の居る家庭とは異世界のようなものでした。
しかし、キリスト教徒であった3人と、宗教なんて何も分からず、信じるものも持たなかった幼い自分の間には、もう既に見えない壁が隔てられているような気がしたのです。
周囲が当然のように話す「親」を知らず、育ての親とも隔たりを感じていたことも、今考えると感覚のズレの一因だったのかも知れません。
小学校に上がる直前、私は母の実家に連れ戻されました。祖母の親族である曾祖母と大叔母と、祖父母と母の暮らす家でした。
私は連れ戻された際、母や祖父母の仕事が安定して世話を見る余裕が出た。それに親と一緒の方が良いだろうと言われました。
でも、そこで暮らして見えて来たのは、明らかな私への「拒絶」でした。
>> 22
現実を逃避したい気持ちは私もあります。死の恐怖とこの現状から逃げたい気持ちが同居してます。だから衝動的に死ぬ行動も取りましたが、どこかでブレ…
母は仕事が忙しく、私は家に居る時間の殆どを、家事を担う祖母と一緒に過ごしました。
しかし厳格な家で育ち、ヒステリックな祖母は私の居ないところでいつも愚痴を零していました。
「育てたくて育てているんじゃない」「どうして他人の子供の面倒を見なければならない」「本当に面倒なものを連れ帰って来た」と、祖母は私が布団に入った後、夜な夜な祖父に言っていました。全て聞かれているとも知らずに、何年も何年も言っているのを、私は渇いた心で聞いていました。
そして私が中学に上がる頃には、祖母も限界だったのでしょう。それを包み隠さず、私にぶつけてくるようになりました。そして言われました。「誰もお前を育てたくなかったから、年老いた曾祖父母の家に厄介払いしたんだ」と。
同じ頃、母は仕事と言いながら夜中に出歩くことが増え、家に知らない男性から連絡が入ることもありました。
そして一度、私は泥酔した母が深夜に男性を連れ込み、体を重ねている姿を見ました。私がどれだけ知らないフリを装い壁越しに声を掛けても、母は男を誘い、私は耳を塞いで吐き気を抑え、ただ声を殺して泣くことしか出来ませんでした。
そして元々諦め掛けていた家族と言う存在に、私は失望しました。
長々と語ってしまい申し訳ありませんが、貴方様が言った親と言う存在は、私にとってはこの世で自分の次に大嫌いで、信用ならない存在です。
もう私は、承認欲求を持つことが怖い。今更自分を認められたところで、ここまで隙間だらけになった心がどうにかなるとは到底思えない。今更土台を用意されたところで、そこに踏み込むだけの力は私には残っていないのだから。
生きて欲しい、と言って頂けるとはとてもありがたいです。でももう、自分では死ぬ勇気が無いだけで、手遅れなんだと思います。
通学電車を待っているホームで、自分が一歩を踏み出す想像をしただけで、普段は感じないほど異常な昂りを覚えます。信号待ちをしている時や、料理で包丁や火を使っている時。何度か自分で首を絞めた時にも感じました。目の前が次第に暗くなって、意識が遠ざかる感覚。
私にとってそれはもう、一種の快楽なんだと思います。
ただ私は…音に怯えず、手足を伸ばして眠れる場所で、幸せを感じたかっただけなのに。
長々と駄文にお付き合い頂いて、本当に申し訳ありませんでした。
主さん、告白ありがとうございます。主さんは、自身の告白読んでみましたか?
読んでみたなら、感想、感じたことありますか?
もし、迷惑でないなら、イヤでないなら客観的に読んだとき、どう感じたか、聞いてみたいです。イヤなら拒否でも良いです。拒否なら、拒否と教えてくださいね(^^)
>24
読ませて頂きました。端々で昔の私と被る部分があり、読んでて胸が締め付けられるような思いがしました。
似てますね。形態は違えど、最後の一文、「音に怯えず、手足を伸ばせる場所」という部分が、私にはすごくリアルに感じました。
私の両親も離婚をしていますが、物心ついた時から私たち家族は争い事の絶えない状態でした。
祖母が亡くなってから、私たち家族はある事情で実家を追い出され、家族4人(弟がいます)で暮らしてましたが、両親は相変わらず喧嘩ばかり。喧嘩と言っても母親が一方的に騒ぐだけです。私の母親は精神病者なのですね。当時はどこかの神経の圧迫からくる精神疾患だとよくわからない言われ方をしていましたが、恐らく今で言うとこの統合失調症だろうと思います。
ずっと精神病棟へ入退院を繰り返していましたが、喧嘩の際の騒ぎ方が尋常ではなく、言っては悪いが子供の頃は化け物としか思えなかった。とにかく被害妄想が酷く、父への怒りが凄まじく、夜中に隣の部屋でキチガイのように騒ぐのです。それを子供である私たちは、布団の中で怯えながら聞いているという毎日でした。子供である私たちも、父に似てるという理由で、ヒステリーを起こし叩かれたり怒鳴られたりしてました。
とにかく母は私たち子供よりも、父に対しての恨み辛みを晴らす事だけがすべてのようでした。主さんとは内容は違いますが、音に怯えず、手足を伸ばせる場所を求めていたのはまったく一緒です。
母親もそうですが、私は父の愛情も感じた事がありません。今思えば父なりの愛情はあったのですが、当時私は父に捨てられるんじゃないかとずっと怯えて暮らしてました。それは、父がたまに帰って来ないのですよ。女です。私の父も他に女を作り、母が入院してる間に家にまで連れて来てしばらく生活してた事もありましたし、旅行まで行った事もあります。
おそらく、主さんも色々あったのだろうと思いますが、ここでは書ききれないのではないですか?私も色々あり過ぎて、自分の過去をちょっと語るだけで、こんなに長文になってしまいますが、とてもじゃないですがここでは書ききれません。
その特異な家庭環境も、周りとは違うという疎外感を感じる要素の一つでしたね。
こんにちは、自分もつい1か月ほど前まで、少し似たような状態にいました。
自分はその時までの自分を「死人」と呼んでいます。
自分も他人の思考や感情を理解できません。情報としては理解することはできますが
何故そういった思考や感情になるかが理解できません。言葉すら通じないといった感じです。
自分からすると周りには猿しかいなく、猿の檻の中で生活をしている気分です。
今でも人間種なんて、自分も含めてずべて死ねばいいと思っています。
死人の時、自分も自殺を考え行動しようとしましたができませんでした。
何故自殺できないかなども真剣に考え、一応の答えは自分なりには出しました。
けど、それは本当なの?などと考えだすときりがなく
最終的には自分は自殺できない人と決めることにしました。
そんな時に思っていたことが主さんの
「手も、足も、耳も、目も、口も、命も、何もかも要りません」という一文に
非常に共感を覚えました。全然違うよということでしたら、すいません
自分の場合は、死などではなく自分の存在を消してほしいという思いでした。
自分自身の痕跡をすべて消してほしい、誰の記憶にも残らないように
この世から消えたいと今でもそう思います。
最初、主さんの投稿を少し読んだときこの人も死人だと感じました。
間違っていたり、不愉快にさせたら本当にすいません。
けどそう感じた時、少しうれしく、少し悲しくなりました。
少しうれしくというのは、今まで一般人の割には色々な悩みや病気になった人たちと
会話をして相談にのったりしてましたが、死人と感じる人はいませんでした。
初めて同類にあった喜びというものでしょうか、自分でもよくわかりません
自分の勘違いかもしれません。
少し悲しくというのは、同類がいると感じた事実の悲しさです。
だからといって主さんを救いたいとかそういのではありません。じゃなんで
投稿してるのっていわれると困りますが、頭に一つ浮かんだことがあります。
自分と友達になってくれませんか?
正直自分には友達がいないので友達が何かわからないですが、頭に浮かんだ言葉が
それだったので。よかったら一度検討してみて下さい。
特異な家庭環境であるが故に、近所からは差別的な目で見られ、父が借金をしてたというのもあり、取り立てにも追われ、とにかく私たち家族は「社会的に弱い立場にある」と子供心に思ってました。世間に虐げられてるという感覚です。だから世間に対しての憎悪が私の中に根深くあります。
変な話、私はあのオウム真理教の麻原を見た時に、あれは私だと思いました。直感的に私と似ていると思ったんですね。
彼も目が不自由であるというコンプレックスと、それに伴う親の態度や周りの環境に対しての不満から、社会に対して憎悪を持ったのではないかと想像します。子供の頃に、私が社会的に強い立場に立ったなら、私を虐めていた人間たちを全員死刑にしてやるとよく夢想してましたが、そんな馬鹿な夢想を実際にしてしまったのが麻原という気がしてなりません。
主さんは、学校が唯一の居場所で、そこで嘘の自分を装い無理をしてたのですね。私は器用に自分を装うという能力がなく、結局はぐれて浮いてましたが、その方がまだ楽だったかもしれません。
この「居場所」というのは、どんな人間でも抱えている、人間の根源的な問題だと思います。自分とは、生まれたくて生まれてきた訳ではなく、勝手に誕生させられ、一方的に名前も社会的な立場も押し付けられた存在です。そこで、私でなければならないという理由もなく、明確な居場所などないのですね。その隙間を、普通は親からの承認で補っていますが、自分を一方的に押し付けた親なり社会なりに疎外されてしまうと、自分を肯定する材料を得られず、生きてく為の土台が築けないんだと思います。自分を肯定するには、自分を取り巻く環境まで肯定しなければなりませんからね。
ただ、私はそういうものだときちんと知る事で抜けられたような気がしますね。ある時、あるお百姓さんの「この世には何も無い」という一言に触れ、あぁそういうものか…自分の悩みは正しいのだな…と、ずっと抱えてきた問題を肯定されたようで、大変救われました。
居場所などもともと無く、生きる事に意味も無く、自分にも世の中にも、存在する事に最初から何の価値も無いと。
私は主さんの抱えている問題を解決する事は出来ませんが、主さんのその悩みは正しいと思います。悩みに価すると。私は悩みの解決よりも、寧ろその悩みを肯定します。
主さん、レスありがとうございます。自分で書いたこと、稚拙でバカな自分の馬鹿な言葉の羅列…と思うんですね。
自信もって書いているのかと思ってました。
無意識下で矛盾するの、わかる気がします。私も考えがまとまらず、矛盾ばかりの時あります。そういう時は、葛藤してるときではないですか?私は、素の自分が垣間見えて受け入れることができないときです。そんなことないですか?
思う存分吐き出して下さい。
もう嫌になるほど。
子供の頃からの棘は自分で大丈夫だと錯覚しやすいけれど、
実は、深く刺さってる。
吐き出すことが一番です。
言葉を選ぶ必要も飾ることなく
吐き出すことが一番です。
ちゃんと主さんの言葉に涙する人を見てください。
新しい回答の受付は終了しました
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