鬱病と呼ばれる人は
人を見下している。
それを周囲の人間に見抜かれ、次第に孤立する。
いくら人を見下し強がってはいても、孤独には耐えられない。
そして、その状態から脱したいと思ったときに矛盾が生じる。
孤独を解消するには、自分が信じている確実なものとは逆である
「人を信じる」
という不確実なものに、自分を預けなければならない。
これが不安で仕方がない。
やがて自分の部屋に閉じこもる。
安心できる。
そして自分と話をし始める。
一体何が原因か。どうしてこうなったんだと。
起こってしまった結果について、パズルを解くように考え始める。
明確な回答がない事を知りながら。
それを超える素晴らしい解決法を、劇的に閃く事を期待して。
楽しんでいる。
それも知っている。
知ってはいるが、考えを巡らせる事をやめようとはしない。
この状態から脱するのは難しい。
すでに自分の一部になっている。
自分の信念を曲げない。
だから難しい。
ただ、周りのいう「とても良いこと」に合わせようとしない。
こういう人ではないでしょうか。
私はこうでした。
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それはあなただけの理由ですね。
人を見下したりせず、1人の人として受け入れるように努力しましょう。一生懸命生きようとしてる人ってどんな人であれ輝いていて綺麗ですよ。嫌な所ばかり見ても心の目はくすんでしまうばかり。憤らなければならない時もあるけど、それも一つの個性です。受け入れてみましょう。
そして他人に心を許してはいけません。どんなに交流が親展してもです。他人はいつ自分を裏切るか分かりません。これは人を信頼するなという意味ではなく、人として自立出来る距離を保とうということです。
主さんが明るい輪で繋がった人生を送れますように。
自分と合っている部分が一部あります。
・自分の信念を曲げない
・人が良いと思っていることに 合わせられない。
言い方を変えると、私の場合 は幸せを見出せない。
以上の点は同じような状態です。
人を見下したり、恐れたり、自分との深い会話はしません。むしろ、動けなかった時は思考が止まっていました。私の人間不信は、ストーカー被害から起因しています。
私は前ほど頑張れない自分が一番嫌です。諦めるつもりはありませんが。
個性と症状が交錯して、様々な鬱病の人がいるのでしょうね。
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