いつかきっと

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2014/03/20 03:28(更新日時)

幼い頃、公園のブランコをこぎながらずっと俯いていた事を覚えている。ずっと夕暮れの中で刻々と時間が過ぎる事だけを願ってた。そうやって、日々を過ごした。ぼろぼろのアパートで、プライバシーなんて守られていない程すかすかの段ボール襖を隔てて狭い部屋で四人家族だった。借金を背負う父親は現実逃避のため朝から酒乱だった。母親と何時もけたたましい怒鳴り声を張り合って物がぶつかって壊れる騒音の中で育った。怖くて夜も眠れなかった。喧嘩して不機嫌になると子供に当たるからだ。母親はヒステリックに騒いで泣き声をキーキー立てて、父親はこんな子供の生活費なんて知らねぇよと家を出ていく。恐ろしくて空しくて泣く事さえ愚かしかった。中学生になると、大人しくて野暮ったい私は、ちびまる子ちゃんの野口さんと言われ苛められた。廊下ですれ違う生徒と目が合えば、唾を吐かれたり、うぜぇとか、野口さんと目があっちゃったしと笑われた。悩みを吐き出す術もなかった私は、スクールカウンセラーを紹介され通い初め、保健室登校を進められて保健室登校をすることになった。担任の教師は苛めを知っていたのに放置した。美術の授業で創作した作品も焼いてから私の手に渡る前に壊されていた。切なかった。でも、何も言い返さなかった。誰も助けてくれないと分かっていたから。登校をしていた保健室の黒板に死ねってチョークで書かれたり、わざわざ私を中傷する為に授業を抜け出して保健室に通いに来る生徒もいた。そんな中で唯一の友人がいた。ほぼ、全学年に私を苛める風習が浸透していて何処にも居場所が無かった私は唯一の救いだった。
救いを求めるべき家族もずさんだったから悩みなんて言えるはずもなく、家にいても学校にいても地獄だった。そんな私の唯一の友人は、先天的に片腕に障害を抱えていたが誰よりも明るく強くはつらつとしている子だった。私には彼女が体が不自由とか関係無かった。
悩みは違えど悩みを抱えていた私達は言葉には出さずとも、誰にも負けない友情と絆を築けた。
わざわざ、保健室登校になっても私に休み時間のたびに会いに来て、手紙を沢山交換した。
一日に他愛もない内容を何枚もの便箋に分けて書いて交換した。ある日、彼女と下校してたら彼女が他の学年の生徒にからかわれたので私が反論した。自分がからかわれても反論した事の無い私は勇気を振り絞った。大切な友人をからかわれたのが許せなかったのだろう。だって、彼女は私がどんなに苛めを受けて皆がそれをしないと仲間はずれになるからと私に同じ事をしていたのに、彼女だけは違ったからだ。自分が苛められるかも知れないのにずっと私の側を離れず、会えば抱きついてきたから。でも、そんな勇気も無駄だった。「野口のくせにうるせーよ!」と返答されて撃沈する。そうか、私には友人を助ける資格さえ無いのかと項垂れた。そんな人間が大人になった。今も、抱えきれない煩悩の中で生きている。今でも人は怖いし出来るだけ接触していない閉鎖的な人間だ。
たた、思い返せばあの頃が懐かしくて恋しい。
あの頃の親友は今何をしてるのだろうか?
幸せであって欲しい。
死にたい程くだらない人生を生きているけど、彼女にお礼を言いたい。

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No.2074615 (悩み投稿日時)

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No.1

今までよく頑張ってきたね!
偉いと思うよ。

大切な親友に会えるといいね。

No.2

そういう相手がいると、本当に心の支えだよね。いつか会えたらいいね

No.3

主さん今晩は♪親友さんは幸せだと良いですね
連絡してみたら如何でしょうか?
人生は楽しいと思いたい、でも現実は残酷な事が多いですね
私が学生時代の貴女を見付けたら、抱きしめてあげたいですよ


No.4

大人になると、なかなか親友ってできないですよね、だから学生時代に出来た友達を本当に大切にした方がいいと思います
その子とも連絡取れるといいですね😁

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