【徹子の部屋】
黒柳「ヨイトマケの唄を作るきっかけはどんなでしたの?」
美輪「慰問で炭鉱町を訪れましてね、そこの公民館で歌う事になったんです。そこに労働者の方達がたくさんいらして下さって、会場は満席で、皆さん炭塵が染み込んで、肌が真っ黒で、服もボロボロだったんですね。で、私はステージ衣装をまとって、綺麗に着飾ってる訳ですよね。それで歌ってると、何だか情けなくて恥ずかしくて、申し訳ないような気持ちになりましてね・・・。穴があったら入りたいくらいだったんですけど、皆さん、貧しくて生活が苦しい中、せっかく来て下さったんだから、何かこの人達を励ましたり、慰めたり出来る歌はないかと思ったんですが、無いんですよね・・・。」
黒柳「その頃は、メケメケとか歌ってらした頃ですよね?」
美輪「そうです・・・シャンソンとかね・・・」
黒柳「あ、そうそう、シャンソンね・・・」
美輪「後は流行歌とかばかりで、外国には働く人の為の歌とか、反戦歌とかたくさんあったんですけど、日本には無かったんですよ、当時は・・・。じゃあ私が作ろうじゃないかという事で、そう思った時に、小学校低学年の頃の思い出がパ~っと蘇りましてね、ある日、父兄会がありましてね・・・まだ太平洋戦争が勃発する前で、モンペを穿けという命令が出てない時だったので、みなさん綺麗に着飾っていたんですね。で、一人遅れて来たお母様がいて、野良着にモンペという格好で、頭に手ぬぐいを被って、背の小さい痩せた方で、おみ足がちょっと不自由でいらしたの。誰のお母さんかしら?と思っていたら、一番出来の悪い子のお母様だったの。で、その子供が鼻水を垂らしていたんですよ・・・そしたらそのお母さんがその子の鼻元に口を付けて、口で直接鼻水を啜って、窓から『ペッ!』吐いて捨てたんですね」
黒柳「へぇ~、お母さんが・・・!」
美輪「えぇ・・・。で、周りはみんな訝しげにその様子を見てたんだけど、もう自分の子供の事しか頭に無いんですね、そのお母さんは・・・」
黒柳「あぁ・・・分かります」
美輪「それを見た時に、もう阿弥陀様みたいな光で照らす母性の塊に見えたの・・・。それがずっと頭の中にインプットされてたんですよ」
黒柳「へぇ・・・」
美輪「で、私はいつも級長をやってましてね、その子が虐められると庇ってったんですよ。一緒に帰る事とかもあって、ある時、その子と一緒に帰ってたら、ちょうどお母様が働いてらして・・・地ならしの仕事だったんですね。だけど、おみ足が不自由だから、よろけるんですよ、だから他のお母様達にご迷惑をかけていて、辞めちまえ!迷惑なんだよ!ろくでなし!と言われて、その度に、すいません!すいません!と謝ってるの」
黒柳「まぁ・・・」
美輪「その様子を私とその子で見てましてね、だけどそのお母さんは、『大丈夫!大丈夫!心配すんな!』っていう仕草をして、笑顔を向けてるのね。で、その子は、苛めっ子をお母さんに言いつけてやっつけてもらおうと言ってたんだけど、お母さんのその姿を見て、言うのをやめるって言うんですよ。心配させたくなかけんって言ってね・・・」
黒柳「そう・・・偉いわねぇ・・・」
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美輪「で、また別の日にその子が虐められて、貧乏で勉強も出来なくて、喧嘩も弱くてって事で虐められてたんだけど、そしたらその子のお母さんが、『喧嘩が強いから偉いんじゃなかとよ、金持ちだから偉いんでもなか、勉強が出来なくても貧乏でも、そんなもんは関係なか、人間で一番偉いのは、とにかく正直で、おてんとう様の前で胸を張って、誰にも指をさされない、一生懸命働いて、それが一番偉いんだ、だからお前は偉かとって言ってんですよね』
黒柳「そう・・・」
美輪「私、それを聞いて感動しちゃって、それがず~っと頭にあったんですよね。それともう一人、目の前でご両親をロシア兵に殺されて、一人でロシアから引き上げてきた少年がいましてね、で、廃品回収業をやってるお爺さんに育てられたんだけど、そのお爺さんも中学の時に亡くなって、一人でそのお爺さんの遺体をリヤカーに積んで焼き場に運んだのね」
黒柳「あら~・・・(泣)」
美輪「で、これから一人でそうやって生きて行こうって思った時に、彼のお父さんは技術者をやってましてね、じゃあ自分もエンジニアになろうと決心して、私が彼と知り合った時、彼は大学生で、銀座で進駐軍のものを屋台で売ってて、縄張り争いで虐められてたんですよ。で、私は虐めてる人達を知ってたんで、何とかそれを止めさせて、そしたら彼がお礼にって事で、商売品なんだけど、オーデコロンを持って来てくれたのね。当時、私は『銀パリ』ってライブハウスで歌ってたんですけど、そこに持ってきてくれたの」
黒柳「わぁ・・・」
美輪「それでお付き合いが始まったんだけど、お互い忙しくして、暫く会ってなかったの。そしたら日本橋の三越の所を歩いていたら『おーい丸さーん!!』っていう呼び声がして、そしたらそれが彼だったんですよ。自分で働いて学費を稼いで、大学を卒業して、彼は立派にエンジニアの道に進んでたのね」
黒柳「まぁ、それは良かったですねぇ・・・」
美輪「えぇ、もう私も喜びましてね、じゃあお祝いをしましょうって事で、親しい人を何人か呼んで、彼を招待したのね、赤飯を炊いて、色々作って・・・。で、彼が家に来て、おめでとう!って乾杯をした瞬間、彼が号泣しちゃったんですよ。私も驚きましてね、『え?何、どうしたの』と言ったら、『今まで生きてきて、自分の為にこんなお祝いをしてもらった事なんて一度もなかったから、嬉しくて・・・』と言って、泣き崩れたんですよね。それで私も、一緒に来てたお友達もみんな泣きました。どんなに苦労して今まで一人で彼が生きてきたかと思ったらね・・・」
黒柳「本当ね・・・」
美輪「『あなたのお父さんもお母さんもお爺さんもおばあさんも、みんな天国で喜んでいらっしゃるわよ』って言って・・・。あの時の彼の姿はもう脳裏に焼きついてますし、終戦後はそういう方がたくさんいらしたのよね」
黒柳「本当にそうですね・・・今はこんなに贅沢で幸せだけど、あの頃は戦災孤児がたくさんいて、子供でも一人で生きて行かなきゃならない事ってたくさんあったんですよね」
美輪「そういった事がヨイトマケの唄えを作るきっかけになって、あの歌が誕生したんです」
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