うつ病は「心の骨折」です。 人生というマラソンを走るための足が折れているような…
うつ病は「心の骨折」です。
人生というマラソンを走るための足が折れているようなものだと思ってください。
どれだけ必死になっても折れた足では人並には走れません。
しかし痛みを我慢して地面に這っていけば進めないこともないので頑張れてしまいますが、当然たくさんの人に追い抜かれ、置いてけぼりにされます。
「練習量が足りていない」
「走り方が悪い」
「才能がない」
「意識が低い」
「根性がない」
「自信がない」
「楽しめていない」
いろいろと自分で悩んだり、周りから言われたりしますが答えは簡単です。
『病院で治療を受けて、完治するまで安静にする』
当たり前のことです。
そんな当たり前のことすらままならないほど自分で判断がつかないし、周りから見てもわからないのが「心の骨折」の厄介なところなのです。
――という、我ながらわかりやすい例えを思いついたんだけどどんなもんでしょ。
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グッドアンサーに選ばれた回答
心の骨折ね。
「練習量が足りていない」〜「楽しめていない」等の鬱に理解がない人への説明材料としては悪くないと思います。
今は休んでいいんだよ、いずれ治るんだよという患者に対しての説明としてもスッキリと心の中に入ってくるのではないでしょうか。
でも「完治するまで安静」っていうのは他の方同様モヤっとしました。完治というタイミングが目に見えないですからやっかいですね。他人に理解できるものでもないですし。それまで何もしないでいるというのも現実的ではありません。元の生活に戻るためのリハビリは、個人差がありますが物理的骨折よりも場合によっては早い段階での対応が必要でしょう。適切な治療を受けたからといって順調に回復すると言い切れるものでもなく、患者自身の精神力が大きく左右しますから。
難しいですね。でも少しでも簡単に理解を得るにはイイと思いました。
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>病院で治療を受けて、完治すすまで安静にする
うつ病でない人への鬱の「治療法の説明」「治療の方向性」の例えならそれでイイと思いました。すごくイイ。
でもうつ病の人、本人には…
それに対して「でもそれじゃあ落ち着かない」「安静にしてろったってそれ自体が出来ない(体は動けないし体は出来ても心はそうならない)」「落ち着かない」…”だから困る””だから苦しい”ってのが鬱の辛い所ですので…
それをどうしたらイイのよってのが結局無いんですよね。
うつ病患者からは綺麗事言われてるしか思えない感じ。
結局薬で頭ボカして寝てろって言われてるのと同じ。
心の骨折ね。
「練習量が足りていない」〜「楽しめていない」等の鬱に理解がない人への説明材料としては悪くないと思います。
今は休んでいいんだよ、いずれ治るんだよという患者に対しての説明としてもスッキリと心の中に入ってくるのではないでしょうか。
でも「完治するまで安静」っていうのは他の方同様モヤっとしました。完治というタイミングが目に見えないですからやっかいですね。他人に理解できるものでもないですし。それまで何もしないでいるというのも現実的ではありません。元の生活に戻るためのリハビリは、個人差がありますが物理的骨折よりも場合によっては早い段階での対応が必要でしょう。適切な治療を受けたからといって順調に回復すると言い切れるものでもなく、患者自身の精神力が大きく左右しますから。
難しいですね。でも少しでも簡単に理解を得るにはイイと思いました。
たくさんの返信ありがとうございます。
「うつ病の時の感覚ってなってみないとわかんないし、上手く言葉で説明できないよなぁ……」と思って考えたものなので、当初の目的は達成できてるのかなと安心しました。
最後の「完治するまで安静」については補足というか言い訳をすると、まじめに一番怖いのはうつ病の再発だと思うんですよ。
「治った!」と思った数か月後に何の前触れもなくきたりしますからね……。
だから「完治」という強めの言葉を使いましたが、ほんと何がどうなったら「完治」なのかは未だによくわかんないです。
あくまで例えであって、うつ病回復の最適解を示してるわけではないのでそこはご了承ください。
ちなみに私がうつ病から回復するきっかけになったのが耳栓をしてみたことでした。
「耳栓程度でどうにかなんの?」と思うでしょうし、それだけで立ち直ったわけではないですが、少なくとも私の場合は耳栓をしたことで快方へと向かったと断言できます。100円ショップで普通に売ってますので参考にしてみてください。
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