「もっと辛い環境で頑張ってる人たくさんいるんだから」っていう励ましや叱責を見ると…
「もっと辛い環境で頑張ってる人たくさんいるんだから」っていう励ましや叱責を見ると、「そんなん言ったら日本で愚痴とか悩みとか言える人いないよね?」って思います。発展途上国とか過酷ですよね。それに比べたら日本なんて天国なのかもしれないけど、その中でめちゃめちゃ苦しんだりしてるわけで。だから「もっと辛い人が〜」的な言葉はあまり意味がない気がします。私の考え方おかしいですか?
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自分の悩みを客観視できる、という点では意味のある励ましだと思います。
「自分はもうダメだと思っていたけど、世間ではもっと苦しい例もあるし、そこから這い上がれた例もこんなにあるんだ」と思えば希望になりますよね。
でも「他にもっと苦しい人がいるんだから苦しむな、愚痴を言うな」という強要なら全く無意味で無価値だと思います。それは励ましでも叱責でもなく、ただ相手の苦しみを軽んじてるだけだと私は思います。
その人の悩みに対する答えになってないのは事実ですが、その人からしたら悩む理由が分からないほど小さなことにこだわってて、その人からは共感しかねる内容だということの示唆ではあります。
また、ものによっては実際地雷ではあります。金持ちの子が一人暮らししなくても良いのに実家じゃなくて一人暮らししたいから出よーなんて悩み語ってたら、散々一人暮らしするだけでも親と喧嘩してきたような人達からしたら本音イラついてると思いますよ。それを他人事のようにやんわりと言った場合もそうなります。
過去に男に散々いじめられてた人がその事実隠してて、友達の彼氏の些細な言動にちょっと不満があるー!なんて本気でうんうんって共感して聞けるわけがないよねって言う。
確かに!!この前、友人に仕事の愚痴を行ったら「この世の中で仕事あるだけ感謝だよ」と言われて、そうなんだけどーーーー…とモヤモヤしていましたが、こういうことだった!!視野を広げてみるとそうなんだけど、今現在の気持ちに寄り添うってなると、視野が広い励まし方は、もやる。
犠牲の累進性ってやつですね。
私も同じような悩みを投稿した時に知った言葉です。
もっと辛い人がいようとその人が辛いことに変わりないのだからあまり意味ないと思います。日本どころか、その理論だと世界で一番辛い人しか苦しんじゃいけないことになります。
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