キリスト教に詳しい方教えて下さい。 旧約聖書では死後の裁きがないのに対し、新訳…

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匿名さん
21/09/22 02:29(更新日時)

キリスト教に詳しい方教えて下さい。
旧約聖書では死後の裁きがないのに対し、新訳聖書ではそれがあるのはなぜですか?
そして旧約と新訳では神の教えが異なるのはなぜですか?

そしてこの世は悪い者の支配下にある、と書かれてるのですが、神はこの世を創造こそしたけれど、この地上を統治はしていないということですか?
だから最後の審判で神が統治する天の国にあげられる、とあるのでしょうか。

人間の肉体は神の住まう神殿でなければならない、というのは

神の霊とは人間の良心、愛、優しさのことであって

肉の霊とは、憎悪とか、憎しみとか、よこしまな心などのことですか。

この肉の霊というものが世から出たもので、それは物質に起因する。ブッタが、この仮染めの肉体にふとしい不運は存在しない、といわれるように

諸々の苦しみや諸悪の根元は、この物質です。物質が諸々の欲望や執着を生みました。


詳しく書けばもっと長くなるのですが、仏教とキリスト教って似てませんか?

仏教は合理的で表現した場合であって、キリスト教は神を仮定した場合の表現。

入り口は違えど、ゴールは同じって感じ。

No.3376913 21/09/19 08:10(悩み投稿日時)

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No.1 21/09/19 09:40
マトイユウ ( 8WRHCd )

> 旧約聖書では死後の裁きがないのに対し、新訳聖書ではそれがあるのはなぜですか?
>そして旧約と新訳では神の教えが異なるのはなぜですか?

私も宗教に関しては全然詳しくないけど、旧約聖書はユダヤ教だからじゃない?
旧約聖書・新約聖書の2つをまとめたのがキリスト教でしょ。
(ちなみに、旧約聖書・新約聖書・コーランの3つをまとめたのがイスラム教ね)

ユダヤ教って、「ユダヤ教のユダヤ人じゃないと救われない」ってなっていたのを、
「そんな事ない。神様を信じるものは誰だって救われるんだよ」って説いたのがイエス・キリスト。
でも、多くの人を受け入れる代わりに「悔い改めなきゃ救われない」っていう条件をつけた。

ユダヤ教とキリスト教、ついでにイスラム教。
信仰している神様は同じだけれども、それぞれ教えは違うのよ。
キリスト教だって、カトリックとプロテスタントで教えが違かったりするでしょう?


> 詳しく書けばもっと長くなるのですが、仏教とキリスト教って似てませんか?

悪について説いている部分に関して言うならば、似てなくはない。と、思う。
ギリシャ神話とか日本神話とかと比較すれば。だけど。

No.2 21/09/21 22:35
匿名さん2 

同じ疑問を持って、聖書や初期キリスト教を研究?した者です(笑)

旧約聖書って、実は『神様』が2人以上いるんです。3人以上?かも

創世記ですら、2章半ばまで、神の名がヤハウェ(だったかな)とエローヒームで違います。

まあ、それぞれの時代や民族によって受け継がれた『神話』が、後に『正統性を維持するため』に一つにまとめられた。

それが真実のようですよ。

だから教えが違うは当たり前で、『時代が違う』から、北エルサレム王国と、南のユダ王国の預言者の言うことが違う。

『時と場合』

これを考察すれば、新約聖書の『ユダヤ人キリスト者』と、『ローマ人キリスト者』の対立が理解出来ると思いますよ。

イエス様の死後の事ですが。。

仏教の、大乗仏教と上座仏教と同じです。

『修行して』仏に近づくか(行為義認)、いやいや『祈れば』誰でも救われるか(信仰義認)。

そこなんじゃないですかね。

No.3 21/09/21 22:46
匿名さん3 

佐倉哲さんの

エッセイ集の中にキリスト教の間違いというところがあります
是非そのサイトを開いて読んでみて欲しいです
凄く説得力ありますよ!

旧約聖書と新約聖書が違うのは宗教が違うからです
旧約聖書はユダヤ教、新約聖書はキリスト教なのです
無理矢理一つにしているため教えも違い無理があります

聖書は神が書いた、も間違いで人間が書きました
私は50年以上信じてきてキリスト教やめました
(このサイトだけではなく他の事もあり)

No.4 21/09/22 01:33
匿名さん4 

聖書は部分的に読まれているのでしょうか。
教会に行かれるのも良いかと思いますが、
聖書入門ドットコム(3分でわかる聖書というYouTubeも
わかりやすくてオススメです)
ゴットクエスチョン を読まれるといいでしょう。
聖書と福音のYouTubeの説教もわかりやすいです。

>旧約聖書では死後の裁きがないのに対し、
旧約聖書には、死後の裁きに関しては詳しくは書かれてないですが
罪の結果(報い)が死であり、パラダイスで永遠に生きることができなくなり
肉の死を迎えた後は、シェオル(新約ではハデス)に行くということは
述べられてますね。
また、シェオルは、復活を待つ場所、裁きを待つ場所と言われていますね。

旧約の人に関しては、主イエスの贖いがまだ完成してなかったので
モーセ、ヨブなども死後にパラダイス(新約以降、キリストの贖い以降に
行けるようになった)には行けませんでしたが、
シェオルの慰めの場所に行ったと思われます。
これは、ルカの福音書の、金持ちとラザロのたとえで
説明されています。

>そして旧約と新訳では神の教えが異なるのはなぜですか?
どこが異なると思うのかにもよりますが
神は、ずっと愛、義、聖なるお方です。
神の愛と義、救いと赦しは、旧約(創世記)からの
プランとしてありますし、一貫しています。

>この世は悪い者の支配下にある、と書かれてるのですが、
>神はこの世を創造こそしたけれど、この地上を統治はしていないということですか?
聖書にも、サタンはこの世の支配者と言われてますね。
しかし、サタンは神ではありません、この世を統治しているように見えても
この世界の主権者ではありません。

神はすでに悪魔に勝っています。(ヨハネ16章33)
この世の独裁者もこの世で裁かれなくても、いずれ死にますし
死後の裁きがあります。
悪魔と悪霊は、今は一時的にこの世の支配者ではありますが、
地獄に行くことがすでに決まっています。

神様の恵みと救いはすでにあります。
神を信じ、罪の悔い改めをして、罪の赦しを受け生きるのか、
自分を神とみなす高慢、嘘つき、利己愛の霊を持つ
悪魔に従って生きることや神を無視して生きることを選ぶのか、
死ぬまでにどちらを選ぶか<猶予期間>を与えられていると言えるでしょう。

No.5 21/09/22 02:29
匿名さん4 

匿名4です。
>だから最後の審判で神が統治する天の国にあげられる、とあるのでしょうか。
最後の審判(最終判決)の後の、天国(新天新地)と、
今、神を信じる人が死後に行く、天国(パラダイス)はまた別ですが。
最後の審判の前にも、人は死後に裁きは受けます。
天国(パラダイス)に行くのか、シェオル(陰府)に行くのか。。

ヨハネ3章18節
御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。
神の独り子の名を信じていないからである。

>人間の肉体は神の住まう神殿でなければならない、というのは
>神の霊とは人間の良心、愛、優しさのことであって
>肉の霊とは、憎悪とか、憎しみとか、よこしまな心などのことですか。

主を信じることによって、聖霊が内に住まわれます。
ガラテヤ5章19〜21
肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。

ガラテヤ 5章22〜23
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。

人間の良心は、善悪の判断をする上で多少役に立つこともありますが、
罪の影響があり不完全ですし基準が曖昧です。 
罪とは、的外れという意味もあります。的外れの愛、優しさもありますよね。

>詳しく書けばもっと長くなるのですが、仏教とキリスト教って似てませんか?
仏などを信じたり、極楽浄土の教えは本来の仏教の教えではないですし
聖書の教えや他の宗教などから取り入れたものと思われますね。

>入り口は違えど、ゴールは同じって感じ。
残念ながら、入り口が違えばゴールは違います。
神は人が罪や過ちに気づき、悔い改めて救いに至ることを望まれてます。

ヨハネ14章4〜7参照
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。
わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない。

マタイ7章13〜14
狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、
そこから入って行く者が多いのです。 いのちに至る門はなんと狭く、
その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。

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