自分にとっての下品の定義が人と違いすぎて辛いです。 何故か私は普通の人が何とも…
自分にとっての下品の定義が人と違いすぎて辛いです。
何故か私は普通の人が何とも思わないことを下品に感じてしまいます。
基本的に笑い話や雑談は下品に感じてしまいます。
だから仕事中も、用件がないなら話しかけないで欲しいなどと思ってしまいます。
生産性のない無駄話で笑うことができないんです。
そんな自分をノリが悪いなと思いつつ、だからといって、周りの人達と同じノリにはなりたくないという気持ちがあります。
生真面目で上品、というベースがある人となら楽しく雑談することはできます。
でも生真面目ではない、ただの明るい人などが苦手で、何だか下品に感じてしまいます。
どう折り合いをつければいいのでしょうか…
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このご相談を読ませて頂いて、ふと思ったことがあります。それは、
「上品、下品の判断自体が、実はただの差別なんじゃないか?」
ということです。
尚、あなたが差別をしていると言いたいわけではありませんので、どうか誤解なさらないようにお願いしたいと思います。
何をもって上品、下品と思うかは、確かに人によってその線は様々だと思います。
ならば上品、下品という価値観で見るのではなく、ただ単純に、世の中にはいろんな人、いろんな話し方があって、それは認めるけど、自分の性質とは合わない、という感じ方でいいのではないのでしょうか?
自分とは合わないけど、その存在自体は認める、というところが、この件の落としどころなのかなと、勝手に思っています。
「生真面目」という言葉は「真面目」という語と違って少し人を見下す感じがありますね。検索したら「イレギュラーに対応できない」と出てきました。真面目な人は臨機応変な対応ができるのだそうです。なるほどとは思いつつ、そうかな?という気もします。
私も「生真面目」なんです。
意味のない会話や笑い合うという行為はコミュニケーションのなによりの潤滑剤です。そして仕事にコミュニケーションは必要です。だから仕事の一部と思ってやり過ごすしかありません。すごく疲れますよね。仕事そのものより、そっちで気力・体力を使っている自覚があります。でもそれも「仕事」だから、ある程度は仕方ないんです。相手もそれで気分がいいなら。お金に還元されるなら。
問題は仕事以外の場ですよね。「折り合いをつけたい」というのが目標のようですが、私が辿り着いたのは「苦労して折り合いをつけてまで、苦手な人と付き合わない」ということです。要は人付き合いを減らしてしまうんです。そっけなくしてれば向こうから切れていってくれるので簡単です。引越しをしたらなおさら簡単でした。(さすがに人付き合いを減らすための引越しではありませんでしたが)会おう、と呼び出されなくなるので。
そうは言っても現実はもっと難しいでしょう。でも、心がけるだけでも違ってきます。私もいつの間にか「あれ?あの人もあの人もいなくなっていた。楽だな、こんなに違うんだな」というのを実感しているところです。567の今なんて絶好のチャンスです。
こういう態度とか考えを「冷たい!」「根暗!」とか言ってくる奴もいるかもしれませんけれど…そういう人たちとこそ、離れたいわけですから、もう気にせずいきましょう。「明るい人」と「いい人」って別ですしね。
仕事などの人間関係は自分の好む人、感性が合う人のみとしかしないというわけにはいかないし、誰しも苦手なタイプや合わない人とでも折り合いをつけてお付き合いをしていますよね。
親戚付き合いやママ友なんかもそうです。皆さん上手くかわしたり、ある程度受け入れたりしながら折り合いをつけているのではないでしょうか。
プライベートな人間関係なら苦手なタイプの人と無理して友達でいることもないでしょう。
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