親が貧乏なのに私を産んだことが未だに許せません。 私はそりゃあもう貧乏な母子家…
親が貧乏なのに私を産んだことが未だに許せません。
私はそりゃあもう貧乏な母子家庭に生まれました。一時期は母子シェルターのお世話になっていたりもして、湯船に浸かる習慣もなく半額の菓子パンで育ちました(コインガスコンロなので料理するにも一々お金がかかる)。
お恥ずかしながら母がまずはお金を稼ぐことに必死で家にいなかった、私に手をかけられなかったこともあり、8歳くらいまで髪を梳かすことすら知らないボサボサ頭の汚らしい子どもでした。ある時人にガリガリ音を立てブチブチと髪を抜きながら無理矢理梳かして貰ったことで知りました。
そんな生活なので母が口にすることは金、金、金。年齢が一桁の頃から「現実見な」「で?それが金になる?」と言われ、夢を見ることすら咎められてきました。まあ現実的と言えばそうですが。「先生と呼ばれる立派な職に就いて欲しい」と言っていました。
母自身学歴や資格がなく「それさえあればなんとかなったかもしれない」という考え方があり、私の就きたい仕事が学歴や資格の関係ない職人と知ると「学歴のない底辺のする仕事、まともな仕事に就けない馬鹿の集まり、肥溜め」など親でも殺されたのかと言うほどの見事な罵倒。
そんな我が家でしたが、私が高校生の時に転機が訪れました。病院代が勿体ないと違和感を放置した結果、母が失聴し障がい者になったことで障がい者年金が貰えるようになりました。
仕事が続けられない危機は訪れましたが、幸い母曰く「本社の鼻摘まみ者が集まる、旅行雑誌やネットサーフィンばかりしてる暇な部署」だったらしく、別に耳が聴こえないからと仕事に支障が出ることもなかったらしくそれまで通り職場にいることを許されたようです。
そんなわけでこれまで通りの収入+年金で生活レベルは大幅に改善しました。
とは言え生活に介助が必要になり私がそれを補うこと、情緒不安定になりキレまくりあたられるなど別の苦労は生まれましたが。
しかし私はその頃にはすっかり親の貧乏が許せなくなっていました。
厳密には、親の貧乏のおかげで必要以上に負った傷が許せませんでした。
それまでに受けた罵倒の数々、靴下ひとつ買って貰えずクラスメイトに笑われた日々、服は古着の詰め合わせ200円ダンボールの中から選ぶ日々。中学生になってもブラジャーのひとつも買って貰えず、女性の体育教師に注意された恥ずかしさと惨めさ。成績が下がったらお小遣い半分と言われ上がったのに結局半分になったこと。新聞のセールスマンに米をねだる役をやらされる日々。
大人になっても、私のやりたい仕事を否定するために子どもの頃から浴びせられた罵詈雑言が、私から自信と勇気を奪い卑屈にさせます。
ですが思います。「お金さえあれば母はきっとこんなんじゃなかった」と。
本当に悪いのは母ではなく貧乏だと分かっているのに「何故私を産んだ?」と毎日のように考えていた癖が抜けずに母を許せません。
本当は母を許して楽になりたいですし「大変だっただろうに育ててくれてありがとう」とまで言えるようになりたいです。
ですが世の中にはどんなに辛い境遇でも立ち上がる人がいるのも事実……。
そういう人はどういうプロセスを経ていると考えられますか?
短所を裏返すと長所になると言うように、辛いことも全て良かったことに変換したりしているとか?
どうすれば過去を振り切れるでしょう?
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過去を振り切るには、一度過去を清算しないといけないかもですね。
全ての思いを、全部母にぶつけるのもありでしょう。それで親子の縁が切れるなら、それもありでしょうし。
全部ぶつけた後、あなたの中の気持ちがどう変わるか、それに従えばいいと思います。
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