人に対して「亡くなって良かった」と思ったことがある人は、いますか。 亡くな…
人に対して「亡くなって良かった」と思ったことがある人は、いますか。
亡くなって安心した、良かったと思う事は、どんな理由があっても、どんな事情があっても、醜い心情でしょうか。
私は昔から実親に体型のことを逐一揶揄われていました。
肥満というわけではなく、昔も今もBMI値は19で日本では普通と思われます。身長が低く150センチですが、体重は44キロで、これは成長が止まってからあまり変わりません。
ただ、骨格がストレートという部類で、特に胸について大きく見えるようで、母親からは「胸がいやらしく見えるから就活がうまくいかないのよ。下着を変えなさいよ」などと、勝手な理由づけをされたことがあります。でも、胸自体はBしかなく、骨格によって胸板が厚く張って見えるだけのことでした。父親も、中学生になった頃から太ったか痩せたかの確認をいつもしてきました。
本題に入りますが、私には婚姻歴があり、22歳で結婚していた当時、元夫の祖父から体型のことを言われた瞬間があり、それがあまりに心につらく、その義祖父が亡くなった時、「やっと酷い事を言う人が亡くなった。これで少しは大丈夫になれるのかな」と思ってしまったんです。
義祖父は、親族全員が揃っている場所で「大して食べんのに肥えとるんやなあ」と大きな声で言いました。親族全員がガリガリに痩せてる家系だったので、普通の体型でもとても太って見えたのかもしれません。
実親と、元夫の義祖父に胸や体型のことを何度も言われてきて、心病み、今も、胸のこと体のこと全てに過敏になっていて、13年経ってようやく出来た新たなパートナーにも、胸に少しでも関わろうものならすごく過敏に拒否してしまいます。そんなにこれが目立つわけ?と問い詰めてしまいます。
あの義祖父が亡くなった時、良かったと思った私は人として終わってるのでしょうか。
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グッドアンサーに選ばれた回答
母親との間にあった辛い体験が尾を引いているのでしょう。母親が正しければ自分が間違っていることになります。自分で自分を責めてしまった結果、太っている自分(実際には太っていない)に劣等感を持ってしまった。隠そうとしていただけにいたたまれなかったのだと思います。何も侮辱するつもりはなかったのだと思います。義祖父にすれば「親族全員がガリガリに痩せてる家系だったので」嬉しく子供のように見せびらかしたかったのでしょう。原因は母親からの積もり積もった悪意ある苛めにあるのですが、ここでも母親を責めることができなければ自分を責め自分に向けていた怒りを義祖父の発言に向けることになります。母親以外に怒りを向けても解決しません。一生自分を苛めることになります。「良かったと思った私は人として終わってるのでしょうか」致し方ないことだと思います。自分に向けている怒りを母親に向けることができれば解放されます。母親を許せるといいですね。
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近所の爺さんに嫌がらせされてたので
亡くなったと聞いた時、親に「あーそれは良かった」って言ったら
なんてことを言うのってびっくりした顔してたけど何も言われませんでした
いなくなったことでやっと楽になれたのです
きっと当事者にしか分からない苦しみだと思うんですよね
だから私は主の気持ちわかるよ
わたしはありますよ。祖母に対してです。祖母はとても優しくて、よく散歩に連れて行ってくれたり、遊んでくれました。本当に大好きで、今も変わりません。
ですが、ボケはじめてしまったんですね。それから祖母の顔を見るのも辛くなってしまいました。介護は両親と妹に任せて、わたしは小学校に通っていました。
祖母が亡くなったと聞いたとき安心したんです。「これでボケた祖母を見なくて済んだ。わたしの中では、いつまでも元気なままの姿で居てくれる。わたしと祖母の楽しかった思い出が守られた」と。
私は人に対して「亡くなって良かった」と思った事は無いですね、ただし、人によってはそう思ってしまう人がいるのは事実です、人には「様々な事情」があるでしょうから私は主様は人として終わってはいないと思います。
母親との間にあった辛い体験が尾を引いているのでしょう。母親が正しければ自分が間違っていることになります。自分で自分を責めてしまった結果、太っている自分(実際には太っていない)に劣等感を持ってしまった。隠そうとしていただけにいたたまれなかったのだと思います。何も侮辱するつもりはなかったのだと思います。義祖父にすれば「親族全員がガリガリに痩せてる家系だったので」嬉しく子供のように見せびらかしたかったのでしょう。原因は母親からの積もり積もった悪意ある苛めにあるのですが、ここでも母親を責めることができなければ自分を責め自分に向けていた怒りを義祖父の発言に向けることになります。母親以外に怒りを向けても解決しません。一生自分を苛めることになります。「良かったと思った私は人として終わってるのでしょうか」致し方ないことだと思います。自分に向けている怒りを母親に向けることができれば解放されます。母親を許せるといいですね。
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