2010年代って教育の暴力って当たり前でしたか? 私は学生です。まだ幼稚園に通…
2010年代って教育の暴力って当たり前でしたか?
私は学生です。まだ幼稚園に通っていたくらい小さい時によく父に叩かれたり、殴られたり、家から追い出されたり、知らないところに連れて行かれたりしました(夜)。ものすごく怖かったんですけど自分が悪かったのでしょうがないことだと思いました。
ですが、小学生にあがったころ私が大泣きしていたら父と母で話し始め、父がこちらに近づいてきてまたか、と思っていたら母が「手はダメ」と言いました。その時に足はいいのか?と不思議に思いました。その後いつものように蹴られ、その場は終わりました。そのようなことがあるときでも母がいます。始めは近くにいてくれて泣き止ますようにたくさん声をかけてくれます。泣き止んでくれないと、泣きながら呼びかけても無視をし、助けてくれず、父が代わりにきます。母に近づくと父に引っ張られ続けました。(ままっ子だったので)
最近友達と話していた時「昔はよく手出されたな〜」と軽いことと思って話したら友達にものすごく驚かれました。「それあれじゃん!ダメなやつだよ汗」と言われ叩かれた、と聞くだけでそんな驚くの平和な家庭だなと思いました。
今は暴力はないです。逆に親に「昔はあんな大変だったんだよ〜笑」と笑い話、思い出話のようになっています。全部全部覚えているのに。人が手を挙げるそぶりだけでびっくりしてしまうようなトラウマもついていてモヤモヤします。それに加え、鬱になりました。関係あるのでしょうか?
叩かれたとは言いましたが、殴られた、蹴られたなど全然話すことができず、悪いことだったのか普通のことなのかわからないです。日本語ごちゃごちゃだったかもしれません。長文失礼しました🙏
・普通のことだったのか
・鬱やトラウマは関係あるのか?
回答お願いします🙇♀️
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なんだか私に少し似てます。
・普通のことではないと思います。何年前でもです。
・鬱はわかりません。でもトラウマは関係していると思います。
今、主さんが当時のことを鮮明に思い出しているということは、当時の幼かった自分が声を上げているからです(助けてと)。
普通のつらい思い出は、まぁ仕方がなかったよね。とか言って自分を納得させられる事ができるからです。授業中寝てたから赤点だったなぁ、みたいな感じです。それは、いつか笑い話になって、今度から寝ないようにしようとか心のなかで消化できたり、赤点取らないように対策したり予習学習したりしてあなたの進化につながる。
トラウマは、消化できないままの記憶です。だから何度も繰り返す。消化してほしいから。
最近はオンラインカウンセリングができるので、専門家に相談してみると良いですよ。私は少し楽になりました。
先生を選ぶときは、検索ワードにトラウマとか毒親の文言を入れてみて。あとプロフィールを見てちゃんとした資格を持っている人を選んでね。スピにはいかないようにしましょう(混じってます...)。
このつらい思いは、回復の兆しだと思います。ちなみに、私も親にされたことを親に話したことはありません。話そうとすると涙で言えなくなるの。でもね、人生は自分のもの。幸せになろうね!
親が子供に暴力をふるうのは普通の事ではありません。
鬱もトラウマも関係あります。
たとえあなたが何か間違ったことをしたとしても暴力をふるうのは
虐待です。犯罪です。
あなたが認識しないといけないことは
あなたは過去に間違ったことをしてしまったかもしれないけれど
あなたの両親があなたにしたことと あなたの価値にはなんの関係もないという事です。
鬱のような状態にあるという事は
自分はダメな子なんだというような誤解による劣等感によって自分自身を
攻撃してしまっていると思われます。
幼いころは自分の思いを表現するのに言語化がむずかしく
理解されないことがあります。
あなたの両親はあなたの事が理解出来ず
に暴力をふるったのだと思います。
あなたの両親もまたその両親からそうされたのではないかと推測されます。
あなたが劣っているからでもあなたに価値がないからでもありません。
そんな中これまでよく頑張ってきましたね。
私は1970年代の生まれですが、その頃から既に「教育でも暴力はダメ!」という"言葉"はありましたよ。
但し、"暴力が当たり前"の世代と、"暴力はダメ"という世代の入り交じる過渡期であったので、まだ教育にも暴力を振るう人達はザラにいました。
それこそ親、学校の先生、会社の先輩や上司など、暴力に対する心の敷居が低い人は「すぐに手も出る足も出る」状態でした。
中には「生徒達の躾を暴力でするのが正義」だと思って疑わず、暴力を振るう事を公言している教師なんてゴロゴロいました。
1980~1990代は、暴力はまだ普通に教育の場で使われているところはたくさんありましたね。
しかし2000年代に入ると「パワハラ」という普通の人達はあまり聞き慣れないワードがチラホラ世間で叫ばれる様になりました。
パワハラを抑制する始まりの時代到来です。
しかしながら、いろんなところでパワハラという言葉と、それはやっては行けないという話し自体は聞くのですが、まだ学校や会社などでは体系的なパワハラ防止教育は行われていません。
なのでこの時代でも相変わらず暴力を教育に使う人達はそれなりにいました。
そして2010代になると、いよいよ学校や職場でパワハラについての教育が開始される様になりました。
教育が始まったばかりで、まだ十分に浸透していなかったので、
「ちょっと身体が当たっただけでもパワハラだと言い触らす」勘違いしている人達や、
「これはパワハラじゃない教育的指導(暴力)とパワハラは別だ!」など自論で否定する人達もいました。
やはり暴力に頼る人達は、暴力的な発想で自分を正当化してしまうものです。
故に2010年頃は、まだしっかりとパワハラの認識が世間に定着しきれていない時代だと言えますね。
パワハラに対する法整備が進んだのももう少し後になってからです。
2010年頃の時代は、相手によってまだパワハラを認識していない人達がいて、そういう人達が多い環境では暴力は頻繁にあったのかもしれません。
ですがやはり暴力は暴力です。
正当化するべきものでもないですし、暴力はパワハラというよりも、そもそもが犯罪です。
それが「普通」なんて事は絶対にないですよ。
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