他人を信じるってことが1番愚かな好意です。人間如きよく信用できますよね。自分が人…
他人を信じるってことが1番愚かな好意です。人間如きよく信用できますよね。自分が人間である以上人間の醜さと信用のできなさはわかるはずでしょう?なぜ他人を信じられる?
はいそうのとおりです。
いけないのは、期待すること、依存することがよくないのです。
信じて裏切られたら縁を切るだけです。
「契約」はそれを客観的に保証するシステムですね。
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信用するしないの話なら
そもそも期待しないってのが
精神衛生上いい気はしますが
信じる信じないという話なら
哲学的ゾンビの話を合わせて
考えると、人は他人の意識レベルの
事を第三者に証明する方法がないため
実質的には他人の気持ちは
「わからない」ということを
体験する実験から
人は人とのコミュニケーションを
取る上で、相手の話したことを
結局のところ、信じるか信じないかの
二択を連続的に行う以外にないと
されるみたいですが
その場合
もし「信じない」の一択のみを
選び続ければ、そもそも人との
コミュニケーションは成立しない
ことになると思います
例えば相手と食事に行ったとして
同じパスタ料理を注文したとします
自分は美味しいと感じていて、
そう感じていることを認識しているから
こそ「美味しい」と言ったことが
真実であることはわかります
だけど相手が「美味しい」と話した場合
それが真実であることを証明する方法は
あくまで物理的な情報を集めた結果を
「信じる」か「信じない」かの
二択をするしかなく
本当に相手が真実として「美味しい」と
話したところで、もしかしたらこちらに
気を遣って、あまり好みでなかった
としても、美味しそうに「美味しい」と
話したにすぎないかもしれない
とりあえず、パスタの味を知っていて
美味しいと感じたという自身の経験を
元に、相手が美味しそうなリアクション
をして、「美味しい」と言ったのだから
「美味しいと感じているに違いない」と
「信じている」だけで、それ以上に
相手の意識レベルまでのことは
確定できず、証明したことにはならない
つまり結局のところ
そうは言ってもやはり
人とのやり取りは
「信じる」ことも必要になるという
結論になるかと思います
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