うれしい言葉
私は保育士をしていて、約10年近くたちます。中堅になり、後輩を育てる立場でもあります。わからないことをわからないと言えず、でも答えを出していかないといけなくなりました。
子どもたちと向き合うのも正直疲れることも…これでいいのかな、この子たち、私が担任で良かったのかなと思うこともたくさんありました。やめたいとずっと思ったりもしていました。
でも保護者の方が「来年も先生に持って欲しい」と言ってくださりうれしさで涙がでました。反対に情けなくなりました…。最高にうれしい言葉を頂き、前に進む覚悟をしました。
みなさんはこの言葉に支えられたということはありますか?教えてください。お願いします‼
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『過去を嘆く後悔よりも、今を変えようとする未来への意志』
過ぎ去った過去は取り戻せませんが、大切なのは過去のあやまちよりもその経験を未来へと生かすことが大切なんですよね😃今年人生を賭けた勝負に挑んでる最中です。私は今まで失敗だらけでしたがこの勝負に勝って新たな人生をスタートさせたいと思ってます。例え何年かかってもです😃
主さんも頑張ってください😃
②さん、ただのヒガミですね😂
私は保育園へ通ってた時、馴染めず、毎日廊下で一人座ってました😢誰一人相手にしてくれなかったけれど、ただ先生だけはいつもそばにいてくれました😃おかげで友達もできました😃心に残った言葉はありませんが、毎日そばにいて話相手になってくれた事自体が私の宝物です☺あの先生に出会ってなかったら私はあのまま人に馴染めなかったと思います😃今も手紙のやりとりをしています☺私を変えてくれた大切な人です😃
主さんも頑張ってくださいね💕
5さんありがとうございます😢読んでいて泣きそうになりました。今の私は時間ややらなくてはならないことに流されて、一人ひとりを大切にできていなかった…と。5さんのように小さい時の出来事が胸に残る、そんな大切な思い出を傷つけないようにしたいと感じました。
5さんはすてきな先生に出会えたんですね😌そして、優しい人になられたんですね。
中学卒業の日、一年の時だけ担任をしてくれてた先生が、私の所に来て、「○○、お前、よく頑張ったな」と頭を撫でてくれました。
2年の時にイジメにあったり、母子家庭で育児放棄されたりがあり、悩んではいても、その先生には話したことなどなかったのに、先生はみんな分かっていたんだと知りました。
担任でもないのに、ちゃんと私を見ててくれたんだと、心から嬉しく、先生に感謝しました。
子供には、その一言が一生忘れられない、宝物になる言葉があると思います。
大好きな先生から、そんな言葉を貰えたらきっと幸せ…
ずっと素敵な先生でいて下さい。
7さんありがとうございます😄
最近は大人を信頼できない子どもが増えてきています。大人も大人だから…そんな中で信頼できる先生に出会えて良かったですね😢
私も少しでも子どもとちゃんと向き合い、自分の気持ちを安心してぶつけられる先生になれるようにがんばります。
私は以前、介護士をしていました。
まだ入社して間もない頃、なかなか仕事の手順など慣れずに落ち込んでいた時、一人のおばあちゃんに聞いてみました。「落ち込んだ時ってどうしたらいいんだろう❓」
そしたら、返ってきた言葉が…
「おら何もしね。」
とニコニコ私の手を握りしめてくれたのです。
私は、このおばあちゃんの笑顔と「何もしない」という言葉のおかげで不思議と元気と安心した気持ちになりました。
その後仕事を辞めてからしばらくして、そのおばあちゃんは亡くなってしまいました。
今でも落ち込んだ時は、何もしないでニコニコを心がけています🌸✨
🌷おばあちゃん
どうもありがとう🌷
看護師をしています。
私が主任になったばかりの頃、師長とスタッフの間に挟まれストレスが多く退職も考えていました。
そんな時スタッフが高額の医療機械を誤って捨ててしまう事件がありました。師長を中心に病院側にどう弁償するか、再発を防止するにはどうしたらいいか話しあいましたが、何人かのスタッフが自分は当事者でないから関係ないという態度でした。そんな時私はつい感情的になり、泣きながら『誰でも当事者になりえたこと、仲間を支えなくてチームと言えるのか』訴えました。
結局病院側の配慮で弁償は免れましたが後日、当事者から『あの時主任がいなかったら絶対に辞めていた。一生忘れません。』と手紙をもらいました。
看護師人生の中でこの他にも何人からかスタッフに感謝の手紙をもらいましたがみんな私の宝物です。これを支えに看護師を続けています。
離婚した私が実家に帰り、ぽつんと 離婚てあとになるほど寂しいねと呟いた時に 自分も離婚したことある父は言いました。
離婚は勲章だとおもいなさい。
傷付いたぶん、人の痛み 生活の大変さ をわかる人になったのだとかんがえろと。85の父の言葉です。父は離婚して赤ちゃん二人を亡くしていたし妻は病死しじゅうねんごに母とであったのです
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