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神様って本当にいると思いますか? 最初はいると信じていましたが、本当に嫌な事が起こって神様はいないと思えてきました。キリスト教を信じており、息子にもカトリ

No.34 20/10/07 01:36
匿名さん34 ( 35 ♀ )
あ+あ-

神様とはそもそも何でしょう?と。神様の有無を質問をするには、まず神様とは何か?という定義をきちんと出さなければ答えようがないよね。いきなりビールの麒麟って本当にいるの?と聞いてるようなもので、最初から訳のわからない架空のものを引っ張り出して、いるとかいないとか言っても、どちらも論理として成り立たないでしょうと。

神様を議論する前に私たちは誰一人として神様を知らないよね。知ってたら信じる必要はないので。地球は丸いと知ってたら、丸いかもしれないと信じる必要はないのと同じで、信じるとは知らないという事なのよ。それは神様じゃなくても、私たちは何故存在するのか?何故この世があるのか?という問いには決して答えられない、根源的な無知がある。

だからその穴埋めに私たちは何かを信じるのよ。それは神様だったり、自分だったり、お金だったり、理念だったり、それぞれ色んな信仰を持つ。それは自分の生き方を決める指針として別に悪い事ではないのよ。私たちは根源的な無知がある以上、そうしなければ生きられないのだから。

だからその穴埋めである対象の是非や存在の有無を問うても意味がない。そもそもわからない事なのだから。自分を助けてくれないから神様はいないとはあまりに安易な理由だけど、代わりに悪魔はいると不思議な事を言う。きちんとリアルを問うならそういう事は言わない。

例えば、お釈迦様は無記と言ってそれらの問いには一切答えなかったよね。神も霊魂も死後の事も一切在るとも無いとも言わず、その代わり毒矢の喩えをしたと。それらを考えるとは、自分に毒矢が刺さり、その矢はどこから飛んできて、誰が射って、毒の成分は何か?と問うようなもので、そんな事考えるよりもさっさとその毒矢を抜きなさいよと。

つまりわからない事をあれこれ考えてないで、目の前の問題を何とかしなさいよという話よね。それが本当のリアルを問う者の態度だと思うよ。生きてる事自体が常に毒矢が刺さったようなもので、今生きてる中での問題をまず片付けて、有意義で安寧な日々を築いていけば、神様がいようがいまいがどちらでもいいと。そこが一番大事なのだから。だから、お子さんが神様を信じようが信じまいがどちらでもよく、それを否定するような事は、根源的な無知がある以上は誰も何も言えない筈なのよ。意味がない。だから、神様を否定する前に、自分の無知をまず知る事が最初よね

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