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父は理由もなく私を殴った。自分の手は汚さず、ベルトで猛獣の躾をするように殴る。 …

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匿名さん
17/03/19 23:38(更新日時)

父は理由もなく私を殴った。自分の手は汚さず、ベルトで猛獣の躾をするように殴る。
私は怖かった。だがその感情を父に見せると、その目が気に入らない、と言いさらに殴る。
次第にそれはおさまったが、家の中は窮屈で息苦しかった。
5年生のとき、山道を探検していると、子犬が2匹現れた。私から1メートルほど距離をとり、観察されていると感じた。とても可愛らしかったが、私にはどうすることもできない。踵を返し、帰路についたが、心配になって振り返ると、1匹がついてきてしまった。もう一匹はどうしたのだろうか、などと言う疑問はその時になかった。嬉しかった。心の底から嬉しかった、運命を感じた。そのまま
家に誘導し、結局飼うことになった。そこからの日々は本当に幸せだった。自分も犬ならどれだけ
尻尾を振っていただろう。1か月ほど経過し、その日も学校から帰って犬の散歩に行こうと外に出た。犬小屋に父がいたので、とっさに隠れた。父は犬のリードを外し、持ち上げ、塀の向うの川へ
投げた。私の視線を感じたのだろうか、父と私の目が合った。私のすべてが歪んで見えた。涙ではない。自分が家から追い出されたかのような、自分の世界がなくなったかのような、死んだかのような
揺らぐ感情を押えて私は犬を川まで助けにいった。そのとき川の水位は低く、這い上がれる場所はなかった。本当に殺す気だったんだ。憎しみと悲しみが湧きだし、同時に犬を救えた嬉しさもあった。
その時、初めて無を知った。感情が押しつぶされたのかもしれない。私は家族の前で表情を作ることができなくなった。姉は私を蔑み、母は何もしてくれない。それが私の少年時代だった。

19歳の今となってはどうでもいいことだ。過去のシガラミは捨て、自分は強く生きねば、そう念じ続ける。両親は私のことを気に留めることが多くなった。実家を離れて暮らしても、頻繁に会いたがる。それが憐れみなのか、やさしさなのか知る由もないが、辛い。とにかく辛い。家族を見ると殺したくなる自分が妬ましい。もう嫌なんだ。ほんとにやめてくれ。一人にしてくれ。もう俺は一人でいい。きっと親孝行もしてやるから、それまで黙ってみててくれ。放っといてくれ。
親父が犬とヨウムを死なせたことも許す。姉が俺を見下すのも許す。母が無駄に心配するのも許すから。一人にして。だってこの前、姉と喧嘩して、首を絞めたんだよ。心が、もう殺していいから無理すんなって俺に語り掛けてきたよ。もう無理したくないよ。お前らを殺すことを我慢するには俺が死ぬしかないんだ、でも死んだらなにも返せないじゃないか。これ以上逃げたくない。たすけて

17/03/18 22:43 追記
読んでくれてほんとうにありがとう。ほんとは書きなぐって、一方的に投稿して、ただのストレス発散に使うつもりだった。感情の整理がしたかっただけかもしれないし、辛い人生を知ってほしかっただけなのかもしれない。こんな文でも気持ちを伝えることができているのなら、それだけで救いだ。ほんとうにありがとう。

No.2446817 17/03/18 15:29(悩み投稿日時)

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No.9 17/03/18 22:40
お礼

いきなりヨウムが出てきて戸惑った方もいらっしゃるようなので追記しておきます。
ヨウム(以下ヨーちゃん)は私が生まれる1年前から飼い始めた鳥です。祖父がとても動物好きで、幼少期はウサギや鶏、に加えて狩猟犬も飼育していました。ヨーちゃんの面倒は両親がしていました。私が小学6年生のころ、ヨーちゃんは亡くなりました。
登校時間ギリギリに起床する私ですが、その日の朝、いつもより早い時間に母が私を起こしました。キッチンへ向かうと、ヨーちゃんがタオルに包まれぐったりしていました。枯れた荒い呼吸で瀕死の状態にあることは一目瞭然でした。両親も私も姉も、ヨーちゃんは死ぬのだと悟りました。母が起きた時には、鳥かごの床で倒れていたそうです。母が涙ぐんだ声で「ヨーちゃんはね、みんなが起きるまでずっと待ってたのよ」そうしてヨーちゃんは半開きの瞼から私達を見渡し、息をひきとりました
。ヨーちゃんはすこし凶暴でした。機嫌が良いときしか触らせてくれません。しかし私が歌うと、同じようにさえずり、私が踊ると、ヨーちゃんも体を震えさせました。もっと仲良くしたかった。もっといっぱい言葉を覚えさせたかった。もっと私の名前を呼んで欲しかった。もっと生きてて欲しかった。
数年後、ヨーちゃんの死因に予想がつきました。鳥は、一度に多くを消化できないので、ソノウという器官に食べ物を貯めておくそうです。そこに誤って水分を多く含んだ炭水化物を貯めておくと、上手く呑みこめず菌が増殖し、呼吸困難に陥るらしいのです。思い返すと、ヨーちゃんにお米をあげたり、うどんをあげたりしていました。その思い出では常に父が与えていました。よくよく思い返せば、鳥を飼育する上で不可解なことがありました。鳥かごには温度調整器具が備え付けられておらず、ストレス発散にかじるものもありません。それを知った時、飼い主である父に更なる憤りを覚えました。こんなに無知で無能が飼い主がいるのか。なぜこんな人間に生き物を飼う資格があるのか。
ヨーちゃんを思い出すと、虚しい気持ちしか残りません。

No.16 17/03/19 23:37
お礼

私は母が好きだ。今の私と同じぐらいの年でフィリピンから日本に来た。今では立派に働き、外国人とは思えぬ日本語の発音は日本人と遜色ない。それが絶えまない努力の賜物であることは、めくりすぎて膨れ上がり、汗がにじんで黄色く色あせた分厚い英和辞典を見れば、誰にでも理解できる。母はとても優しい。自己犠牲主義とでもいうのだろうか。ほんとうに献身的で立派な人間だった。私の推察だが、母は孤立を恐れていた。いわゆるママさんグループの輪から外れることを恐れていたのかもしれない。私はやりたくもない少年野球団に入れられた。私が無理を言ってやめたいと申し出れば、やめさせてくれたかもしれないが、子供なのに生意気ながら大人の事情を察した私は、嫌なことを嫌と言えずにいた。だがそれで母の平穏が保てていたのなら、私はよかった。
私は父が嫌いだ。息をするようにウソを吐き、幼少期の無垢な私はなんども騙され恥をかいた。祖母と共に自営業をやっているが、家に帰ってただいまを言いに部屋へいくと、いつもパソコンでゲームをしていた。それでいて私に勉強しろと小言をいう。
姉も嫌いだ。無計画でガサツ、それでいて成績が良いのでさらに腹立たしい。母は姉が服をほしがるとすぐ買い与えるが、私がゲームをほしいと言っても滅多に買ってくれることはなかった。(それが大人の事情であることはわかっていたが腹立たしい)姉が物をねだるから、私が我慢しなければ。逆にいうと姉がいる限り、私が安心して、親のお金のことを気にせず物を強請ることはできなかった。幼少期からそんな日々を過ごしていると、小学校高学年になるころにはお金の使い方が上手いと自負していた。姉が母にむかって「弟はいっぱいお金もってる、ズルい!」なんて言ってた日は、ついつい笑ってしまった。
未だに父も姉も嫌いだが、本当のところあまり憎んではいない。あの時、父が私をからかう時、私をベルトで殴る時、犬を川に捨てた時、ヨーちゃんを死なせた時、彼は未熟だった。姉だってそうだ。私のお菓子を勝手に食べた時、無口な私に悪態づく時、仲良くないのに友達の前で姉弟仲が良いんですなんていう時も、まだまだ人として未熟なのだ。だからとて私が優れているわけじゃないが、未熟な物と張り合い同じ肩を並べるのは不愉快極まりない。だから憎まずにいる。

No.17 17/03/19 23:38
お礼

一番に憎いのは自分自身だ。母から受け継いだ優しさが私を苦しめる。でも私は優しいわけじゃない。人に甘いのだ。小学校の頃に一体何度、自分を苦しめる原因を消そうとしただろうか。相手の首に手をかけ死の瀬戸際に追い込んだこともあった。ソファに鉄パイプを忍ばせ待ち伏せることもあった。でも最後の一歩は踏み出せずにいる。ヨーちゃんが死ぬのを目の当たりにし、私自身も何度か死にかけたことがある。それらの経験と母からもらった優しさが、最後の一手を阻む。でもそれが人として正解であることはわかっている。その一線を越えると、山月記よろしく虎になって山を駆け巡ったかもしれない。
私がもっと強い人間だったら、受け身に待ち構えることはせず、正々堂々自分の言動で道を切り開けた。ヨーちゃんも私の犬も死なせることはなかったし、私の望むものを手に入れられた。父にも姉にも一泡吹かせ、母から見ても頼れる人間になれたはずだ。だからこそ弱い自分が本当に憎い。人を殺しかねない自分が憎い。人を殺せない自分が憎い。決断の遅い自分が憎い。何も救えない自分が憎い。優しさをくれた母を憎む自分が憎い。
私が一番成し遂げたいことはただひとつ、過去の清算だ。たくさんの動物を飼って最後の最後まで愛してあげたい。それが死んでいったヨーちゃんや私の犬への弔いだ。そうして私は本当に幸せになれる、生きててよかったと思える。母にも本当の私の顔を見せてあげられる。きっと父とも和解ができる。

本当は、結論がでていたのかもしれない。私はまだまだ戦える。私はとても弱い人間だが、心の芯は決して折れない。抱え込んで漏れ出た悩みを掲示板に残してしまったのはいかがなものかとおもうが。誰しもが辛い体験を乗り越え私の想像に及ばない壮大な人生を歩いてきたのは知ってる。でも孤独にそれらと渡り合わないといけない現実に耐えきれなかった。ごめんなさい。

私は癖で独特な文を書いてしまう。生活内で感情を殺してきたせいか、演じるのが好きになってしまった。オネエ言葉になることもあるし、オタク口調になることもある、方言がドきつくなったり、お淑やかになったり。今回は小説のようにになってしまった。といっても私は学がないので褒められた作品にはならない。でも読んでくれてありがとう。この書きこみを最後にします。これ以上ここにいたら、ずっと甘えたくなってしまう。本当にありがとう。

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