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色々考えても、身の待遇自体は勝ち負けで決まってしまうのはしょうがないんですよね?…
色々考えても、身の待遇自体は勝ち負けで決まってしまうのはしょうがないんですよね?
それぞれの人がどう生きたいかは別にして。
いじめの話聞いて、そこから国や社会について調べものしていて思ったんですけど。
明らかに、悪い勢力が多すぎるし、その人たちの方が強いという状況もちょっと多すぎる。
これはまぁ、しょうがないで片付けるしかないんですよね?やっぱり?
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いつの時代でも悪貨は良貨を駆逐するですね。
でも、いつの時代でも悪化が良貨を駆逐しすぎると、その国や社会は滅んでいますね。
そんな中でも人は人権とか自由、
抑圧に対して抵抗する権利などの概念を発明して社会に採り入れてきたのも事実です。
だだ、そのほとんどが破局で全てを失った後に手に入れたというのが悲しい現実ですね。
それでも、いまだに、いじめやモラハラ、虐待など人の醜悪さは止められない。
ほとんどすべての人が過度な不安を抱えながら生きている。
人は社会や国や組織、さらには隣人に脅されたり、
付き飛ばしたり、踏みつけられたりすることで社会は維持されている。
ほんの一握りの人たちが勝ち誇ったり、いい気なものでいるけれど、
その人達も結局のところ社会構造のシステムの中で踊らされているのかも。
何かが間違っていることは確かなんですが、誰もその何かを否定できないし、
誰も止められないし、かと言って、後戻りもできません。
資本としてのお金がすべてを測る価値尺度となって、
それを生み出す組織、社会という権力構造が神のようになって人の上に君臨している。
心とか精神、信念、人柄、徳などと言っても もう意味がない。
いつか滅ぶと分かっていても、その未来の出来事が明日なのか100年後なのか分からない。
ならば現状維持こそが大事だと問題は先延ばしにされていく。
人も自然も破壊と再生が本来の姿なら、いつかは滅ぶのも仕方ないのかも知れません。
ただ、間違っていると思うならそれに同化したりて、同じような振る舞いはしたくない。
精一杯に自分なりに生きるしかない。
たぶん、碌でもない社会なのかもしれませんが、どこかの国よりは圧倒的に良い、
よくやっていると思う。
生きづらくはあるけど最悪ではない。
そういうことだけでも恵まれているのかも知れませんね。
勝ち負けや善悪で人生を考えるのは、とても凝り固まったものになってしまう傾向が強いと思います。
勝ち負けで人生を捉えた時には、例え誰かに勝ったと思えても上には上がいるように思えてしまうもので、どこまで他者を蹴落としても幸福を感じられる事はないでしょう。
善悪においては、人には人の正義があります。
道徳的な考えを除けば、誰しも自らの正義によって行動しているのです。
純粋に悪事を働こうと思っている人間などいないのです。
あなたにはあなたの事情があるように、他者にも他者なりの事情があるのです。
立場も違えば、年齢、性別、容姿、環境、国、文化。
挙げればキリがないほど私たちは多様な個性があります。
他者を理解することなど出来ません。
理解出来ないからこそ、理解しようと努力する事が大切なのだと思います。
>> 1
勝ち負けや善悪で人生を考えるのは、とても凝り固まったものになってしまう傾向が強いと思います。
勝ち負けで人生を捉えた時には、例え誰かに…
どーも、コメントありがとうございます。
勝ち負けや善悪にこだわるのではなくて。
結果として、生じる待遇の違いはしょうがないんじゃないだろうかという話です。
例えば、カンニングして受験に合格、あるいは卒業して大卒になり、ある程度面接で嘘をついて条件の良い職場に就いたら、その待遇を受けている訳じゃないですか?
そして、私達は自分にとって価値のある物に金を支払う訳で、自分にとって良い仕事をしていればお金を支払う訳ですよ、そもそも仕事が出来ない事と善人である事は違うにも関わらず。
また容姿に恵まれない真面目な人が全然恋人できなくて、人格的に難がある美形の人が恋人を簡単に作れてしまうのは実際、自分も何回か見てますし、ここらへんは誤魔化してもしょうがない。
だからそういう状況があるのはしょうがないし、それで物質的に優劣が出来る場合があるのはしょうがないと思うしかないんじゃないかという話なのですけど。
>>3
なるほど、確かにそういった事はありますね。
カンニングで合格しても、学力の合わない学校で苦労するのは本人でしょう。
面接で嘘をつき入社しても、その嘘は職場でずっと通さねばなりません。
きっとそれは自身に嘘をつく人生なのでしょう。
私はそういった人生を幸福だとはとても思えません。
容姿は確かに本当に大きな問題だと思います。
私自身の話でとても恐縮ですが、
私自身も男でありながら身長150cm台と小さく、細身で、とてもコンプレックスでした。
私の身長150cm台と細身であるというのは客観的な事実ですが、それが他者と比べ劣っていると認識しているのは自分自身なのだと気づきました。
優劣とは、主観的なものなのです。
私やあなたがそれを劣っていると思っても、他の誰かはそうは思わないかもしれない。
違いはあります。
しかし、それは劣っている事とは違うのだと私は思っています。
>>6
社会的な待遇において、しょうがない事は、仰るとおりあると思います。
しょうがないと諦め、努力を怠るのはまた別なのだと思います。
変えられないものばかりを気にして、変えられるものに気付けない、気付こうとしない。
そういった人生の言い訳にならないよう、自身を常に見つめ、今出来る事をする。
やらない言い訳よりも行動のほうが私は美しいと思うのです。
他者や社会の評価だけで自らの人生を評価してしまうのは、他者のコンパスで自身の人生の舵をとっているようなものです。
大切なのは、社会がどうとか、他者がどうかではなく、自分がどうなのかではないでしょうか。
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