恥の多い生涯を送って来ました。
長文失礼します。
太宰治『人間失格』の葉蔵のような性格です。道化のように振る舞って、本音を隠してきました。
演技だと見透かされているんじゃないかという恐怖や、実際には違うと確認できてもなお不快感を感じつづけてしまう自意識過剰。もう自分の本音も分からない。自分がない。嫌われる事を恐れ道化を演じて、その場で笑われ、嫌われることはなくても友情でつながることはない。表面だけの関係。距離が近くなると窮屈で逃げ出したくなってしまう。人を嫌いになることもなければ好きになることもできない。何気無い言葉や態度にも自分が悪いんだ。と必要以上に責めたてられている気がして、被害妄想やら自己嫌悪やらが渦巻く。
褒められても嬉しくないし、自分のプラスの感情が分からない。今自分は嬉しいのか?喜んでいるのか?楽しいのか?
マイナスの感情、不安、憂鬱、恐怖、苛立ち、悲しみ、虚しさなどは嫌なくらい感じてしまう。
また金銭感覚も周りと違っていて怖いです。欲しいものは手に入れなきゃ気がすまない人間ではありません。しかし欲しいと思っても買えなかったもの…と考えるとぱっと思いつきません。欲しくてもしばらくすると忘れてしまう、飽き性なせいでもありますが。今は何不自由なく養ってもらっている身です。自立してから、そこできちんと生活できるか不安です。(これを読んで気分を害された方がいやしないかと恐れながら書いております)しかし、複雑な事情により、ある意味お金をつかわなければいけない状況なんです。これでいいのかと葛藤しながらつかうのは予想以上に苦しいです。
その「複雑な事情」に対してももどかしく無力な自分を痛感しストレスを感じています。
性格や環境から、本当にいわゆるいい子(自分がなく、嫌われる事を恐れていましたから)を演じながらも、不安定な生き方をしてきています。
これも自分だから仕方ないと受けいれようとしました。
受け入れられる時もありますが、その日、その時間によって、受け入れられなくなったり気分がコロコロ変わります。
そして今、また不安定になり、無気力で学校に行くのも辛く、なんとか行けますが、最低限の事をするので精一杯です。家事もやらなきゃと思いながらちょっと溜めてしまったり、行く気満々だったサークル活動もしんどくてサボりがちです。休日もあまり人のいる外にでたくありません。好きなアーティストのイベントも、その時は楽しみだと思いながらとったチケットが、今ではチケットあるから行かなきゃってスタンスに変わってしまいました。
まとまりませんが、同じような感じで悩んでいる方いらっしゃいませんか?
また、そうでない方もぜひ生き方のアドバイスをください。
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人間失格を読んだ感想です。
この作者は、なにをいったい当たり前のことをくどくど何十頁も書き連ねてるんだ?
人生なんて、握りこぶしで笑顔を浮かべる、苦痛の上に成り立っているものだろうに。
そういう十代を送ってきました。
そして、26歳で決壊。
自殺未遂で病院へ。
ウツ病と診断されました。
そうして、薬を飲みはじめてから5年。
生きることは、健康な精神の人なら辛くないんだ、と産まれて初めて知りました。
太宰治の時代とは科学の進歩が段違いな今日この頃。
主さんも、精神科を受診したまえ。
『人間失格』を読んだ日本人の半分は、「この主人公は自分自身だ」と考えるそうです。
つまり日本人の半分≒この小説を読めるだけの読解力のある大人は、自分の中の不安や闇を自覚しています。
日本人にとってはそれで普通ということですよ。
考え過ぎですね。しかしそれは、学生と言うか、若い時代の特権でもあります。
変わりたいと思うのであれば 考えるのをいったん休んで動く…ひとり暮らしもおすすめです(経験者です)。
難しいことではありませんが、水道から電気から 自分で使用開始手続をしなければいけない、役所に行き住民異動届を出す、必要なら電話を引く、ゴミの日や分別法を覚える…そういう何気ない煩雑さが、かえって自分の生活(規律)を支えていく、ということで、自信に繋がる場合もあります。
若いうちにもがくことは 生きる上での財産にもなります。
>> 9
人間なんてみんなそうですよ…
自分が周りより特別だと思ってたら、生きていけないですよ…
太宰治さんは自分は特別だと思い過ぎてた、只のナル…
レスありがとうございます。
もちろん、感情の赴くまま行動するひとは稀で、誰だって何かしら不安をかかえ我慢したり、演じて生きていることは分かります。
ただ人が嫌いだっていうのを例にとっても、普段は楽しめるけどずっと人といるのは疲れるというひとから、買い物は友だちとも行きたくない、家の中で家族に会うのも苦痛だ。と感じるひとまで程度の差があるのは確かだと思います。生きづらさも変わってきます。
太宰治さんは健康なこころのひととは受信感度の程度がちがったんだと思います。
主さんの文章を読んでいて、若いなと思いました。とはいえ、私は同じように感じていたのは、中学生の頃。
たぶん、まだまだ経験値が浅いのだと思います。家庭内では色々経験され、思うところもあるのでしょうが、社会に出る、海外に出る、家庭を築いていく、その他色々…経験していくうちに、考える事もなくなります。
まだまだ、人生を振り返るには早いと感じました。今を楽しめないなら、目を向けている場所が違うのです。狭い世界にとらわれず、世間や世界、資格や仕事に目を向けてみましょう。
私の歳になっても主さんと同じような悩みが多々あるのですが・・・まだまだ青二才なんですかね? (苦笑)
たくさんの仮面を手にしてそれを使い分けることが出きるのがオトナだとワタシは思います。
素顔を晒す時は、その時が来た時。
その時とは、これだけは絶対に譲れない!と思う時や、自分や家族、愛する人が危険に晒されそうになった時「切所に立たされた時」です。
ただ、鬱傾向だと、日常の些細なことが苦痛に感じたりマイナスに捉えてしまうので、日常生活に支障があればちゃんとした”治療”も必要かもしれませんね。
それだけの性格や心理状態で「失格」の烙印が押されてはたまったものじゃないですよ😊
お返事ありがとうございます(^-^)
一番手っ取り早いのは、海外旅行です。
やらなければいけないのではなく、何もやらない時間の中から、胸に響く世界を見てください。
国内でも良いです。一番楽な相手、または国内なら一人でも良いのて、旅行に行ってみてください。
心の充電は、常に必要です。
楽しみかたを知らなければ、頭の中だけで形を作り、窮屈になるばかりですからね(^-^)
私も主さんみたいな性格です
こういう性格の人って普段は明るい自分を演じながら小さい事に傷つきやすいらしいです。
他の人が気づかないような事にも気づいてしまう…
私はこの年になるまで誰にも本当の自分を見せられないまま過ごしてきました
たぶんもう直らないでしょう
どうしても辛いなら本当に心の底から信用できる友達か恋人を作ること…
でも今のところ出会っていません
あとは自分が打ち込める仕事や趣味を持つことかな?
上っ面楽しくやれる仲間を作って適当にやれれば🆗なのかな?
両親との関係はうまくいってないんですか?
病院に行った方がいいですよ。
太宰治も病気だったんです
カウンセリングでもいいです。
通って 改善に取り組むべき。
鬱傾向、道化を振る舞まう。
自意識過剰
でも、自分の本音が自分で分かる貴方になって下さい。
病院の治療は 険しい道になるだろうけど 是非 相談して下さい
太宰に1番はまる年代だと思います、十代後半って。私も高校生ぐらいの時、太宰にはまって人間失格読んだ時、同じようなこと思いましたよ。そういう時代の真っ只中にいるんですよ主さんは。悩まなくてもよいことで悩んだりするある意味幸せな時代です。今はそれにどっぷりつかるのも良いんじゃないかしら。
20歳のとき、友達が「自分は太宰治と感覚がにている。人間失格を読んでそう思った。」と言っていたので、私も人間失格を読みました。
友達が私にもこのような考えで接していたのなら悲しいな、とも思いましたが、よく考えたら自分にも当てはまる部分があり、だからこそスラスラと読むことのできる本でした。
皆さん共感できる部分があるから映画化や漫画化になるほど有名な一冊なんですよ^ ^
私も人間失格を読んだ際、同じように感じました。私と同じような人がいるって!客観的にみたら病んでるんだな私って(笑)10代の頃はそんなこと思いましたが社会にでたら考えることが多すぎて悩んでたことなんて忘れていました(^o^)/人間性や感じかたは変わってませんが私が生きる為には必要な生き方なんだって開き直ってます。
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