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【書き捨て】毒親というほどじゃないけれど

回答4 + お礼2 HIT数 2198 あ+ あ-

悩める人( 32 ♀ )
14/01/22 00:42(更新日時)

書き捨てたくて投稿します。(ので、返事は出せません、すみません)

毒親というほどじゃないけど歪な親子関係、という2ちゃんまとめを見ていたら吐き出したくて居ても立ってもいられなくなった。

母親が怖い。
依存的で自信がなくて行動力も決断力もない母親。言うことがコロコロ変わるしそもそも話をしても「はあ・・・」「はあ・・・」と聞いているのかいないのか分からない。で、もう一度聞いてもやっぱり覚えていない
自分で話したことも覚えていない。だから些細なことから大きなことまで何度でも話す。私が物心ついた頃からだから母親は30代前半だったはず。
小さい頃から、意識はしていないけれど彼女への不信感でいっぱいだった。「どうせやってくれないと思って生きる」なんて、生き方本なんか見るより先に私に根付いていた考え方だ。

衣食住整えてくれた。それは感謝する。
でも、私はペットのようだった。母親の好きな時に話しかけて良くて、会話が成立しなくて良くて、話を覚えていなくて良い。母親が辛い時は愚痴を延々吐いて良くて、私が辛い時の話は解決しなくて良くて、覚えている必要すらない。
私は誰かに相談することなんて意味がないと思っていたし、誰かがまともに自分の話を聞いてくれるなんて思ったこともなかった。

私はまだまっとうに育った。疑心暗鬼と捨て鉢なまでの独立心(「だって誰も助けてくれるわけじゃなし」)は、社会的に暮らして行くのに十分な基盤を作ってくれた。痛い目にも沢山遭った。転職は10回はしたし、堕胎もした。離婚もした。騙されて連帯保証人にされ続けている。それでも友人、新しいパートナー、仕事があり、優しい夫と義実家のおかげで愛を知った。


そして今、幸せな今、母が怖い。

愛玩用のペットだった私は、地位が向上し「頼るべきもの」になったようだ。一度目の結婚の前、自営で自己破産した父が亡くなり、姉は統合失調症、弟は引きこもり。母は専業主婦。同棲生活を解消して実家に戻った私だけがまともな稼ぎがあった。

母が言った、「生活費それしか出してくれないの」「私が家事をやるからあんたはもっと稼いで」
15万の稼ぎのうち6万を渡した。でも足りないと言う。弟には、はっきりとは言わないが私が生活費を出さないというようなことをほのめかしていたようだ(全て、自分ではっきりとは言わないのだ)

母は、はっきりとは言わなかったが、
同棲解消して自分を養ってくれる、父の代わりを私に求めたのだ。
母は遺族年金を手にして、母は自分の青春を謳歌しだした。それはささやかなものではあったが、私とまるで立場が逆転していた。まるでお小遣いを手にした小さな子供。
私も、「養わなければならないんじゃないか」と前向きに考えたこともあった。
でも、母は足りない足りない、節約は出来ないという。
冷蔵庫に腐った野菜が放置される有様で、節約のしどころはあったと思う。私が稼ぐならそこはしっかりして欲しいとお願いしたが、返ってきた答えは「TVが聞こえないから静かにして」だった。ぞっとした。
私は結婚に逃げ、そして失敗した。


No.2049582 14/01/14 12:59(悩み投稿日時)

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No.1 14/01/14 13:04
通行人1 

2ちゃんまとめを見ていて吐きたくなるのはどうしてだったんだろう。まとめの方が生ぬるい話ばかりで、やってられない気持ちにされたのか。主さんは🔥超ハードモードだし…

No.2 14/01/14 13:48
通行人2 

2ちゃんって、こき下ろしみたいな掲示板ですよね。失笑を買うような内容ばかり。私も結婚に逃げて失敗しましたね。2回。逃げた理由は、それぞれ違いますが。

No.3 14/01/14 18:29
働く主婦さん3 

主さんも苦労してきたんですね。でも今主さんが幸せでよかったです。お母さんとは最低限の仕送りをする程度の付き合いでいいと思います。

No.4 14/01/15 19:37
お礼

続き。


二度目の結婚は奇跡のように決まったし、そして穏やかで幸せで愛に溢れていた。

バツイチの上連帯保証人まで抱えた私を義父母と夫は受け入れてくれた。
誕生日にバースデーカードをくれた義母。返し方がわからず困ってしまったっけ。まさか「お母さん」がバースデーを覚えていてくれるなんて、夢にも思わなかったから。
夫とは毎日、「存在を無視されない」暮らしをさせてもらえている。
基本姿勢が「私の言ったことは覚えてもらえていない」だったので、同じことを何回も繰り返し話していると指摘された。母と同じだ。
今はもう、一度言ったことを繰り返すことはない。覚えていなければ素直に「この前言ったよー」と言える。母に言っても無駄な言葉だ。
一度目の結婚の時も言ったことを覚えてもらえていないのが基本だったため、2年以上の時間が必要だった(元結婚相手はそれに暴言まで加わったので、私はとても卑屈だった)

人の言葉の裏を探ることもしなくていい
わけのわからないことを言われない
私の言った言葉が相手に感情をもたらす
そしてそれが返ってくる


音をたてるかのごとく自分が成長しているのがわかる。
思い立ってACの本を買い、考え方の訓練もした。自分で自分を愛するということも知って、理解した。
今までの30年はなんだったろうと思うほど、生きていることが楽しい。

30年、特に感慨も無く「早く死にたいなー」と思っていた。それが普通だったし、それを悲しいと思うこともなかった。
いつ自分が消えても問題なかった。自殺がいけないこと、ということも理解できなかった。自殺したい人はじゃんじゃん自殺すればいいと思っていた。だって、この世の中は誰も通じ合っていないのだから、と。

疑問に思うことすらなかった。悲しむ必要もないほど、それが当たり前だったのだ。


でも、今は違う。
私の言葉を聞く人がいる。
私の返事を待っている人がいる。この心地よい重み。
自分を愛してくれる人がいること、そして自分を大切に思えることが、こんなに幸せだっただなんて思わなかった。


皮膜が剥がれ落ちるように、愛するということを知ってしまうと・・・・

実家族と、話すことができなくなった。

結婚してからも、実家族とは細々と繋がっていた。でも、なにかが気持ち悪いのだ。
一緒にいても話を聞いてもらえないし、逆に話す時は何か含みのあるような言い方をする。また、以前も話したことを何度も何度も話す。
これは母も姉も弟も、種類は違えど同じだった。姉は自分の要求を通すのに必死だし、弟の物言いは遠回しすぎてちっとも理解ができなかった。

過去のことを覚えている、私は、この人たちから何かを読み取ることがとてもとてもうまかった。母の「はっきりと言わないけれど要求を察してやって欲しい」も、姉の「私が怒っていることを汲み取りなさい」も、弟の「面倒だから説明はしないけど」も。私は全てを瞬時に汲み取り、役割を演じ分けた。
母に対しては手がかからずいざという時には頼りになる娘を、姉にとっては気が合い一緒に遊べる妹を、弟からは困った時に頼るべき愉快な姉として。
(そして父は、私と同じく自分を押し込めて家族のサンドバッグになる人だった)

No.5 14/01/16 10:19
お礼


続き。



私は間違いなく実家族から好かれていた。各々が勝手ばかり言い、お互いの話し合いがない家庭において、私だけが緩衝材として皆の間を取り持っていた。あまりに話が通じない面々のため、父が亡くなる寸前、病院から電話がかかってきたほどだ。他の家族じゃ話にならないので、聞きに来てくれと言われた。実家族の中で私のみ唯一、実家を離れていたというのに。


だから実家族は、どんどん距離を置く私に戸惑ったようだった。

そう、私は連絡もせず、実家に帰ることもしなくなった。この数年、母と顔を合わせたことは0回。電話で話したことが2回だ。
特に明確な意識があるわけではなかった。ただ、別に会いたくない、それだけだ。
夫と義実家が塗り替えてくれた「お互いを必要とし合う」が、実家族にだけ適用されない。それはこの30年の歴史で培われたルールだ。私からすると、「どうして私に会いたがるの?」と、キョトンとしてしまう。お互い愛していないのだから、どうして会う必要が??

母はまたはっきりは言わない。そして、私が汲み取ることを拒否しているから、母とのコミュニケーションは成立しなくなった。何かを言いたそうな電話がかかってきても、そのまま黙っている。そうすると慌てて切るのだ。私は、もう汲み取らない。母は私から、「どうして電話してきたの」「最近会っていないから会おうか」と言ってもらえることを期待しているのだ。私は、もう汲み取らない。
弟とは連絡を取っていないから分からない。私は清々しい関係だと思っている。

ただ、姉の怒りと執着は凄まじかった。
姉は結婚していたが、友人はいないようだ。母とばかり会っている。姉は独善的で支配的だ。「私の友人に会わせてあげる。きっとお前の参考になる」という「友人」に、本当は会いたくなかった。「⚫︎⚫︎という用事をやっておいて。必ずだよ!」という用事を言いつけられたくなかった。
離婚問題で睡眠導入剤を使うほど消耗していた時に、「元気になるだろうから」と姉のショッピングに付き合わされた。私は帰りたいと言っていたが聞き入れられず、ショッピングモールの中で堪えきれず泣き崩れた。
全て、なんとなくやってしまっていた。
私は姉にとても都合の良い妹だったのだ。

一方姉は、「妹とはとても気が合い、阿吽の呼吸で一緒にいられている」と思っていたようだ。そりゃ楽だろう。都合のいい妹は、姉の頼みを断ったことは無いのだから。

だから姉は、私の離反に激しい拒否反応を示した。
最初は電話だった。どうしている、どうして帰ってこない、実家が嫌なら姉の家に来ればいい・・・
なぜそんな事を言うのかが分からなかった。会いたい気持ちがなかった。むしろ、毅然とした義父母の愛を知ってしまった今、姉の押し付けがましい愛は執着としか思えなかった。
今までと違う素っ気ない妹に、姉は段々と苛立ってきた。

No.6 14/01/22 00:42
海賊 ( EHpzw )

あなたが、やろうとしてることは、とても価値のあることです。

そして、それは『あなたの悲感の仕事』ととなり、回復への扉が開かれていくでしょう。



しかし、あなたが何をしようとしているか理解している人の前で話すことが必要です。


まずは、仲間を作りましょう!
あなたと同じ境遇のACの集である自助グループに行ってみましょう!
ACの自助グループには『ACA 』や『ACODA』 があります。
そこで、12ステップのステップ1・2・3を学び、ゆだねて信じて手放すことを学んで仲間と信頼関係を築いていきます。自分を超えた大きな力を感じ信じていきます。
仲間の中から自助グループに五年以上いる、悲感の仕事の経験者をさがしてスポンサーになってもらいましょう。スポンサーとは、受け渡してくれる人です。同性のこの人のようになりたいと思う人をさがしてください。
できれば、週に三回は自助グループに通い自分の居場所となるようにしていきましょう。多少、遠くとも行ってみてください。
始めは、日々の話や思ったことなどを話してください。準備ができるまではACに関する悲感の仕事の本などを読んでみましょう。
仲間との信頼関係ができ、自分を超えた大きな力を信じることができ、自分が何をしようとしているか知ってるスポンサーができたら、悲感の仕事の開始です。

世間と対等に向き合えるようになり、新たな扉が開かれる。



・・・でも、ここでは扉が開くことはないように思います。残念ですが・・・

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