自分の感情を俯瞰しすぎるきらいがあります。そのため好きとか、楽しいとかよくポジテ…

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2017/09/05 16:34(更新日時)

 自分の感情を俯瞰しすぎるきらいがあります。そのため好きとか、楽しいとかよくポジティブに捉えられている感情を一歩下がった視点で眺める自分に水を差されて、人とテンションを合わせられなかったりします。
 最近は慣れてきて、上辺では人に合わせるのが上手くなってきましたが、時々このような気持ちの動きが、なんの意味もないと思うと虚しくなり、脱力感に襲われるのが結構辛いです。純粋に一次的な感情を解釈するのに手間取ってしまい、二次的なストーリー付けと言うか、感情の解釈自体に主体を置いてしまっているため、純粋に自分の感情を感じることができません。
 なかなか余計な考えをせずに心楽しむことって難しいですよね。皆さんはこのような気持ちになる、あるいは自分の感情を自分を納得させられるまで理由を突き詰めて考え込んでしまうことってありますか?

No.2525981 (悩み投稿日時)

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No.1

離人症ではないですか?

No.2

それは俯瞰というより、気持の離脱とか、夢想なのでは?
俯瞰に達する考えらならもっと暖かく包み込んだり出来るものかと思うから。

No.3

>> 1 離人症ではないですか? 離人症ですか、考えたこともありませんでした。

No.4

>> 2 それは俯瞰というより、気持の離脱とか、夢想なのでは? 俯瞰に達する考えらならもっと暖かく包み込んだり出来るものかと思うから。 たしかに、俯瞰とは違うかもしれませんね。自分の思考が自分に操作されているというか、感情が二重の層になっている感じです。うまく説明できません...。
ただ、俯瞰に達すればもっと暖かく包み込んだ考えが出来ると言う理屈はよくわかりません。

No.5

俯瞰には客観的に全体を見渡す意味もあるからです。
客観的に全体を見渡し理解できるのであれば、達観というか、
ちょっと悟りに近いものが有ると思われます。

物事全体が捉えられる考えの人はすでにある程度の事は、
自己の考えに答えを見つけているので、
疑問こそあれど、判断に疑問を持ったり迷いがないことも多いと思います。
その上で前向きだったりする事が多い気がする。

後ろ向きなのは、何かにとらわれている証拠だから。

そういった二つの意味からの解釈でした。

No.6

>> 5 なるほど。達観している人は物事を客観視できるからこそ、気持ちのブレはあれど進む方向はわかっている人ということですかね?
私は自分を客観視しているのではなく、まだ見通せないからこそ方向感覚がわからなくなってるのかもしれないです...。
抽象的な質問に対して理解しやすい回答をしていただいて、ありがとうございました。

No.7

それでもいいのでは?いつか本当に主さんが楽しいって思える時が来るかもしれませんよ

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