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赤子の時からの、両親からの虐待(姉から聞いて知った事ですが)や、幼児期から始まっ…
赤子の時からの、両親からの虐待(姉から聞いて知った事ですが)や、幼児期から始まった拷問によって、3歳頃から原因不明の発作に悩まされています。
幼稚園になると、集団的ないじめにあうようになり、それは高校を卒業するまで続きました。
7歳で初めて自殺を考えるようになり、12歳の頃姉が卒業した高校の学園祭に行く事になり、そこで高校二年生の17歳の女性と知り合うようになり、このままでは親に殺されるとSOSを打ち明けたのです。
13歳でその女性との間でできた娘の出産に立ち会い、初めて生きる喜びを感じました…
ですが、その6年後に突然の交通事故により妻子が同時に天国へ旅立って行ってしまいました。
その死別の影響は絶大で、その頃から幼児期からあった発作に加え、声が出せなくなる、体が全く動かなくなる、ひどい過呼吸などが症状として出るようになりました。
24歳で、二人目の妻ができた頃には部屋から全く出られなくなってしまいました。
その頃から、横紋筋融解症という病気にかかり手足に力が入らない事で、立つ事もできない日々を繰り返すようになりました。
34歳の頃には、離婚して自殺しようと公園に向かう途中で見知らぬおじさんに警察に通報された事で、生活保護で生きていくきっかけができました。
その後は、精神科に通院するようになり幼児期から続く様々な発作の原因が、うつ病も含む精神症状だという事が分かりました。
現在は、ヘルパーや訪問看護の方の力を借りて生きている事に罪悪感をもち、不要な人間なので早く死ななくてはという気持ちと、妻と娘の遺言を思い出し生きないといけないという気持ちが、交互に現れて、今でもろうそくの火が消えかけようとしているので、最後に人の心のぬくもりというものを感じたくてメール致しました。
主治医からは、大変重い症状なのでとにかく薬よりも一人でも多く肯定される事が大事だと言っていました。
上記に記した内容が私が言える半分で、姉から聞いた姉自身が母親と、私に対し性的な虐待をしていた事、何度か救急車で運ばれた私の怪我の原因など、聞くに耐えないものが残り半分あります。
このように医療関係者以外に、話そうと決意さたのは最期に後悔しないためなので、そのように受けとめていただければ幸いです。
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