主人が子供にキレます。まぁ宿題するのが遅い我が子にも問題あるんですが「間違えても…
主人が子供にキレます。まぁ宿題するのが遅い我が子にも問題あるんですが「間違えてもいいから問題解いてみろ!間違えながら覚えていくもんなんだ」と励ましてるような発言をしつつ、子供が間違えた答えを書くと「何だこの答えは?いい加減覚えろ!」と強く当たります。子供からすると間違えてもいいよと言われたのに答えたら怒られて意味が分からないと思います。
言ってることとやってる事がチグハグなので「怒らない怒らない、ゆっくり解いていこう」と横から声を掛けたら「お前は入ってくるな!」とキレられました。
ちょいちょいムキになるところがあり困っています。子供もストレス溜めてるのか父親がいない所でブツブツ文句…
父親が側にいると黙ってます。母親とは違い父親は怖い存在で良いのかなと思う反面、ムキになり過ぎてる主人が怖いです。どうなんでしょうか、私が甘いのかな。時々分からなくなります。
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ちゃんと父親と母親の役割分担が出来てていいじゃないですか。
父親は社会の厳しさを教えるのが役目。母親は愛情や寛容性を教えるのが役目。
父親の言ってる事もやってる事も基本間違ってはないですよ。
「失敗してもいい」は厳しい社会にあっても同じで、失敗したからといって凹む必要はないという事。
ただし失敗には責任や痛みが必ず伴うもの。その現実を教えてるもの。
「(あくまで)結果は」失敗したってそれは全然いい事だ。
しかし「それぞれの過程では(その場その場では)気を抜いて簡単なミスはするな(=失敗していいと思うな)」という事
「(結果として)失敗でもいい。失敗から学んでいくものだ」というのは生きてく上での大原則で人生訓というべきもの。
でも〝そんな簡単な事で失敗するな”は当然現実の社会にある厳しさを教えるもの。必要不可欠な心の持ちよう。いわば〝その場面での事”ですよね。
むしろ「失敗していい」を言葉のままに100%受け取って本当に失敗してもいーんだ失敗したけど僕は何もわるくなーいなんて思ったりするなら、社会で生きてく上で問題起きますよね…
理解すべき事、つまり頭に置くべきことは一つじゃないわけです。相反するものではなくむしろどちらも必要なもの。
一つはあくまで「結果」に対してのもの。
もう一つは「それぞれの過程で大事にすべき」もの。
大前提として「失敗してもいい、失敗から学べばいーんだ」は長い目でみた人生訓。勉強やスポーツ、恋愛やいずれつく仕事にもとにかくなんでもに渡る大事な教訓。
へこたれたり、くじけたりしそうな時に必要な言葉。
しかし「その場面場面での行動」については「そんな事で失敗したらダメだろ」というのは。これは〝その場その場で求められる事”を言ってるもの。
人生訓を言ってるわけでもなく、失敗に対してどう捉えるべきかとは違って「何かをする際には些細な事を疎かにするな」という〝その場その場で気を付ける事”を言ってるわけ。
全然別の話。
お子さんが一体どっちが正しいんだとまるで矛盾の様に捉えて子供が混乱しそうになってたらそこは主さんが補ってその混乱を解いてあげるのが母親の役目になるかと思います。
「どっちが正しいのか」というのに対して「そういう事ではない」「そもそも違う事でどちらも必要な事を言ってるんだ」とちゃんと説明してあげたらいいと思います。
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