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人生は楽しんだもの勝ちだよみたいな話が先にあって でも、なにかが違うではないで…
人生は楽しんだもの勝ちだよみたいな話が先にあって
でも、なにかが違うではないですか
たとえば君が楽しいと思うことは全員でなくても他の誰かを不愉快にさせることなんて幾らでもあります
そこには次第と節度の失われていく傾向があるわけです
虐待の発端もそこらの無知な状態にあるものですよね?
大勢がそれと同様に考えるならば幸せになるなんてのは完全に取り違えているとわかるのでしょうが理解には至りません
自己満足的な楽しみ方というのは本当の楽しみ方ではなく本当の喜びではないわけですが
それは無知であるとしか表現できないものなのでしょうか?
自己満足的な慢心状態にある人が無知である根拠とは、どのように指し示すことが出来るものですか?
節度ある楽しみ方というのは、どの様な表現に値するものなのか説明してみていただけないでしょうか?
人類の幸せのために
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言われていることが
少しわかりにくいのですが、
自己満足的な楽しみ方は
本当の楽しみ方ではない
本当の喜びではない、
と主様は思われるわけでしょうか?
家でゲームをして楽しむこと
野山の風景をスケッチして楽しむこと
創作料理やお菓子作りを楽しむこと
好きな歌手の追っかけをすること
これらのようなものは
自己満足的な楽しみ方ですが
こういうものの話をされている
わけではない感じですか?
人生楽しんだもの勝ち、という言葉の本来の主旨は、例えば逆境を与えられた試練とみてどう乗り越えるかを楽しみにしたり、節約をゲーム感覚で楽しんだり、細かい悩みは気にせず笑い飛ばしたりと、同じ状況なら苦しまずに楽しもうよ、ということだと思います。
快楽主義に溺れて刹那的に生きよう、という話とはむしろ真逆の話かと。
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