読書感想文には正解があったんじゃないか。 読書感想文が苦手だった。物語は面…
読書感想文には正解があったんじゃないか。
読書感想文が苦手だった。物語は面白いなとは思うけど、どこが面白いかと聞かれてもよくわからないから書けなかった。
そもそも文を書くのが苦手だった。今でも苦手だ。作文を書く授業で1時間経っても一文字も書けず、白紙のまま提出したこともあった。
それでも夏休みの宿題はやらなきゃならなかった。なんとか捻り出した感想を、誰か忘れたけど確か大人に伝えた。「うーん、主ちゃんの心にはあまり響かなかったのかな」と言われた。
国語には、特に作文には不正解なんて無いなんて言うけど、あるじゃん。そう思った。
あれを読んで何を思うべきだったのだろう。課題図書だったし、何かしら正解はあったんだろうなと思う。
現代文(作文以外)の成績だけはとても良かったけれど、今でもわからない。
新しい回答の受付は終了しました
そりゃあ、きれいに「この本を読んで
人生の糧になった」というような実のある文章が
つくれたならいいのでしょうけれど、
求められてるのはそういう事じゃない気がします。
けど、感想文の形にとらわれたら、意味のない文章
書いちゃいけない気がして、何とかして
意味のあるものを書こうとしちゃう。
だから、そこに自分がいない。
それは、感想文の不正解なんじゃないでしょうか?
もっと自由に書けばよかったんじゃないかな?
それはその大人の正解じゃん。その正解は狭い範囲での一つの感想でしかないのよ。答えが決まってるものはマニュアル化されるけど、人生にマニュアルなんてないじゃない。正解なんてないものは沢山あるのよ。
私も読書感想文とか苦手だったね。そもそも作文が苦手だったのだけど、何故苦手だったかというと、正解があると思ってたからよ。自分の正直な感想や表現したい事そっちのけで、何か先生や相手にマルを貰うような事を書かなきゃいけないと思ってたから書けなかったのよね。
この投稿を読んで文章が苦手な人だとはちっとも思わないね。別に読書感想に正解なんて求めなくていいよ。正直に書いたらいいのよ。何もないなら何もないでいいじゃない、テストじゃないんだから。それが自分よ。それで何が悪いのよ。そうやって他人の正解を気にしてると、自分の人生を生きられなくなるから気を付けてね。
新しい回答の受付は終了しました
お知らせ
つぶやき掲示板の悩み一覧
お悩み解決掲示板 板一覧