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わからない いつだってそうだ。答えは結局結果が出た後にしかわからない。 …
わからない
いつだってそうだ。答えは結局結果が出た後にしかわからない。
それでも選択の期間は迫ってくるし、待ってはくれない。
唯一わかっていることは、わからないなんて回答したところで何も変わらないこと。
不確定要素が多い未来において、何かを決断するというのはとても勇気がいる。
なぜなら決断には責任が伴うから。
誰だって責任は負いたくない。
特に、周りを巻き込む決断においては尚更だ。
しかし、自由を重視する現代においては、無慈悲にも決断の瞬間は多々訪れる。
自由というのは時折足枷になる。
なんでも良いことも決めなきゃならないし、デメリットとメリット双方を持つ両極端の意見を決めなきゃいけない。
特に、両極端の意見がある場合、我々はあんぱいを切ろうとする。しかしそれは結果として何も決断してないのと変わらない。
例として、近年温暖化が問題視されているが、実際何十年後どれほどの問題になるかはその時にならなければわからない。
それに対しての決断において、国民にCO2削減を強制させるか、このままでいくかの選択が迫られる。しかし、自由を尊重する現代において強制はできないし、このままにした場合、問題になった場合の責任問題が生じる。したがって中間意見の「呼びかけ」やちょっとした省エネ開発になる。
だが実際何十年後大問題になった時、この中途半端なCO2削減では問題は乗り切れない。
なのに生ぬるいエコに努めることは、ただの問題の先送りにしかならない
であれば何もせずこのままとくに問題は起こらないことにかけた方がよっぽと賢明な決断だ。
このように中間意見というものはなんの功もなしえない。だから私たちはデメリットを飲んででも苦渋の決断をしなくてはならない。
どんな未来になろうと、決定権があるうちは決めなきゃならないし責任を負わなければならない。分からなくたって、前に進まないと何も変わらない。
わかっちゃいるけど
でもやっぱり、不安は拭えないな
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