『自我』は脳の化学反応。そして死後について。 生命体Aとしての死を迎えた場…
『自我』は脳の化学反応。そして死後について。
生命体Aとしての死を迎えた場合、
生命体Aとしての自我もそこで終える。
『自我』は脳の化学反応なので地球上に
脳を持ち合わせた生命体がある限り自我を体験する。
つまり、生命体Aとして死を迎えた後は、
ランダムに生命体Xとしての自我が始まると予測する。
輪廻転生的な考えだが、前世とかはないと思う。
次の生命体を構成する原子は別個のものだからだ。
生命体Aを構成していた原子がそのまま生命体Xに受け継がれるのなら、
前世は生命体Aだったといえるだろうけど、それはありえないので。
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>つまり、生命体Aとして死を迎えた後は、
>ランダムに生命体Xとしての自我が始まると予測する。
ランダムなら、AとXのつながりは無いわけで、輪廻転生も無いことになる。
つながりがあるなら、完全なランダムではなく、そこにベクトルが存在するわけだから。
生命の誕生以前? 誕生する前は、生命は「無い」だ。「誕生してない」つまり「有」になっていないことこそが、その証明だろ?(証明というより「誕生以前 イコール 無」ってことだな)
生命の消滅以後? これもその生命は「無い」だ。消滅とはイコール無くなること。つまり「無」だ。
何が言いたい? 死後の世界とかなら、ムーに聞いてくれ。何十年分もの説を教えてくれるぞ。
まず生命とは何か?肉体は原子の集まりと言えますが、生きた肉体も死んだ肉体も同じ原子の集まりであり、あとは生命活動があるかないかだけですよね。その活動自体は肉体の機能でしょうけど、機械も電気を流さなきゃ働かないように、何らかのエネルギーがあると思うのですが、どうでしょう。
ただ、前世や来世の生まれ変わりがあるとするなら、脳の機能以外の独立した自我がなければなりませんが、そのような自己同一性を保証するものなんて何も無いですものね。昨日の自分と今日の自分が同じ自分であるというのは、脳の記憶と他者からの認識によって成り立ってるだけで、身体の細胞は常に入れ代わり、記憶を司る脳の細胞も常に入れ代わってる訳で、本来は同じ自分なんてものはありません。
でも、それだと社会が成り立ちませんから、私たちに名を付けて同じ自分という社会的なアイデンティティを作った訳ですよね。そうじゃなければ、昨日犯した罪は今日の自分には関係ないとなってしまいますから。だから、自分とは社会的な約束事でしかないと。
私たちはそもそもこの命を自分で管理してる訳でもなく、生の営みを自分が自由にコントロールする事も出来ません。死にたいと思っても、命の働きを自由に自分が停める事は出来ません。人間の五感による認識も自動的であり自分でコントロール出来ません。見る、聞く、嗅ぐ何でもいいですが、それを認識しながら認識を停める事は出来ませんから。つまり、この文字を目で見ながら見ないという事は出来ないという事です。
それらを観察しただけでも、自分というものは無力で実体が無いです。人間の行動自体も、まず肉体が反応してそれから意識が生まれてると言いますが、この命は自分という自我意識が主人ではなく、肉体の働き自体が主人であり、その後に生まれたのが自分という脳の産物である自我となります。
ただ、その働き自体は一体何か?となったらよくわかりませんが、少なくとも宗教が扱うような霊魂みたいなものがあって、それが輪廻していくという考え方は成り立たないと思いますね。
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