学校は勉強するところなのになんで…とか、勉強以外にも集団行動とか磨かなきゃいけな…
学校は勉強するところなのになんで…とか、勉強以外にも集団行動とか磨かなきゃいけない…とか。結局学校って何するところなんですか?勉強するところ…ですよね?
自分の学校でよくアンケートがされるんですが、「学校は楽しいですか?」という質問があります。選択は「楽しい、あまり楽しくない、楽しくない」です。
普通はないのか…。
ご年配の方や、知っている方に質問です。昔の、本当に昔の学校は、今の学校とどう違いますか?あと、今より楽しいと思いますか?
最近の学校の先生って、とりあえず大人にしたがっとけばいいみたいなことを言うんです。
私の学校は特にカースト制がひどいので、もう学校に行くのがつらいという子が何人もいます。
「僕らの七日間戦争」っていう本を読んで、あぁ、こういう風に子供も自由にできたらいいなって思ってしまいました。実際、そうもいかないですよね。
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グッドアンサーに選ばれた回答
主さんの野望を短絡的に否定することはないです。
世界に目を向ければ、
主さんが最初に思っていた「学校は教科学習するところじゃないの?」が適用されているところが多いです。
世界はあまりにも広いので、どれがスタンダードだと話すこと自体ナンセンスではありますが
アメリカなどは、算数理科社会リーディング(英語)と音楽やスポーツの授業はあっても
課外授業はほとんどなく、それを学校以外のところが担うようになっています。
その代わり、小学生でも場合によっては留年させられますし、
「賢い子には賢い子のためのよりよい環境を」
「頭の悪い子には勉学のチャンスを少なく」
というシビアな側面があります。
「勉強ってなんだろう」
という極めて深いテーマに切り込むと
国の制度、歴史、文化、歪み、無理、空論、正論、現実論、
様々なことを含めて捉える必要が出てきます。
例えば僕は「部活不要論者」ですが、
単純に部活動を取り上げてしまえば
「日本が長い年月をかけて醸成してきた、部活の素晴らしいところ」
のすべてをも奪い去ってしまいます。
そういうのは、暴論であり、ほとんど納得してもらえません。
「部活を無くしてしまうなら、子どもたちが学校教育の無償福祉の範囲で受けられていた、部活動を体験する権利をどこで補償するのか」
という話が不可欠になります。
主さんの野望も同じです。
学校なら教科学習さえしてればよろしい論
を唱えるなら、
「それ以外でやらされた嫌な思い出」
を語るのではなく、
たとえば
「取り上げてしまった結果、宙に浮いてしまう、学ぶ機会にどんな受け皿を用意するか」
などを、現実的に話せるようになると良いと思います
学校は訓練所です。
『勉強する』と一言で言っても『同じ環境において限られた期間で一定量の学習成果を上げる』という訓練です。
また社会において個人で仕事する可能性の方が低いので、突出した能力の無い者ほど協調性や順応性が必要となります。
あと学校にカースト制度があるのは学校が自由だからです。大人の言う事を聞くだけのロボットしか居ないならそこに優劣などないはずですよね?
自由にしていいのにわざわざ何となく雰囲気に飲まれてカースト制度に従っているのは、大人の言う事を聞かない自由人が何となく作ったカースト制度に言う事を聞くだけのロボットが何も考えずにだ従っているからです。
そんなありもしないカーストに囚われる必要ないんですよ。
刑務所じゃないんだから楽しみゃいいんですよ。
学校がつまんないならつまんない奴ら皆集めて楽しい事すりゃいいんですよ。
私の座右の銘は『決められたルール内でいかに卑怯に戦うか』です。
すべての回答
総合的な学習の場ですから、
集団行動を学ぶ場でもありますね。
教科書読んでテストの点数だけ取る場所ではないですよ。
そんなに難しいことを話してもないでしょう。
学校でやることの多くは
それぞれに「学べることがあるからやってる」ものです。
ただそれだけですよ。
学校は訓練所です。
『勉強する』と一言で言っても『同じ環境において限られた期間で一定量の学習成果を上げる』という訓練です。
また社会において個人で仕事する可能性の方が低いので、突出した能力の無い者ほど協調性や順応性が必要となります。
あと学校にカースト制度があるのは学校が自由だからです。大人の言う事を聞くだけのロボットしか居ないならそこに優劣などないはずですよね?
自由にしていいのにわざわざ何となく雰囲気に飲まれてカースト制度に従っているのは、大人の言う事を聞かない自由人が何となく作ったカースト制度に言う事を聞くだけのロボットが何も考えずにだ従っているからです。
そんなありもしないカーストに囚われる必要ないんですよ。
刑務所じゃないんだから楽しみゃいいんですよ。
学校がつまんないならつまんない奴ら皆集めて楽しい事すりゃいいんですよ。
私の座右の銘は『決められたルール内でいかに卑怯に戦うか』です。
「そこで過ごすことを学ぼう」
ということだと思いますよ。
現実の社会は、
恐ろしいものも、合わないものも、嫌悪するものも、
もっと強烈な危険を含有して、
あなたの隣にあります。
そこでの生き方を学ぶために、
まだましな「学校」という子供の世界で経験しましょう
ということです。
とはいえ、「程度を考えてくれ、こりゃ無理だ」ということもあるでしょう。
そういうときは、親御さんに相談してくださいね。
>> 3
学校は訓練所です。
『勉強する』と一言で言っても『同じ環境において限られた期間で一定量の学習成果を上げる』という訓練です。
また…
あなたの言う通りですね…そう、カースト制度、うちのところは馬鹿やギャルが作った私たち物静かな奴には苦しかない制度なんです。
私のところは小中一貫なので、頭のいい人もいれば、馬鹿なやつもいます。
ちゃんと大人の言うことを聞いているのが優、一応聞いているけど雑音にしかとらえないのが劣って感じでしょうか…
私たち三軍でも考えているんですよ。でも、そうやすやすと一軍の奴らの言うこと聞いてないと後々芝かれるのでそこが問題なのです…
しっかりとしたレスをしてくれたのにこんな辛口でごめん。でも、あなたの意見はしっかり理解できましたよ(o^―^o)ニコ
私も三軍は三軍で頑張ってやらぁ!
>> 7
教師自身が自分の頭でモノを考えられず、社会に順応してきただけだから、同じような人間を再生産するのが学校だ。
ですよね。
教師って、頭がいいだけじゃダメなんですよね。
もとは私たちみたいな子供だったのに、どうしてそんな大人になっちゃったんだろう。
教師は、子供に勉強、社会でのありかた、人との接しかたとか、そういうものを教える人のことだと思うんです。
だのに今の教師は、社会社会言っておきながら何も教えてくれない。
これ以上、今のような無心の大人が増えちゃ子供が困ります。
将来小説家が夢なので、本当の勉強ってのを教えてやりたいと思います。
7さん気づかせてくれてありがとう(o^―^o)ニコ
主さんの野望を短絡的に否定することはないです。
世界に目を向ければ、
主さんが最初に思っていた「学校は教科学習するところじゃないの?」が適用されているところが多いです。
世界はあまりにも広いので、どれがスタンダードだと話すこと自体ナンセンスではありますが
アメリカなどは、算数理科社会リーディング(英語)と音楽やスポーツの授業はあっても
課外授業はほとんどなく、それを学校以外のところが担うようになっています。
その代わり、小学生でも場合によっては留年させられますし、
「賢い子には賢い子のためのよりよい環境を」
「頭の悪い子には勉学のチャンスを少なく」
というシビアな側面があります。
「勉強ってなんだろう」
という極めて深いテーマに切り込むと
国の制度、歴史、文化、歪み、無理、空論、正論、現実論、
様々なことを含めて捉える必要が出てきます。
例えば僕は「部活不要論者」ですが、
単純に部活動を取り上げてしまえば
「日本が長い年月をかけて醸成してきた、部活の素晴らしいところ」
のすべてをも奪い去ってしまいます。
そういうのは、暴論であり、ほとんど納得してもらえません。
「部活を無くしてしまうなら、子どもたちが学校教育の無償福祉の範囲で受けられていた、部活動を体験する権利をどこで補償するのか」
という話が不可欠になります。
主さんの野望も同じです。
学校なら教科学習さえしてればよろしい論
を唱えるなら、
「それ以外でやらされた嫌な思い出」
を語るのではなく、
たとえば
「取り上げてしまった結果、宙に浮いてしまう、学ぶ機会にどんな受け皿を用意するか」
などを、現実的に話せるようになると良いと思います
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