何を待ち続け、何を求めるの 名もない日々か訳もなく微笑む とは、どうゆう情景…
何を待ち続け、何を求めるの
名もない日々か訳もなく微笑む
とは、どうゆう情景を表してるんでしょう?
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尾崎豊さんの『贖罪』の一節だと思いますが、
まず、贖罪とは辞書によると
「善行を積んだり金品を出したりするなどの実際の行動によって、自分の犯した罪や過失を償うこと」
とあります。
歌のタイトルが贖罪であるため、
贖罪を歌ったとのだと仮定して回答します。
尾崎さんは「社会に馴染んで生きること」を強く忌避しています。
学校に行くことも学業を修めることも、
社会人として生きることも、
どれもに疑問を持ち拒絶しています。
『贖罪』の歌詞では、
そんな社会の中で働くことを選んだような描写があり、
そのあとで、ご質問となった一節に繋がっています。
僕はこの歌詞を、
アーティストのようなものにならず、何者でもない程度の社会人として働くことになった人の歌だと思っています。
そうした人の人生に何があるのか僕は知らない
という意味で
『何を待ち続け 何を求めるの』
とあり、
しかし、そうした無味な生き方をした人の人生にも、幸せはあるだろう
という意味で
『名もない日々が訳もなく微笑む』
と書いたのだと思います。
何も償ってないじゃないか。
と思われるかもしれませんが、
それは、尾崎豊さんが「自分はアーティストになった側だから」ということを踏まえて、
「そんな自分も、うまくいかなければ、稼ぎもないような暮らししかできない落ちこぼれの社会人になってたと思う」
という想いを込めて
タイトルにされたのだと思います。
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