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死とは生前の状態に戻ることだと思います。 死後が無だというのなら、生前も無…

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匿名さん
23/04/19 05:31(更新日時)

死とは生前の状態に戻ることだと思います。

死後が無だというのなら、生前も無ですから。

死後=無=生前

死後の世界というのは、意外にも皆さんすでに生前に経験しているのです。

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No.3775831 23/04/17 21:01(悩み投稿日時)

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No.1 23/04/17 21:39
通りすがりさん1 

そのとおりです。
よく気づきましたね。
もっと正確に言うと、その2つは同時空間に存在しています。

No.2 23/04/17 22:02
匿名さん2 

覚えているよ・・・知っていたから母親のお腹のなかの赤ちゃんに飛び込んだんだよ

No.3 23/04/18 19:12
匿名さん3 

その前に
人間に生れた事を
当たり前と思ってる事自体おかしな事

こんだけ色んな種類の生き物いるのに?
私は死んだらどーなるのか?
ある程度知ってる

人によっては
死後の行先が相当ヤバイ

No.4 23/04/18 20:13
匿名さん3 

私もね
2年前までは
3番に自分で書いた事
信じてなかった

それどころか
死んだら終わりで楽になるとばかり思ってたから

ところが全く違う

死後は存在していて
魂の行先がある

それは人それぞれ
行いによって決まる

因みに私も行先が相当ヤバイ人間である事を知る日があった

No.5 23/04/18 20:28
主婦さん5 ( ♀ )

死後は生前に戻る事とは、死後や生前に語ってもらわないと意味がないのよ。それらは今生においては経験外の話なので。

>死後の世界というのは、意外にも皆さんすでに生前に経験しているのです。

経験外の話を知ってるかのように語るのは詐欺よね。何をどう妄想してもその人の勝手なので構わないけど、妄想を事実であるかのように語るのは駄目ね。



No.6 23/04/18 20:50
匿名さん3 

私の結論言うとね
自分のお葬式やお墓の心配
こんなものはどーだっていいって事

魂の行先はお墓じゃないし
お坊さんのお経で成仏出来る訳じゃない

死ぬって事は
尋常ではなくヤバイ事

普通医者が助からない…と言うと
それは死ぬって意味だけれど

本当の助からないの意味は

死後にある

No.7 23/04/18 22:06
匿名さん7 

人間らしい発想ですね。

No.8 23/04/18 22:23
匿名さん3 

天上天下唯我独尊
天の上にも天の下にも只我独り尊し

No.9 23/04/18 23:59
主婦さん5 ( ♀ )

生前とはよく考えたら往生前という事で生きてる今生の事よね。生前ではなく出生前という事なら最初の回答の通りだけど、死後は生前の状態に戻るとはこれ如何に…。

No.10 23/04/19 05:31
主婦さん5 ( ♀ )

生前はこの肉体がある事で今この瞬間瞬間を経験として体験しているけれど、死後は一体何が経験をするのか?経験をするものがなければ駄目よね。何か最初から死後に何かが残るという前提で話が進んでるけど、それは一体何なのか?が問題。

まず私たちに死後の事はわからない。わかってるかのように語ったところで、それは所詮生きてる今生においてのこの肉体(脳)の経験で語ってるに過ぎないので本当の事ではないと。無経験の死後の事はどんな能力を持ってしても原理的にわからないのよ。

わからない事は置いといてわかる事から考えていくと、まず経験をする為には認識する機能が必要で、私たちはこの肉体があるお陰で五感を通して認識し、その認識されたものがデータとなって脳に記憶され、それが経験として初めて語れる訳よね。それはすべてこの肉体がしてる事。この肉体の認識や、もっと言えば生きてる事自体をよくよく観察してくと、すべてオートマティックだとわかる。つまりコントロールが効かないのよ。生きてる事も認識も言わば勝手にやってる事でそこに自分は無力。

つまり自分で生きてる訳でもなく、自分で認識してるわけでもないと。その証拠に自分で生きてるなら、自分で死んでみればいい。わざわざ肉体を壊して自殺などしなくても、もう生きたくないと思ったら生きる機能を自分で自由に停止したらいいのよ。それなら楽に死ねるでしょう。でもそんな事は出来ない。認識も自分で認識してると言うなら、嫌な事や嫌なものが五感に入ってきても認識しなければいいのよ。その方が幸せでしょう。でも目で見てしまえばどうしたって見えてしまうし、耳で聞いてしまえばどうしたって聞こえてしまう。今目にしているこの文字を見ながら見ないという事は出来ないでしょう。つまり認識はオートマティックであり、自分は無力なんだとわかる。

何が言いたいかというと、この命の中心に自分など無いという事がこの観察でわかると。座禅などしてると、段々周りのものとの自他の区別が無くなって一体化してくる時がある。自分という意識はこの肉体と周りとを分ける為の脳の機能であり、そうする事でこの肉体が迷子にならないようにしてるのよね。だから自分とは錯覚でしかなく、この命に自分という独立した何かアイデンティティを持ったものは無いと。つまりは、死後を経験する為の独立した意識、俗に言う霊魂などは無いという事だけはわかる。

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