なぜ、一昔前は女の子を褒める時に「将来良いお嫁さんになれるよ。」と褒めたり、 …
なぜ、一昔前は女の子を褒める時に「将来良いお嫁さんになれるよ。」と褒めたり、
女の子にしつけをする時に「そんなんじゃ将来、嫁の貰い手がなくなるよ。」なんて言ったのでしょうか?
結婚しない自由、子供を産まない自由もあるし、女は結婚して子供を産んで初めて一人前だしまともで全うで幸せなんだと思い込ませる刷り込みや洗脳だったと思いませんか?
結婚している、していないと子供が居る、居ないということと人間ができてるかは男女共に無関係なのに。
一昔前は、特に女の方がそういう刷り込みを受けて育ったと思います。それはやはり、女は若いうちに結婚しないと子供を望みにくいからでしょうか。
それは生物学的に仕方のないことではありますが、女は若いうちに結婚しないと子供を望みにくくなるから子供が欲しいなら早く結婚しなさいと伝えるのは良いにせよ、
50を過ぎてからでも老後を支え合う目的で同世代以上の男性と結婚する女性も居るし、そういう意味では一生独身女性は結婚の可能性があり、生涯売り出し中なのに…。
しかも、「そんなんじゃ嫁の貰い手がなくなるよ。」というのは女性が女児や少女に言って聞かせ、女性が未婚女性を差別的な偏見を持たせるように導いていたことが多いように思います。
この言い回しは、女児に結婚願望がないなら行儀が悪くても構わないと思わせたり、適齢期を過ぎて未婚の女性は行儀が悪かったり人間ができていないから結婚できてないんだと差別や偏見を持たせるセリフだったのでは? と思います…。
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時代が違うからと言えばそれまでなんでしょうけどね…。
私は発達障害ゆえに障害年金貰って生活してる未婚子なしですが、
今は発達障害をオープンにして障害者として生きられるようになれただけでなく、未婚や子なし女性に偏見が薄れ、
しかも中高年世代もファッションを楽しむ自由はあるし、必ずしも年相応の格好や髪型に染まらなくても良いという世の中になっただけでも生きやすくなれてありがたいと思っております。
昔は適齢期までに結婚→子供を持つとか、女性が年相応の格好をすることが当然だという固定概念がまるで常識のように浸透していましたもんね。
容姿の良い女性をお人形さんみたいと褒めるのは、目を大きくしすぎる整形依存などを引き起こして罪深いのでは…と言われることもありますが、
独身女性にそういう失礼な刷り込みをしていたことの方が罪深い気がします。
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