学校で、何があっても人は殺してはいけないという道徳?みたいなのをしました。 問…
学校で、何があっても人は殺してはいけないという道徳?みたいなのをしました。
問題児が「ママ殺されてもさーママ殺した人のこと殺しちゃダメなの?」と質問していて、先生は「もちろんです。殺してはダメです。」
と言っていました
わたしは疑問に思いました。
(文を書くのが下手なのは先に謝ります)
だいたい20歳以上で4人を殺したら死刑が確実です。
でも人間一人殺したところで死刑になるかは裁判を重ねてから決まりますが、あまりなくないですか?
ただし、死刑に処せられる基準としては、以下に示す永山基準があります。
1:犯行の罪質 2:動機 3:残虐性 4:結果の重大性 5:遺族の被害感情
6:社会的影響 7:犯人の年齢 8:前科 9:犯行後の情状(関西国際大学のサイトの文をコピペしました)
で、殺した人数関係なく死刑にされる可能性もあります
ですが、もしお母さんを殺した人が死刑にならなかった場合、悔しくないですか?
大切な人を殺しておいて、殺人犯は懲役数十年(無期懲役もありえるか、、)だけなんです。
なら、お母さんを殺した殺人犯を殺して自分が捕まった方が気分的にはよくないですかね。
それに未成年(18歳からは除きます)が人を殺した場合死刑にはなりません。
と、授業中のわたしはおもいました。
でも、ほんとに法律については無知なので小学生がなんか言ってんなーくらいで思ってくださると嬉しいです
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グッドアンサーに選ばれた回答
小学生ですか。深く考えられていて素晴らしいですね。法律や倫理は、考え方の正解が一つではありません。これからも疑問を持ち続けて、自分なりの考えを深めていくことを大切にしてくださいね。
さて、学校で「人を殺してはいけない」と教えられたのは、社会が秩序を保ち、人々が安心して生活するための大事なルールだからです。
逆にもし「大切な人を殺されたから、その人を殺し返して良い」ことになれば、社会は無秩序となり、もっとたくさんの人が危険な目に遭ってしまいます。そのような暴力の連鎖を防ぐためにルール、法律があるのです。
確かに感情で見ると、復讐として相手を殺すことは、個人的な感情として理解できます(情状酌量といいます)が、それを完全に許してしまうと、社会全体の法と秩序が崩れてしまう恐れがあります。感情的に行動するということが社会にとってどのような影響をもたらすか考えることが大切です。
法律は、みんなが安心して暮らせるように、悪いことをした人を公正に罰するためのルールでもあります。だから個人が「この人を罰する」と決めて行動するのではなく、法律に基づいて公正に処理することが重要なのです。
すべての回答
死刑にはならなくても、人を殺せば捕まって裁かれはするでしょう。罪は罪ですから。
だから先生も「やってはいけないこと」だと言って当然です。
そんなわけで大前提として「やってはいけないこと」なんだけども、刑務所に入ることになるとしてもどうしても殺したいと思うのであれば、殺せばいいんじゃないですかね。
最後の最後で行動を決めるのは、個人の覚悟です。
主様の想いとか関係なく、
説得する気もなく、
私個人の考えとしては、
殺したいとか死んでほしいと思ったらその想いは殺人犯と同じだな
って思います。
悲しむ人がいるのならどんな形であれ暴力も殺人もしてはならない、
って言わなきゃ悲しみが連鎖するだけだし。
感情的になったら負けだと思う。
泣いたり怒ったりって、ある程度は存在するけど激しいのは面倒臭いしさらなる不幸を招く気がするよ。
改心してくれたら一番いいけれど、
それが無理なら二度と出てこなければ誰にも迷惑がかからなくてそれでいいかな。
税金で〜とか言う人もいるけど、
そのための税金でもあると思うし。
小学生ですか。深く考えられていて素晴らしいですね。法律や倫理は、考え方の正解が一つではありません。これからも疑問を持ち続けて、自分なりの考えを深めていくことを大切にしてくださいね。
さて、学校で「人を殺してはいけない」と教えられたのは、社会が秩序を保ち、人々が安心して生活するための大事なルールだからです。
逆にもし「大切な人を殺されたから、その人を殺し返して良い」ことになれば、社会は無秩序となり、もっとたくさんの人が危険な目に遭ってしまいます。そのような暴力の連鎖を防ぐためにルール、法律があるのです。
確かに感情で見ると、復讐として相手を殺すことは、個人的な感情として理解できます(情状酌量といいます)が、それを完全に許してしまうと、社会全体の法と秩序が崩れてしまう恐れがあります。感情的に行動するということが社会にとってどのような影響をもたらすか考えることが大切です。
法律は、みんなが安心して暮らせるように、悪いことをした人を公正に罰するためのルールでもあります。だから個人が「この人を罰する」と決めて行動するのではなく、法律に基づいて公正に処理することが重要なのです。
昔の日本には仇討ちを良しとする時代がありましたが、近代化と共に西洋思想が入り込み、仇討ちは禁じられました。
しかし、西洋人も仇討ちをしていた時代もあるのですが、人が人をあやめることを肯定すると負の連鎖は止まらなくなります。
何故なら、母親を失った家族が加害者を罰した場合、加害者に家族がいれば、その矛先がまた罰を下した子に向けられ、その子が被害に遭われたら、その縁の者が仇討ちをするかも知れません。
そうした悲惨な連鎖を断ち切り、公平で公正な決着をするのが裁判精度です。
むろん、不服とする場合には、控訴する権利があります。それでも納得がいかない場合でも、法治国家では溜飲を飲むしかありません。
では、平和な背景ではなく、戦争をどう理解すべきかです。戦争は沢山の敵を倒した人間が称賛されるという矛盾が起きます。
しかし、この矛盾を戦争だから、有事だから仕方ないと多くの人が肯定するのです。
人間はいつ如何なる時も傲慢であってはいけません。傲慢であれば相手への思い遣りすら失われて、憎悪のかたまりになりますから、
人間の造り出したモノは、人間を振り回してしまう諸刃の剣のようなものです。
自ら、また、家族全員が幸せでいる為に、常に謙虚さを心におくようにして下さいね。
たしかに、母親を殺した人が死刑にならなかったら悔しいですよね。その気持ちはよくわかります。
ですが、だからといって遺族が犯人を殺していい理由にはなりません。遺族にそんな権利はひとつも無いからです。
たとえば主さんが友達に物を盗られて、挙げ句の果てに壊されたとします。それは主さんがすごく大切にしている物で、どこにもうっていません。主さんはすごく悲しみますし、その友達に怒りますよね?
じゃあ、主さんも「その友達の大事な物を壊していい」と思いますか? それと同じです。どんなに悔しくても「悪いこと」をしたらいけないんですよ。
道徳と考えるから感情論になる。
今の日本は法律が絶対。法律で禁止されていることは悪いこと。人間がたくさん住むためにはルールが必要。だから決められている。
悪いと決められているから悪い。
仮に法律で敵討ちの殺人が許されているとしたらそれは悪いことではなくなる。
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