前もつぶやいたと思うけど、またつぶやくわ。なんでもそうだけど、善悪がどうとかより…
前もつぶやいたと思うけど、またつぶやくわ。なんでもそうだけど、善悪がどうとかよりも、事実に対してどう向き合うかだけだなって思うよ。
例えば、誹謗中傷が存在するという事実があったとして、許せないから「おかしい!」と自分の正義を振りかざすのか。
もしくはその事実に対して「だったら自分は誹謗中傷をしないように気をつけよう」だったり、「誹謗中傷する人は一定数いるんだから仕方ない。対処法は気にしないことだな。」と現実的になれるのか。そこに人柄が出る。
俺がそれを思ったきっかけは、兵庫県の斎藤前知事の再選だった。彼は事実に向き合っていたんだなって、過去の俺と重なったところがあった。
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「誹謗中傷が存在するという事実があったとして」
「誹謗中傷する人は一定数いるんだから仕方ない。対処法は気にしないことだな。」
???
むしろ真逆だよね。
実際には斎藤知事は、
自分への告発文に対して「誹謗中傷だ!」と憤慨して
パワハラ被害者を停職処分にして自殺に追い込んだわけだが。
亡くなった方の命は軽視され‥再選しましたね。報われないですね。やっぱり自殺した所で無意味って事なんですね。
斎藤知事は2年間位無給で働き、せめて亡くなった方のご遺族に慰謝料2億円位支払って欲しいです。
辛い思いをした人達はきっと今も辞めさせられないために訴えること無く、働いてます。私たちが何も無かった事にして我慢すれば良いんですよって気持ちで。
どうか斎藤知事が心を入れ替えて2度とパワハラしませんように。
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