姉である私は、4歳で弟ができてから、ずっと「お母さんが怖い、お父さんも守ってくれ…
姉である私は、4歳で弟ができてから、ずっと「お母さんが怖い、お父さんも守ってくれない、お母さんが苦手、私はこのお家には要らない子」と6歳の頃から思って育ちました。
細かいことはたくさんありますが、家庭の中で、弟の出来の良さ・見た目の可愛さに比較されていく自分が辛くて仕方ない人生でした。
私は幼少期から出来が悪く、週7で7個の習い事をしましたが一切大成せず、家に居づらくなり、高校から少しずつ歪んでゆきお友達もあまり関係が長続きせず、18歳で理由をつけて家を出て、大学は行かせてもらいつつも何も夢もなく、就職せず親を無視して結婚、モラハラ離婚、出戻り、その後10年間社会に適応できず派遣で何度も辞め苦しみながら働いて、再度良き人と出会いながらも私の精神不安定さから結婚まで5年かけて、ようやく先月、家族だけの12人の小さな挙式披露宴をしました。
自分の中ではその披露宴がとてもとても楽しくて、家族だけの自由な空間で義姉の子供達と遊びながら過ごした披露宴を誇りに思いました。5年という時間があったからこそ夫への手紙にも深みが出たように思います。
一方、弟は小学時代から野球のキャプテン、学級委員長、留学、バイリンガル、海外で大学院卒業、教員として活躍。
彼の周りには人が絶えず、大勢に愛され、アプリで知り合った女性に初日で告白、1ヶ月でプロポーズ、たった9ヶ月で、私と全く同じ年月に入籍、そして私の結婚式とほぼ同時(2週間違い)に結婚式をしました。
私は自分の式を終えてから弟の60人規模の大きな披露宴に参列しました。
弟夫婦の挙式披露宴は完全完璧な「お手本」のような式でした。ふたりは結婚式場のモデルとして選ばれ、公式ページにに写真が掲載されるそう。
挙式では新婦のご友人たち30人が始まる前からもう皆涙を流して見守っていて、披露宴では、新婦がお父様を早くに亡くされたエピソード、国家資格を取った努力の話などが5分ほどかけて話され、そこでもまたご友人や同僚の方たちが涙を。
新郎新婦のメインテーブルには絶えず大勢が集まって写真の順番待ちで、親族はテーブル回りのイベントでようやく写真を撮ってもらえました。
ムービーは4回も流され、その度にふたりの仲睦まじい写真、幼少期から学生時代の友達たくさんの写真が次々と惜しみなく披露されました。
新郎の中座では実母がエスコート役にサプライズ抜擢され、母はテーブルに戻ってきてからも「腕を組ませてもらえるのはきっとこれが最後だった」と泣いて止まらず。披露宴も結び近くなると花嫁の手紙が読まれ、新婦である義妹のお母様は、女手ひとつで育ててきた娘からの手紙に号泣。
そのような感じで、終始、1つの綻びも隙もない、完璧な、テレビでドキュメンタリーにされるような、人生のお手本のような披露宴でした。
私は終始楽しんでいたのですが、お見送りの様子を眺めて親族が残るのを待っている時に、急に「完璧な人生歩いてる子が1人いて親にとってはよかったと思う」とポツッと呟いて、そこから急に涙が止まらなくなってしまいました。
これからも私は、落ちこぼれの姉、失敗作の姉として生きていくんだろうなと感じます。
あまりにも弟の人生とは比べ物にならず、どうしてかな、と思ってしまう時が今もまだあります。
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上ばかり見ると疲れますよ。折角裕福な家に生まれて存分に教育費をかけてもらったのに、それを上手く楽しめてないのは勿体無いです。主さんよりも恵まれない人は山ほどいるのだから、それを見て優越感に浸るのも大事なことだと思います。
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