「いじめられる方にも問題がある」って言うやつさ、正直気持ち悪いよ、反吐が出る。 …
「いじめられる方にも問題がある」って言うやつさ、正直気持ち悪いよ、反吐が出る。
俺はいじめられた経験あるから言うけど、その意見は加害者側の意見だからな。第三者が真に受けるのはよくないと思うよ。
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真に受けてる人は少ないと思う
いじめられる側にも原因があるかもしれないけど 「弱いものイジメ」は許せない
しかもその原因が容姿や先天性のことなら余計に許せない
「弱いものイジメ」をするなと教えない教育にも問題があると思う
「いじめられる方にも問題がある」というのは虐めた側の言い訳、屁理屈ですからね。
イジメのターゲットになる理由(性格や外見)があったとして、放っておけばいいのに加害行為に走ってしまうのが良くない。
虐めた側に気に入られなかった部分を問題と言われるのはたまったもんじゃないですよね。
全ての原因は虐めた側にしかありません。
いじめる方は軽い気晴らしでも、いじめられる方は死ぬか生きるかだよ。
よくいじめられる方も...なんて言えるわ。
じゃあ何か、いじめるのを我慢したらそのストレスで自殺でもするのか?って話しだよ。
この問題の難しいところは、いじめというものの定義がわからない所にあると思う。
漫画ライフのような誰が見ても100%いじめ、ってわかるものならそりゃ加害者だけが悪いとなるし、いじめられる方にも原因がーなんて誰も言わないけど、先日あったハンマー女のような、元から本人に問題があって周りから避けられていたような件も「いじめがあったから」なんて本人が言い出すから、やられる方にも原因があるのでは?なんて思われてややしこいことになるんだよね。
前者と後者は全く別物なはずなんだよね、前者は普通に障害、脅迫、誹謗中傷の事件だよ。
でも後者は遠巻きにされるだけの理由が本人にあったわけで、周りは巻き込まれたくない、関わりたくないと自己防衛しただけなんだよね。
一部の被害妄想が激しい自分勝手な振る舞いをする人たちのせいで、いじめという概念が「自分にとって不都合なこと」にのみ焦点が当てられてしまうこともあって、それが「やられる方にも問題があるだろ」という偏見につながってしまっているんだと思う。
被害妄想激しい人に巻き込まれたことあるけど、本当に、今思い出しても衝撃すぎた、何も話せないよ、自分の発言一つですぐ「あの人にひどいこと言われました!」「あの人にいじめられました!」なんて言い出すんだもの。
「可愛いからモテそう」って話の流れで伝えただけだよ、そしたら「男好きでとっかえひっかえしてそうって言われました!これはいじめです!」って上司に報告するんだもん、びっくりだよ。
こんな人に巻き込まれた側からすれば、ハラスメントと同じで言ったもん勝ちになってる側面も少なからずあるなと感じる。
そういう人たちが、本当に苦しんで悩んでいる人たちの邪魔をしているんだなと…。
いじめなんて言い方じゃなくて、もう罪状で言えばいいのにね、暴行事件とか。
No.4さんと同じく「いじめ」という単語がそもそもおかしいのだと思います
犯罪なんですよね
基準を全てその辺の通行人に変えて考えれば分かるはずなんです
家庭内暴力でもそう
その辺の通行人にした時に犯罪行為になるなら、場所や立場は関係なく犯罪なんですよ
赤緑色覚異常だからバカにされた事とか、父子家庭だから授業参観で母が来ないとバカにされたので、そういうのが積もっていじめにあったことがありますね。
先天性でそういうのになったのに、いじめる人間が居ますからね。
ちなみに、赤緑色覚異常の自分に、絵画コンクールで学年の誰も勝てず、1人だけがコンクールで特選を取った事に、
いじめっ子達はおかしい。ズルをしたんだろ!と腹を立てて、絵画コンクールで負けた女子達も積極的に自分へのいじめに参加していました。
いじめる人間って負けて悔しいから殴ってくるような精神がおかしくなった人間ばかりですよ。
こいつらが卑怯なのはいじめられた側がちょっとやり返すとすぐ先生を使ってウソを吹き込んで、
先生は私をイタズラばかりする悪ガキとして怒り、先生を誤認させて味方は誰も居ないように仕向けてくるですよね。本当にいじめっ子は卑怯者しか居ない
4さんが仰るように意図的にいじめをしている場合と自己防衛で距離を取っている事がいじめだと被害妄想されてしまう場合と色々ありますよね
その後者の場合を取り上げて「いじめられる方にも原因はある」と言ってる人が多々いると思いますが
それは客観的に見たらいじめではなく単なる被害妄想ですから
それを「いじめ」という括りで議論すると話がおかしくなりますよね
本来は分けて考えた方がいいものと思います
ただいじめの定義がいじめられたと本人が思ったらいじめになるという事ですから
そうなると色んなパターンの現象をすべていじめとして考えなければならなくなるので毎回話がまとまらなくなるのですよね
だからいじめの原因を考える時は加害者が意図的にいじめをしている場合に限定して考えた方がいいと私は思います
何故ならそれ以外は被害者の受け取り方の問題になりますので
厳密にそれはいじめの問題とはまた違った角度から考えるべきものですよね
だとしたらいじめの原因はどこにあるか?と
相手に問題があろうがなかろうがそこでいじめをしてしまうのはいじめ加害者であり
そうしてしまう原因が加害者側にあると
考えるのが自然だと思いますね
被害者はいじめの原因ではなくいじめのターゲットになった原因があるだけです
そこも以前からずって言ってるのですが分けて考えるべきですね
そういう思考様式を持たないといつまで経っても「いじめはいじめられる側にも原因や問題がある」という主張や論調が後を絶たないと思います
それが危ういと思うのは
いじめられる側にも原因があるならいじめられる側も悪い
いじめられて当然
という論調に発展してしまうおそれがあるからです
どんな原因があろうといじめを肯定する事は出来ませんし
いじめを考える時に被害者よりも加害者の人間としての「在り方」に焦点を当てなければ
いじめについて何の解決のヒントも得られなくなると思います
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